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「勝ち組になる教育」に欠けてるもの

こんにちは! 
最近、こんなツイートをしました。

先日、マレーシアのコワーキングスペースの取材をしました。
成長している複数の会社に聞いたら、力を入れてるポイントが同じ。
なんだと思いますか? 

実は成功の秘訣は、「会員同士のコミュニケーションの機会」なんだそうです。どちらもチャットグループやパーティーなどの「横のつながり」を大事にしていると。素敵なインテリアでも、駅からの利便性でもないので意外でした。

こうすることで、小さなスタートアップの人は、自分に「足りない」ものを補い合うんです。その仕組みをどう作るかが「コワーキングスペース」の腕の見せ所だと。

マレーシア、今、若者の間では起業やスモールビジネスが流行っています。
プログラマーはデザイナーを探し、デザイナーは自分の作品をプロモートしてくれるPRを雇い、みんな税務のために会計を雇う。

こういうのをコミュニティの輪の中で回すのです。その「媒介」になるのが、コワーキングスペース成功の秘訣なんだそうです。

誰かが「お金のことは中華系に、政府との仕事はマレー系に、強気な交渉はインド系に任せたりして協力してる」って言ってて、なるほどなーと。

多分、日本のコワーキング・スペースも同じじゃないかな。プロジェクトごとに集まって解散するフリーエージェントが協力し合う世界になっています。

これって、お互いが「違う」から成立するのです。
全員が同じタイプだと、「勝たなきゃ」ってなるけど、個性が強い人ばかりだと「協力しなきゃ」になる。

チームで仕事すると良くなるケース

編集って仕事はいわばこの「仲間を集める」仕事なんです。

専門的な内容は、詳しいライターを見つけてきます。けど、彼らは「他人に読ませる文章」は苦手だから、編集者が読みやすくして面白そうな見出しつけて、一般の人に届けるのです。細かい文字の間違いや事実のチェックが心配なら、校閲や校正が得意な人を探します。

いい写真が欲しければ、カメラマンにお願いします。
カッコよく届けるために、デザイナーに色使いや写真選びをお任せすることもあります。
スタイリストに配置やもの選びを手伝ってもらうこともあります。

こんな感じで、個性が強い人が集まると、自然とそこは「助け合い」になるんですよね。
ジェネラリストばかりだと、多分そこは過酷な競争になるんです。

「協力」を学ぶ子供たち

マレーシアに来て分かったことは、今や学校でもこんなタイプの「教育」を教えるってこと。
昔は「競争」だけだった学校が「協力」に向かっていると。

息子の学校は「放置系」。
先生たちはほぼ何もしないため、子供たちは勝手に「自分」になっていく。
どうなるかというと、それぞれ、個性が強くなります。

息子は理数系やデザインには強いけど、htmlとかYoutubeとか細かい作業は苦手。なので、それが好きな子と組むわけです。
同じPythonでもデバッグが得意な人、論理的に短いプログラミングができる人、客先との交渉が得意な人、いろんな人がいるので、そこも分業するわけです。

先生たちも個性が豊かです。「量子力学はこの先生が詳しい。生物学&Pythonならこの先生」「宇宙物理はこの先生が上手に教える」「この先生は物理を中国語で教えられる」「こっちの先生は特に得意はないけど、親切で優しいから相談しやすい」みたいになります。個性を使い分けるんです。

すると、人っていればいるほど、「お、仲間が増えた」ってなるんですね。「この仲間はどんな能力を持った奴なんだろ」と。

ただし、この協力は決して「一致団結して同じことしなさい」ではないんです。「お互いの能力を補い合う」に近い。

日本の場合、足りない能力を自分で伸ばすように教育されます。ところが英国系などに行けば、中学生から科目として「捨てる」選択肢があります。一方、オールマイティにやらせる学校もあります。選択肢がある。

IBなどでは目標に「協力できる」が入っています。ある学校で、運動ができる子が「では他のメンバーを助けなさい」と言われたと、お父さんが驚いてました。チームとして動く場合には、全体のパフォーマンスを上げないとならない、と。競争だけではない、と。

学費が高い学校になればなるほど、そこも学校で教えるのです。
ある意味、持てるものの義務ってとこでしょうか。

「自分だけがお得をする」タイプの人は、成績も上がらないことがある。中には「是が非でも我が子をハーバードへ!他の子は全員敵!」みたいなお母さんもいたりするわけですよ。でも、もう時代が変わりつつあるかなぁ。そういう人は学校側が求めていないという話もよく聞きます。

お金と幸せの関係

こうすると、「自分だけがお金持ちになって、幸せになれば、他の人はどうでもいいや」という価値観にはなりにくいのかな。

もちろん、中華系とかお金大好きって人も多い。ただし、話してみると、お金持ちほど「みんなの幸せを考える=お金が集まる」と理解している印象。決して「人を騙して儲けてやろう」みたいな人、今まであった中に、いたかなぁ……?

各自のベースにある宗教も大きいですが、彼らを見ていて教育とは……幸せとは……と考えてしまいます。

子供たちは先生から、「社会の問題を見つけて、解決せよ」と励まされます。特にマレーシアで流行中の社会起業家たちと話していると、素晴らしいな! って思います。
Grabの経営者とか、あれよあれよという間に、本当に社会の問題を解決してしまいましたよね。マレーシアのタクシー問題は、本当に根が深かったので!

マレーシアに来て、多言語教育やプログラミング教育も素晴らしいなと思います。しかし本当に良いのは、この根っこの部分を教えてくれる先生が多いことかな。

しかし全く同じ人間が二人いると、競争になっちゃいますから、やっぱり個性も大事です。マレーシアで育ってる日本の中学生たちも、一人として同じタイプの子がいないんです。すごくいいなと思うのは、発達障害があると思われる子供たちも個性が生かされること。

全員、しっかり個性があり、その個性が強みになっている社会は、協力が前提になるので、生きやすいのです。

それではまた。

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