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#59 論争からさっさと降りる術を身につける

Twitterのタイムラインを見ていると、延々と議論を続けている人がいます。

ところが最初は紳士的に始まった議論も、なぜか建設的な方向にいくことは稀で、最後はたいてい、罵倒合戦になって終わってしまうようです。

「朝まで生テレビ」や国会を見ていて、「もっと建設的に議論できないのかな」って思う人も少なくないと思うんです。

どうして議論が紛糾するのでしょうか?

日本が取り残されている世界の教育の「常識」

議論が紛糾することと、何もかもが炎上するのは似ていると思う。
前も書きましたが、マレーシアでの一般人はそこまで「議論」しないです。
おそらく人種や宗教が違うため、はなから「お互いを理解できない」と思っているから。

ところが、「日本語」という言語が揉めやすい構造になっている上、日本人同士、「話せばわかりあえる」と思っている節があると思います。

さらに、学校で習ったことが「正義」と「悪」の白黒思考だったりします。「田中くんはなんで悪かったと思いますか?」「掃除をサボったからです」みたいな会話を、教室で聞いたことがある人、少なくないのでは。

私もずっと世の中のすべてのことに、「正解」と「不正解」があるんだと信じてました。だから「論理的に話せばわかってくれるはず」と無駄な議論をたくさんしました。

しかし、この白黒思考って、今海外の教育で主流となっている「批判的思考力」では「やってはいけないこと」なんです。

マレーシアのインターナショナル・スクールでは、どこもたいてい一番に「我が校では批判的思考力を育てます」と言っています。世界的にも、すでに「批判的思考力」を教えるところが半数を超えてるみたいです。

経済協力開発機構(OECD)が、48カ国・地域の小中学校段階の教員を対象に行った『国際教員指導環境調査2018』という調査でも、「批判的思考力」を教えている学校が世界的に増えていることがわかります。欧米はもちろん、シンガポールや韓国、中国もそうらしい。

48ヵ国の教員たちが実践している指導の中で、「批判的に考える必要がある課題を与える」という項目がある。批判といっても、クレーマーのように無理筋のイチャモンをつけるのではない。目の前に提示された話をハイハイと鵜呑みにするのではなく、客観的事実に基づいてゼロベースで論理的に考える力をつける、という立派な教育だ。
このような指導をしていると回答した教員の割合は、やはりというか欧米豪が高い傾向があり、アメリカは78.9%、カナダ(アルバータ)は76%、イギリス(イングランド)は67.5%、オーストラリアは69.5%となっている。
ただ、他の国もそれほど低いというわけではなく、アジアではシンガポール54.1%、台湾48.8%、韓国44.8%。イデオロギー的に国民の体制批判に敏感な中国(上海)でさえ53.3%、ロシアも59.7%なっており、48カ国の平均でみると61%だった。
このOECD調査から浮かび上がるのは、子どもたちに対して、「なんでもかんでも言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で論理的に考えてみなさい」と教育するのは、社会や文化に関係のない「世界の常識」ということだ。
が、この常識に頑なに背を向けて、我が道をつき進む国が1つだけある。そう、我らが日本だ。先ほどの調査で47の国・地域が40〜87%の範囲におさまっている中で、なんと日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低いのである。

(DIAMOND online 「うがい薬買い占め」で露呈する、日本の学校教育の致命的欠陥)

日本の人たちが気づかないうちに、世界の教育の「常識」が変わってた。私もマレーシアに来て、このことを初めて知りました。
文科省の人たちはずっと前に気づいて「批判的思考」を導入しようとしてますが、やっぱり紛糾してしまうのか、うまくいってるようには見えないです。

ではこの「批判的思考力」があると議論が紛糾しないかというと、残念ながらそう単純な話でもないです。「批判的思考」を学んだはずの学者や先生が感情的になるのを見ることだってあります。

おそらく人は感情の生き物で、どんなに理屈でわかっていても、感情を御することは難しいんだと思う。

ここから私が学んだことは、「論破」を目標にした議論は無駄だってことです。
だから、「白黒思考」でお互いに相手をやっつけるための議論には、そもそも、参加しない方がいいのかも。

「そういう議論になりそうだな」と思う瞬間を見つけたら、さっさと降りる。「負けた」「逃げた」と言われるかもですが、その後、失われる時間を考えたら、議論に参加しない方が合理的じゃないでしょうか。

ただし、ときにはうまくいく議論もあります。

編集者と著者の間、または英語学校で先生と生徒がする議論は、たいていうまく納まります。間違いを指摘したり、意見が違ったことで、喧嘩になることもありません。大抵の編集者は、論理的な指摘をしてくるし、共通のゴール(読者に届けること)が決まっているので受け入れやすいのです。同じように、仕事上の議論なら建設的にできるって人も多いと思う。

この共通のゴールが「相手をやっつけること」だとうまくいきません。辿りつく先の共通目標がない議論は、「しない」方がいいのかもなって思います。

ではまた。

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