見出し画像

明日もね こんな雨なら

物語とは祈りである。
祈りとは君そのものである。
だから物語とは、つまり君である。

果たしたい夢だとか叶えたい恋だとか。
大抵の場合、物語とは個人の感性や願望から産み落とされていて、だからこそ良くも悪くも物語の姿形がその人の真正なる姿形をも指し示すと言ってもいいだろう。

雨に心を殺された少女と少女に生かされた青年の歌劇。
涙を知らない機械人形と世界を知らない女の存在証明。
自殺する為に髪切る女と生かす為に髪結う男の会話集。
言葉を失った青年と嘘しか言えなくなった女の旅行譚。
自分の没個性に悩む青年と個性的すぎた青年の大失敗。
百点の告白を待つ女とその告白を考える男の恋愛交渉。
自分の事しか愛せない女と人を愛そうとする女の闘争。
記憶を失った殺人鬼と彼を待ち侘びる七股彼女の純愛。
五人の従者を侍らす探偵少年と傅く従者達の探偵小説。
子宮を愛する男と親子愛を知らない女の擬似家族日和。

そんな羅列で自分の小説これまでを振り返れば、そこにはいつだってその時々の自分の願いが伴っていた。

切実な祈りが込められていた。

物語を書いている時だけは。
この世界の誰よりも、僕は自分や他人あるいは世界と向き合って、この心からの祈りがきっと届けばいいとそれこそ命を捧げるつもりで願っていた。

たとえ神様にだってそれには文句を言わせない。

物語を書き続けるということは、
祈り続けるということなのだから。

君が君で在り続ける為に。
僕が僕で在り続ける為に。

それでも、そんな時間にも終わりはやってくる。
太陽が沈み行くように人間は死を迎えるのだから。

だからこそ遺作を”完成された”遺作として、見事に書き上げ、死を迎えた作家が僕はなんだかとても羨ましい。

もっとも作家たるもの死を迎えるその瞬間まで物語を書き続けるべきで、道半ばならぬ語り半ばで倒れる方が尤もらしいのかもしれないが。しかしそれって、本人達からすれば実は不服極まりないのではないだろうか。

頼むから最後まで書かせてくれ!
これは自分の人生で最後の作品なんだぞ!

なんて、天国及び地獄ではそんな大々的な創作抗議が殺到しているだろう。

そう考えるとおかしくて笑える。

始まりより終わりを、初回より最終回を、スタートよりフィナーレを愛する僕としては未完なんて御免だが。

──なら、仮にあなたが明日死んでしまうとして
その時は、どんな物語ねがいを遺作にするの?

そんな声が聞こえた気がした。
気持ちを試すような、顔色を伺うような、そんな声が。

なぞめいたQクエスチョンにはしめやかなAアンサーで応えるべきだ。

だから僕は迷いなんてなくこう答える。
だってその答えはとっくに決まっているから。

それはきっと、■■■■■■■■■■■■■■、
そんな■■■■■物語だよ。


世界の終わりだ。

小学六年生の都部少年は、その日、人生で何度目かになる絶望に晒されていた。

かつて富士急ハイランドの駐車場にあった『給油してく?』という巨大な看板広告を『絶望してく?』と読み間違えて、その誤読を母親にしこたま怒られた過去を持つ僕だけど、この絶望に読み間違いはない。

これで都部少年に課せられた悲劇的な運命が開示されれば、ここからジュブナイる大長編も展開可能だけど、当然ながらその絶望はありふれた月並みな物だった。

あと数ヶ月もしたら、僕はみんなと別れなきゃいけないのか──そ、そんなの絶対に嫌なんだけど!?

端的に言えば、中学への進学に従って訪れる六年来の付き合いの友人との別れを嫌がっていた。

約三年後。
涙も流さず真顔で校歌を歌い切って、人付き合いとかくっだらねーみたいな舐めた面で友人未満の青年リュウジと駄弁る男にも、あどけない少年時代があったのである。

進学を通した別れは避けられないとして、
中学も同じ友人が何人かいるのでは?

なんて思うだろうが、辺鄙な街の辺鄙な場所に住んでいる僕だったので、学区にあぶれて そうもいかなかった。

たしかその年の卒業生が150人だとか200人いて、
僕を含む5.6人だけが他所よそに等しい中学に進学する運びとなっていたのである。

他所は他所なりに6年間を通して人間関係を形成しているわけで、何の準備もなく、そこに放り込まれるのだ。

精鋭部隊というより自殺部隊である。
そんなの絶対に嫌に決まっている。

というか、嫌すぎて毎日泣いていた。
あまりにも、あんまりな、悲しみに耐えられず。

「こんな場所に家を建てるな!! うわあああああっ!!」

という旨の文句を口にしたら、親とマジの喧嘩になって余計に心が傷付いた。あの時期の僕は、冗談抜きに世界で最も絶望していた小学六年生だったと思う。

2012年1月、都部少年は耐え難い絶望に泣いていた!

刻一刻と迫る卒業の時に恐怖しながら、自分に出来ないことはないかと考えるも、齢12歳の無力な少年に出来ることなどなくて。

誕生日に買ってもらったばかりのウォークマンSシリーズNW-S770──配色はブルーだ──で、主に悩める中高生を応援する系ラジオ番組に耳を傾けていた。

中学の時分。これに深夜番組『特命係長 只野仁』に登場する女優のエロ喘ぎを録音をして登校中に聞いていたのだが、うっかり落としてしまう。それを同校の男子生徒が拾ったらしく、SEXの声が収録されたウォークマンとしてネタにされている事を知り、それ僕のですと言い出せずに泣く泣く同じ型を買い直した。

なんならその番組のお悩み相談にお便りも送った。

RNラジオネーム:乳輪3.14さんからのお便りです。

”聞いてください。僕はもう少しで卒業するんですが、今の友達と離れ離れになりたくありません。6年。6年ですよ。人生の半分を一緒に過ごしたみんなとの別れが悲しくないわけないじゃないですか。辛くないわけないじゃないですか。耐えられるわけないじゃないですか。でも出来ることはありません。どうすればいいでしょうか?”

僕のそんな切実な祈りが込められたお便りは、
しかしその番組で採用されることはついぞなかった。


「本日も始まり始まりました。一ヶ月に一度のとっておきのお楽しみ。DJ彼女のリサイクル・リサイタル。さあ景気よくクラップユアハンズ!! ぱちぱちぱちぱち〜〜!!きよしこの夜。季節はすっかりクリスマスで御座います。玩具おもちゃ避妊具コンドームが飛ぶように売れるは売れる。そんなハッピーでアダルティックな季節ですね。私もこの収録が終わったら、交際三年目のロングヘアがお似合いの彼氏とバイセクシャルでKカップのセフレ彼女と朝まで3Pしまーす!淫猥な鳴きごと奏でるスリーピースバンドの結成です。諸手を挙げてピースピースピース!さてさてオープニングはこれくらいで。ではでは、本日最初のお葉書を読みますね。国分寺在住のRN.ワタシわたがしさんからのお便りです。『彼女ちゃんこんばんは』こんばんは!素敵なラジオネームですね!いいセンス!もしかしたら私この子のこと好きかもな〜〜。『私は高校の文芸部に所属しているのですが、他の部員とはちがって面白い物語が書けません。最初の5000文字くらいまでは書けるのですが、その先となると途端に書けなくなってしまうんです。どうしたらいいでしょうか?』へぇ。じゃあ向いてないんじゃない?物語なんて書くのやめれば? では、ワタシわたがしさんのリクエストにお答えして、本日の一曲目はこの曲。supercellで拍手喝采歌合。https://open.spotify.com/track/18OYdAqrZuJhCB4RJnH02n?si=oTLrgcQMTs6MEdmjESNpVA 。DJ彼女のリサイクル・リサイタルはFM82.5MHzに生放送でお送りしております。音楽のリクエストやお悩み相談どしどしお寄せください。首を洗って待ってるよ〜!」

私室の机と向かい合わせになり、背もたれを失った不安定アンバランスな椅子に座って。ハスキィな声でそう語り上げる彼女だったが、皆々様みなみなさまもご存知のように彼女はラジオDJではない。

彼女は、
僕の良心のメタファーを名乗る僕の幻覚である。

僕にあれをやれこれをやれと突如言う割に、僕がしてほしいこと言ってほしいことは無視する。そんな存在だ。先日深夜にラジオDJっぽいサングラスを買ってこいと言われたので、渋々とドン・キホーテでそれらしいのを探して買い与えたら秒で飽きていた。DJというかDVだ。

名前も渾名も残念無念の不採用らしいが、不便なので、彼女(かのめ)ちゃんと僕は勝手に呼んでいる。

そんな彼女は本日──DJ彼女のリサイクル・リサイタルを開催していた。

本人が言うように、月に1度思い出したように行われる恒例の企画で、ラジオDJと化した彼女が夜の10時から日が変わる12時までの二時間喋りに喋りまくるのである。

しかしC101発行 武田弘光による『清楚ピンクの(淫らな)本性』会場購入限定特典、また『みょーちゃん先生はかく語りき』第3巻 メロンブックス購入特典のクリアファイルが挟まれたデスクシートの上には、そうした配信をする上で必要となるPCも機材も存在していない。

前者のクリアファイルは表も裏も局部が露出していたので
全年齢対象の本エッセイでの掲載は見送った。

なんてことはない。

つまり彼女ちゃんは、ラジオ生放送中のDJの真似事ごっこに興じているだけなのである。

しかし番組に投稿されたという体裁のお便りは彼女自身がこの日の為に手書きで用意したものであり、妙に手が込んでいるというか、その意味不明な執着に対する意味不明な情熱の燃やし方にはほんの少しだけ憧れる。

熱狂できないということは凡庸のしるしだ。
僕の座右の銘の一つである。

「世代差はあるんだろうけど、supercellの定番にして人気の曲といえば『君の知らない物語』なんでしょうね。著名なアニメのタイアップソングでありながら、10年代を象徴するラブソングとしても印象深い。うんうん。客観的に言えば良い曲よね。あら、主観的に言えばどうかって……?物足りない。ぜんぜーん物足りない。ラブソングに必要なのはね、聞いてる方が恥ずかしくなるくらいの浮かれ感なのよ。私って超恋してますと言わんばかりののぼせ上がった感情なのよ。鼻で笑われたっていいと今の自分をそれでも誇るような堂々とした可愛さ溢れる気持ちなのよ。だから私がsupercellの曲でいちばん好きなのは、その曲が収録されたシングルのカップリング曲。それでは本日の二曲目。supercellでLOVE&LOLL https://open.spotify.com/track/5BCmhME8xFhI0QNT1GdhZ7?si=33zOqzYeRcmf8O7y8JwsrA 』

周到に準備された嘘で成り立つラジオは進行する。

嘘。

最初に彼女は今日はクリスマスであると話したが、それは真っ赤な嘘で、現在は8月真っ只中である。そして空より降り注ぐのは白銀世界を彩る氷雪ではなく、ざあざあと音を鳴らすゲリラ豪雨だった。

口から出任せを言わせたら彼女の右に出る者はいない。
その成り立ちが嘘みたいな存在なのだから、さもありなんといった次第ではあるが。

「人のことを好き勝手思ってるみたいだけど、都部ADも人のこと言えた義理じゃないでしょうが」

くるりと椅子を回転させて。
ベッドの上でスマートフォン内の画像フォルダを整理する僕に、嫌味な視線を送ってくる彼女。

ちなみに本日の髪型はシニョンである。
顔立ちも相俟って人妻めいた雰囲気をほんのり感じるが、僕が息子ならハワイアンブルー髪の母はお断りだ。

謎のAD呼ばわりは番組開催時限定の二人称である。
大雑把な性格なようで、昔から変な部分に細かい。

「僕が嘘も世辞も嫌いな人間だって知ってるだろ。えっと……あれだ、エッセイとかも書ける範囲で本当のことを書いてるじゃん。嘘が許されるなら、というか嘘を許せる性格なら、僕の黒歴史の数々はもっとマシなオチを迎えてるよ」

原稿用紙を通した愛の告白は受け入れられ。
夜中に買いに行ったパルムはすぐ見つかり。
角砂糖同好会は終焉迎えず誰が為に継続し。
背泳ぎに対する苦手意識を克服し泳ぎきり。
友人未満の彼と友人となり彼は死を迎えず。
自分と他者の名言が僕の人間性を完成させ。
彼女との交際は長らく続き十八歳で求婚し。

そんな、物語のような結末を迎えていたはずだ。

「やかましすぎる。嘘が上手いかどうかはともかく、アンタほど感傷的な気分に浸ることが上手い人間はそうはいないでしょうよ。エッセイ。エッセイねぇ──でもアンタさぁ、一つ、大きな嘘をついてるでしょ」

おっと、その話をするのは4回ほど時期が早いのだが。
どう話を逸らしたものだろう。

「心が読めるんだから、そんな回りくどい触れ方せずに好きに”読めば”いいのでは?」

「はぁ〜?馬っ鹿じゃなかろうか。分かってない。本当に分かってない。なんにも分かってない。マジでさ。アンタのそういう考え方が私は大っ嫌いなのよ」

サディスティックな視線を向けたまま、僕への批判の言葉をそんな風に彼女は繰り返した。

「そうするのは赤子の首を捻るより簡単だけど、いざ隠されたら、自力で暴きたくなるのは探偵の性でしょ?」

ラジオDJじゃねぇのかよ。
いや、ラジオDJでもないんだけどさ。

「──さ、CMも明けまして。続いてのコーナーは……」

気を取り直すようにして。
彼女は僕に再び背を向けて、ラジオを再開する。
まだまだ語り足りないから、またまた騙り出す。

けたたましい雨が止む様子は、まだない。


タイムカプセルを埋めよう。

はたして誰がそんな紋切り型の文言を言い出したのか。まるで覚えていないけど、卒業まで1ヶ月を切った辺りでクラスでそんな提案が持ち上がった。

そんなの知ったことかよ。
今さ僕は悲しんでんだよ。

と、進学を通した離別に頭を引き続き悩まされていた僕としては、慰めのような儀式に関心が向かなかったが。

考えもなくThe pillowsのトリビュート・アルバムであるSYNCHRONIZED ROCKERSを埋めようとしていた。

元々はpillowsの別のCDを買うつもりだったが、
誤ってトリビュートを買ってしまったのである。

文字通りに掘り出し物のCDというわけだ。

掘り出し物。
そう、考えてみればタイムカプセルとは掘り返すことが前提で地中へと埋められるものである。

成人式だとか同窓会とか。
私たちは卒業してバラバラになってしまうけど、このタイムカプセルを開ける為にきっとまた会おうだとか。

それは慰めのような子供じみた約束だったのかもしれないけど、また会える、という未来像が悩める僕の心をほんの少し軽くしてくれた。

そうさ。
僕らは一時的に別れるだけなのだ。
それを、たった十年ばかし我慢すればいいだけの話だ。

「──でも、その日に雨が降ったら、このタイムカプセルは埋まったまんまかもね」

誰かが、冗談でそんなことを言った。

大人になった今ならば。
それこそ記録的なゲリラ豪雨でもない限りはそんなの雨天決行だろうと判断できるが、あどけなき僕は再び絶望した。冗談を真に受けた。その日、雨が降るというだけでその再会が無に帰すという事実に耐えられなかった。

なので、クラスの帰りの会の途中に僕は泣いた。
振り返ると赤鬼くらい泣いている。昔昔は泣き虫で、怖がりで、寂しがりな子供だったのだ。

でも泣いてもどうにもならないことが世の中にはある。

家に帰った僕は考えることにした。

避け難い別れを拒否することは出来ず、いずれ訪れる再会の機会を確実にすることも出来ず、幼き僕に残された時間は決して多くない。

だから僕は鉛筆を手に取って、
かたることを決めた。

都部京樹という一人の人間が物語を書いたのは、およそこれが初めてのことだった。


「一問一答!! DJ彼女のFAQ百人斬り!!」

ぱちぱちぱち、と暇を持て余した僕は拍手を送った。
時刻は11時を過ぎた辺りだ。

「『RN:恋しないウサギちゃん。彼女ちゃんの愛読書はなんですか。3冊教えてください』ヴィルジニ・デパントの《バカなヤツらは皆殺し》、二階堂奥歯の《八本足の蝶》、ダグラス・アダムスの《ほとんど無害》!」

米澤穂信の《ボトルネック》、西尾維新の《ヒトクイマジカル 殺戮奇術の匂宮兄妹》、佐藤友哉の《1000の小説とバックベアード》。

「『RN:諸手を振って歩こう。好きな色は? 理由もお願いします』赤。いちばん目立つから」

紫。品があり、奥深くて、綺麗だから。

「『RN:毘沙門亭。優れた物語を書く為に心がけることはなんでしょう』印象的な決め台詞、換えが効かない造形の登場人物、予想を裏切りながらも期待は裏切らない展開。まずはこれを揃えるのが基本ね」

最後に語り部の立っている場所が、最初の立ち位置からどれだけ離せているかを意識する。あと円環構造。最後に語り部が最初と同じ場所へ戻ってきた時に、言葉や選択にどれだけの重みを乗せられているかを念頭に置く。

「『RN:ボルチオ革命。人と遊ぶ時は周囲に合わせるタイプですか? 自分らしく振る舞うタイプですか?』自分らしく振る舞えるように周囲を操作するタイプ」

どちらかと言えば前者。

「『RN:散々な太陽。ワールドトリガーのオペレーターから、結婚したい人、恋人にしたい人、妹にしたい人を順に並べてください』結婚なら小佐野瑠衣、恋人なら氷見亜季、妹は…………、そうね、今結花かな」

藤丸のの、真木理佐、志岐小夜子。

「『RN:くらり途中下車の旅。好きな歌劇はなんですか?』劇団四季のクレイジー・・フォー・ユー」

オペラ座の怪人。描かれる純愛が好きだから。

「『RN:九龍茶。ディズニーランドもしくはシーで一番好きなのなに?』ん?アトラクションじゃなくてもいいのかしらこれ。それならワンス・アポン・ア・タイム」

ビリーヴ!〜 シー・オブ・ドリームス〜。

「『RN:適当に不適当。街中で自分のドッペルゲンガーを見つけました。名前をつけるなら?』パラドックス」

都部京樹2号。

「『RN:暗夜厚労省。もし子供が産まれたら、その子に名前を付ける時どうしますか?』パートナーと話し合って決めるけど、ネーミングセンスがないから相手に決めさせるかもしれないわね」

昔好きだった女の子の名前から取る。

「『RN:お後がよろしいようで。ペットを飼うなら何が良い?あと名前は何する?』黒猫。名前はクロリ」

猫。昔好きだった女の子の名前から取る。

「『RN:猿渡モンキー。遺言を残せるならどんな言葉にする?』潔く、何も語らず、死を選ぶわ」

さようなら、さようなら、さようなら、
今まで魚をありがとう。

「『RN:今日から未成人。あなたとはなんですか?』私は私、それ以上でもそれ以下でもない」

(無回答)

そんな一問一答が、宣言通り百回ほど続いて。

「──それでは、エンディングトークの前に5曲目のリクエスト。supercellで僕らのあしあとhttps://open.spotify.com/track/3m5lTU2hLnIQnkqpjEuuyG?si=5685kVLWTG2eTZzlginxcA 。DJ彼女のリサイクル・リサイタルを最後までよろしくぅ!」

僕の誕生日にくれた赤色のハサミでペン回し──ハサミ回し?──をしながら、彼女は何度目かの中断をした。

今更のようだが、このDJ彼女のリサイクル・リサイタルには元ネタがある。元ネタとなる黒歴史がある。

中学時代。
TOKYO FMをキー局とし放送していたラジオ番組SCHOOL OF LOCKに痛く感銘を受けた僕は、自分のラジオ番組を作る為に放送委員会に殴り込んだのである。

SCHOOL OF LOCK/ 起立、礼、叫べ。

殴り込んだ。

そう書くといささかに大袈裟かもしれないけど、自分のラジオ番組を作る為だけに委員会に入り込んだという意味では、やはりこの表現が正しいように思う。

紆余曲折あって毎週月曜水曜金曜のお昼休み50分間の枠を獲得した僕は、DJ都部京樹のリサイクル・リサイタルと称して、ラジオ番組の真似事ごっこを始めた。

お悩み相談BOXを学校各所に設置して、近所のGEOでCDを借りてきて、放送の為の台本を放課後に作って──それらしくあろうと、ひたすらに準じていた。

どうしてそんなことをしたのか?

青臭い成長ホルモンが発散の行き場を求めていたと書くともっともらしいが、実のところ、確固たる理由らしい理由なんてものは僕にはなかった。

SCHOOL OF LOCKはただのキッカケに過ぎず、強いて言えば、僕の存在や言葉がこの世界の誰かにどうか届いてくれと必死になっていたのである。

拡声器を片手に、声を大にして、自分を叫びたい。

そんな感情の真意を文章化するのは難しく、どんな明言も的を射ない気がしてならない。発作めいた主張。衝動的な行動。あるいはカッとなってやった、とか。

だから、そういう表現がいちばん正しいと思う。

とはいえ放送開始から四ヶ月を過ぎた頃。
職員室で担任教師に『お前のラジオはつまらん』と指摘を受けて その場で大喧嘩になり、その時に口にした暴言が原因で放送委員会を首になったので、DJ都部京樹のリサイクル・リサイタルはあえなく打ち切りを迎えた。

だから彼女ちゃんが、
わざわざその時の名前を拝借してラジオ番組の真似事をするのは、僕に対する迂遠な嫌がらせなのだろう。

ちくちくと、痛々しい過去をいたく責めてくる。

「つーか、アンタって昔からそんなことしてたんだ」

身体にべったりと纏わり付く汗を布で拭いながら。
意外と困惑が混じる独特な声の調子で、そんなレスポンスを投じてくる彼女ちゃん。

どの話のことを指して言っているんだろうか。
話題が飛び飛びなので、普段より分かりにくい。
愚にも付かない僕に察しの良さを期待しないでくれ。

「友人と別れるのが嫌で小説を書いたって奴。自分の願望を物語にして祈ろうって発想。あれ、でも妹属性が好きな弟の18歳の誕生日だかにラブコメ小説書いてなかったっけ?あれはアンタの願望じゃないから違うわよね」

たしかに。

『お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん。あんな女はやめてさ、私にしておこうよ。義理の妹で、おっぱいが大きくて、赤ちゃんを沢山産んだげる気満々の超絶可愛い妹ちゃんをお手軽に愛しちゃおうぜ?』みたいなセリフを、約三万文字に渡って口走りながらイチャイチャする義妹ラブコメ短編──を、弟にプレゼントしたのは事実だ。

しかし、

「アレは僕の性癖も織り込まれてるから弟に対する無償の愛情のつもりでは書いてないよ。ちょうど良かったから書いただけ。なんなら別途でAmazonのプリペイドカードも送ったし。ほら、ウチの弟は慎ましい胸の女性が好きだから、どちらかと言えば僕の好みが多めに反映されたキャラクターだった気がする」

「うわキモ」

他人をキッカケに自分の願いをかたり尽くす。
ひとつの物語として。

しかしながら、それは良心を欠いた行いである。
他人を巻き込んでそれを物語にしてしまおう──なんて、到底褒められた行為じゃない。

今の僕はもうしないし、もう出来ない。持ち前の理性が、その蛮行をどうしようもなく止めるからだ。

「あの時期の僕にとって雨は嫌いだった。憎かった。そしてなにより怖かった。雨のせいでまた会えなくなったらどうするんだって不安だった。それが嫌で嫌で仕方がなくて、仮にそうなっても僕らはきっと大丈夫だと信じたくて物語を書くことにした。痛快な笑い話さ。バカみたいだねって。晴れとか雨とか関係なく会えるに決まってんじゃんってさ。タイムカプセルを開けて、そんな風にあの頃を思い出した友達に笑われるんだ──でも、僕はそれを望んでた。それは笑い話になる為の物語だった」

「ふうん。で、会えたの?」

「いや、会えなかったし、物語は役割を果たせなかった」

それはありふれた月並みな悲劇だ。
成人を契機とした僕らの再会の計画は、当時流行していたコロナウイルスによって、ひどく呆気なく破綻した。

タイムカプセルは無関係の他人によって、無感動に掘り返されて、その中身は粛々と本人の下へ郵送された。

僕の手元に戻ってきた原稿用紙の束は、ホッチキスによって頼りなく留められていて、ほんの少し色褪せているように感じられた。届かなかった祈りというのは、きっとこんな寂しい色をしているんだろうと思った。

「でも僕が本当に寂しかったのは──そもそもそんなキッカケがなくても、僕らが誓い合った将来の再会は果たされそうになかったってことだ」

当時のクラスメイト42名が所属するグループLINE──そこで行われた同窓会の参加希望の投票率は16%ほどで、その中で参加を表明する人間はたった4人しかいなかった。誰の目にも明らかな35人分の無関心は、僕の心に決定打を与えるには充分すぎるほど痛烈だった。

高校とか大学じゃなくて、小学校の付き合いなんてそんなもんだよ。だってもう昔の話だもん。そんな希薄な繋がりより大事な繋がりがあるからさ。大した物を入れてないタイムカプセルなんてもうどうでもいいよ。

諭すような声。
慰めるような声。
馬鹿にするような声。
そんな声が聞こえてくる。

それは当たり前のことかもしれない。
人生はそんなもんなのかもしれない。

それは冷たさではなく、ただの心の移り変わりで、誰の身にもよくあることだって。風化した思い出を掘り返すことに、いったいどれだけの価値があるんだって。

それでも。
それでも僕は、そんなのは間違いだと叫びたかった。

本当に悲しかったから。
本当に寂しかったから。

適切な形で処理されなかった感情は、
不適切な形で処理するしかない。

たとえそれで人を傷付けることになっても。
たとえそれが誰も望まない方法であっても。

やらない理由が、やっちゃいけない理由が、たとえば99個あったとして。やる理由が、やるべきだと思う理由が1個でもあるなら、それはきっとやるべきことなのだ。

だから僕はその物語を書き直した。
泣きながら、それでも書き直した。

到底読めたもんじゃない、そんな過去の祈りを。

どこにでもいる小学六年生がタイムカプセルを埋めるまでの4日間で書いた、たった2000文字弱の掌編小説。

それは言葉も文節も表現も無茶苦茶で、小説としての肉付けは弱く骨子だけで出来ていて、不様で不格好で不始末な報われなかった祈り。

もう顔も名前もうろ覚えだけど、それでも当時は大事な友達だった人達で、たとえ意味なんてなくても僕はその頃の気持ちにちゃんと筋を通すべきだと思ったから。

「きっと彼らは僕のことなんか忘れてるだろうにね。そんな人もいたねすら希望的観測で、だからそんなことに拘るのはおかしいのかもしれない。上手く大人になれなかった僕の言い訳なのかもしれない。それでもさ──ああ、いたんだよ。僕らはあの場所にいたんだよ。あの場所で一緒にいたんだよ。それを悲しいと思う気持ちが僕らにはちゃんとあったんだよ。誰も言わないなら、せめて僕だけはそう言いたかった。そう語りたかった」

「よくある感傷ね。もっとも私には、その気持ちはよく分かんないけど。書き直した小説は誰かに見せたの?」

「誰にも見せてない。誰かに読ませるような機会なんてなかったしさ」

改めて書き直して。
あるいは書き終えて、それでも心の穴は塞がらなかった。傷跡が残らない心の傷はきっとないんだろう。

だけど僕はこの傷を大事にしようと思った。

みんなが忘れても、僕だけはこの傷を忘れないでいようと思った。僕は薄情で心が冷たい人間だから、きっとそれくらいが、人としてちょうどいいんだろう。

「くだらない」

あくまでも無感動に。
彼女は僕の語りを、そんな風に一刀両断する。

「そんな抵抗になんの意味があるの。みっともない。ただの物語でしょ。アンタが描いた絵空事でしょう。そんなの愚にもつかないフィクションよ。何も変えてくれないし、何も変わってくれない。傍から見ればアンタは無意味なことを必死こいてやってるだけ。誰にも理解されず、誰にも賞賛されず、無意味なことを無意味にやり通す。それってすごく格好悪くて馬鹿げてる。それとも、死ぬまでそんな恥ずかしいことを続けるつもり?」

「それは……、だから」

「──CM明けまして、今宵のDJ彼女のリサイクル・リサイタルのエンディングトークです!」

僕の解答を遮るようにして、彼女ちゃんは本日の催しの締めの言葉を語り上げる。興味関心が尽きたのだろう。気まぐれが人生の絶対指針である彼女らしい無視だ。

だから彼女のQクエスチョンに対する僕のAアンサーは、そんな形で、”いつかの機会”に持ち越されることになった。

「最後のリクエストは……駄目ね、こんな曲じゃ私の卵子が死滅しちゃう。お別れはこの私が選んだ一曲で!YonKaGorのYou`re Just Like PopMusic https://open.spotify.com/track/0UYnMDFZuXUpsiWGMq1EVk?si=i523GkWNQV2STcqGChdb9w。今夜のお相手はDJ彼女と都部ADでした。ばいばーい!」


【明日もね こんな雨なら】作: 6年1組23番-都部京樹

雨に愛された町でした。
一年間の降水確率は99%で、だから、雨が降るのがこの町にとっては日常なのです。いつものことなのです。
生まれてから死ぬまで雨と一緒に生きていく町の人たちは自然と雨を好きになり、雨が降る日はみんなが笑顔で町を歩き、変わらない今日を幸せそうに過ごすのです。

そんな町に少女わたしは生まれました。
だけど少女は、雨のことなんて大嫌いでした。

なぜなら少女は。
雨に濡れると皮膚が醜く腫れてしまい、放っておけばそのまま全身が腫れて、化物のような姿で死んでしまう。生まれた頃からそんな不治の病を患っていたからです。

みんなと同じように雨が大好きなおとうさんとおかあさんはそんな少女を気味悪がって、どこかへ行ってしまいました。

そしてそれからずっとずっとひとりぼっちです。
誰も少女のそばにはいてくれませんでした。

それでも昔は違いました。
長い髪が似合う少女の為に、二人は雨模様の髪留めを買ってくれました。今ではその髪留めだけが、生まれた頃は少女は一人でなかったと証明する唯一の証拠です。

誰かの言い訳として少女に与えられた病室は、病院の奥の奥の奥にある辺鄙な場所にあって、だから誰かが好き好んで近寄るようなこともありません。

あの子は生まれたことが間違いなのよ、とナースさんが言っているのを耳にしたのも1回や2回ではありません。

少女にも人並みに死にたい気持ちはありましたが、少女は弱いから死ぬ勇気がなくて、だから毎日毎日変わり映えしない病室のあちこちを眺めていました。

でも窓は嫌いです。
嫌いな雨が見えるから。
でも時計は嫌いです。
一人ぼっちの時間がどれほど長いか分かるから。

暇潰しに絵を描いたこともありました。

少女の絵はそれなりの評価を受けましたが、才能は認められても個人は認めらなくて、病院の片隅で独りぼっちの少女とは無関係にその絵だけが有名になりました。

だからもう絵を描くのはやめてしまいました。

雨が降るのはなぜでしょうか。
それはきっと神様が私は一人ぼっちだと教えたいから。神様は私のことが嫌いで、だから私も私が嫌いでした。

「──やあやあ。こんな良い天気に悪い気分な少女よ。驚くなかれ、俺はお前の為に歌いに来たんだぜ」

そんな少女の前に、変な人が現れました。

◻️◻️◻️◻️◻️

誰でしょうか。
誰というか、何でしょうか。

少女には友人も恋人も家族も他人さえもいないはずですが、こんな病院の奥の奥の奥にある辺鄙な病室にわざわざ足を運んでくるなんて、ずいぶんと変な人です。

年齢は20歳ほどでしょうか。
短く刈り上げられた髪型。緑色のサングラスをかけていて、その被服からは身分が想像できません。特徴といえば、ゴミ捨て場から拾ってきたようなボロボロのギターを背負っています。歌いに来た……と言っていますから、もしかしてミュージシャンなのでしょうか。

「そうともさ。俺は世界一のミュージシャンなんだ。見たまんまの男だぜ」

世界一のミュージシャンでないことは分かりました。
あとは右手に変わった模様の唐傘を持っていますが、この町の人が傘を持っているのは当たり前のことです。

もっとも、外に出られない、出る必要のない私は自分の傘なんか一本だって持っていませんが。

「おっと、名前が必要かい? あいにくだが俺は人に名乗る為の名前を持ち合わせていなくてね。どうぞどうぞ。君の好きなように呼んでくれ。好きなように命名してくれ。しかし才能溢れる新進気鋭の俺の名前なんだから、とびきり格好いい名前を付けてくれよな。濁音が入ってるといい。濁音が入ってる名前って格好いいからな。切れ味があるっていうか、歯切れが良いのが最高だ」

聞いてもないのによく喋る人です。
これまでの私の長くない生涯で、この人ほど他人に向かって言葉を発したかも怪しいところです。

しかし。

いきなり入ってきて、いきなり喋りかけてきて、今まで一度だって使われたことがない来客用の椅子に座り込んだ──この変な人は、本当になんなんでしょうか。

もしかして精神を病んでる人なのかもしれません。
だとすれば大ピンチです。蝸牛にすら負けそうな非力な私が、この人に襲われたりしたらまな板の上の鯉です。

仮にそうだとして。
少女にナースコールなんて人並みな物は与えられていないので、ぶっちゃけ、もう逃げ場はないのですが。

「おっと、その顔は何か言いたげだな。心配なさんな。心配という言葉は俺の心の辞書には載ってないからな。それに俺には人の心が読めるんだ。だから皆まで言う必要はないぜ。ふーん。なるほどね。よく分かったよ。つまり今日はお前の誕生日だろ。ハッピーバースデー・トゥ・ユゥ。16歳の誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。お前が生きてるだけで、今日も世界の誰かが生きることを諦めずにいられるはずさ」

持ってきた自分の唐傘を差し出しながら、その人は少女の生誕への祝いの言葉を縷縷と口にしました。

しかし少女の誕生日は先々月です。
というか16歳でもなく14歳です。
何もかも大ハズレです。
やっぱりこの人は頭のネジが何本か外れてるんじゃないかなと、少女はそう思いました。

受け取った唐傘は、
ひとまずベッドの側に置いておくことにします。

「まあいいさ。そういう日もあるよ。それに人はみな等しく生まれただけで一等賞だ。恥じることなんかない。それに将来のお前は、夜空を真っ先に照らす一番星のように、きっとなにより美しい。俺はそれを二年ほど早く祝っただけの話だ。だから俺は間違えてない。人を見る目はあるんでね。星が輝く夜空のように曇りがないのさ」

ネガティブの対義語の擬人化のような人です。
こういう性格に生まれていれば、少女の人生も多少なりとも違ったのでしょうか。羨ましいとは思いませんが。

少女は聞いてみることにしました。
歌いに来た──とは、どういうことなんでしょう。

「ところで少女よ、青色が何種類あるか知ってるかい?」

ぜんぜん話を聞いてくれません。
色の話なんかしてません。歌の話を聞きたいんです。
しかし無視すると、また別の話に飛んで面倒臭そうだったので、少女はその会話に付き合うことにしました。

何種類って、それは1種類でしょう。
だって青は青なんですから。

「ぶっぶー。不正解だ。実は青だけで200種類ある」

200種類。
途方もない数です。昔、少女が絵を描いていた頃はそんなこと意識もしていませんでした。

「同じようで全部違う。似てる色はあっても、同じ色は一つとない。まるで人間みたいだ。まるで感動みたいだ。正解はあっても不正解はない。そんな色によって絵は描かれる。だから俺は絵が好きだ。絵を見ていると、不正解に思えるような自分の人生やこの命にも何か意味があるんじゃないかって、なんとなくそう思えるから」

言いたいことは分かる気がしました。

しかし少女はその身でよくよく知っていました。
使われない色があることを、
居場所がない色もあることを。

太陽が沈むみたいに、それは当たり前のことです。

「お言葉だけど、太陽は沈まないよ」

ちっちっちっ、と。
サングラス越しに覗く左目を閉じながら、指先を右に左に振ります。すごくすごく腹の立つ身振り手振りです。

「だって地球が回ってるだけなんだから。太陽が沈むなんて、そんなのただの錯覚なんだ」

言われてみればそうかもしれません。
揚げ足を取られたようで腹は立ちますが、それはそれとして納得することは出来ました。

「さてと。だから、俺は歌いに来たんだ」

この人は本当に何を言っているんでしょうか。
お願いだから納得させてくださいよ。本当に。
今の話と歌の話がどう繋がっているんですか。
あまり大人が少女を困惑させるものではありませんよ。

「ここに来るまでに看護師さんに聞いたよ。なんだかよく分からないが──きみ、病気なんだって?雨に濡れるとヤバいって。だけど、それなら傘を差せばいいだろう」

なるほど。
誕生日プレゼントと称して、少女に渡してきた唐傘はそういう意味でしたか。無意味なことを。少女は。いいえ私は、”そういうこと”を言っているのではないのです。

外には嫌なことしかありません。
場違いな世界で、仲間外れを思い知るのは怖いのです。

「とはいえその傘は予防策だ。人の心は感動でしか動かせないと言う。だから俺は君を感動させることにした。だけど君とちがって、俺には大した絵は描けないからな。だから歌うんだ。これでも昔は、学校の先生に七色の歌声なんて言われて褒められたんだぜ」

この人にそんな義理があるのでしょうか。
実は血の繋がったお兄ちゃんとかだったり。
いや、まるで似てないのでその可能性はなさそうです。

「俺が作り上げたオリジナルソングだ、曲のタイトルは『明日もね こんな雨なら』。耳を澄ませて聴くといい」

そう言って、
その人はギターを弾きながら歌い始めました。

へたくそな歌だな、と思いました。
この人の学校の先生は何を聴いていたんでしょうか。

ただそれでも聞いてあげることにしました。
どうせ病室を眺めるくらいしかやることがないのです。

明日もね こんな雨ならいいのに。
そしたら、きっとまたあなたに会えるから。

曲のサビのそんなフレーズが妙に印象的でした。
それは雨を嫌う私にとってあまりにも無縁で、それにひどく安っぽい言葉の羅列で出来た歌詞だったからです。

曲を歌い終えた男は息を切らせながら、少女の方へと改めて向き直りました。どうやら感想が欲しいようです。

まあまあかな、と正直な感想を述べました。

「そうかい。そいつは重畳だ。今度はもっと上手く歌うよ」

今度?今度って言いましたか?
この人、もしかしてまた来る気ですか。
見ず知らずの少女に費やせる暇な時間がおありですか。

見ず知らず。
そういえば、私が絵を描いたことがあることを知っているような口振りでしたが、どこで知ったんでしょう。

「雨が降ったら、また歌いに来るよ。俺と君の約束だ。だからそれまでは健気に生きてろ。自殺なんて一度だってするもんじゃないんだぜ」

◻️◻️◻️◻️◻️

余命一ヶ月。
それが青年に下された診断で、
神様より下された命の審判でした。

延命の方法はありません。
何もかもが手遅れでした。

それでも悲しいとか死にたくないなんて気持ちはちっとも沸かなくて、それならもう仕方がないんだろうなと、青年は静かに余命宣告を受け入れました。

病院を出て、町をぶらりと歩き、ふと自分の靴紐が解けている事に青年は気付きました。だらしなく伸びた靴紐は雨に濡れていて、結び直すのは少し手間でしょう。

「そうだな。よし、死のうかな」

それはあっさりと、口から漏れ出た曖昧な願望でした。

打算的に人生を生きてきた青年には分かっていました。
自分がこれからの余命を生き続けることで齎される利と、それで被る周囲の損がまるで釣り合わないことを。

生きてるだけで周囲に迷惑をかける不正解のような人間というのはいるのです──たとえば今の自分とか。

だから青年は、近くにあった8階建てのビルディングの屋上から飛び降りることにしました。

その辺で手頃な大きさの石を拾って、その石で割った窓から建物に侵入。澄ました顔で階段を登り、対処の危惧を唯一していた屋上の扉は施錠されていませんでした。

淡々と歩みを進めます。
言い訳のように張られたフェンスを攀じ登って、さあ、あとはそこから一歩を踏み出すだけです。

それで終わり。ジ・エンド。
皆さまご清聴ありがとうございました。
これが僕という人間のありふれた死の形です。

そんな折、なんとなく下を──正確にいえば斜め下を見遣った青年は、その宣伝広告に目を引かれました。

心を惹かれました。

その宣伝広告に採用されていたのは、誰かが描いた一枚の絵です。それは、降りしきる雨空の下で家族と手を繋いで微笑みながら踊る少女を描いた絵でした。

青年はそれに見蕩れて、しばらくの間、フェンスに捕まりながらその絵を見つめ続けました。

結論からいえば、
自殺の予定は延期することにしました。

どうせすぐに死ぬならば、いつ死んでも同じことです。最後にこの絵を描いた人にお礼を言おうと思いました。

青年は半月を投じて絵の作者を調べあげました。
そして14歳の少女が、あの絵を描いたと知りました。

あの絵のタイトルは『夢』というそうです。

そしてその少女は奇病に犯されており、頼れるような身よりも繋がりもなく、なにより生きる意味を見失っているということも。

だから青年は、
自分に残された命の使い道を決めました。

◻️◻️◻️◻️◻️

次の日も雨でした。
この町ではよくあることです。

味気ない病院食を食べ終えて、もうひと眠りしようかなと横になると、その唐傘が視界に入りました。

そういえばあの人はまた来るとか言っていました。
雨が降ったら、また歌いに来ると。

だけど再訪の様子はなく、特にがっかりはしませんでしたが、なんだか裏切られたような気分にはなりました。

さっさと忘れよう。

おとうさんとおかあさんの時みたいに。

寝ぼけ眼で意識を手放そうとしていると、はたと、その声は聞こえてきました。起き上がります。しかしあの人の姿は見えなくて、歌声だけが聞こえてきます。

少女は音の方向へ向かいます。
窓を開けると、その声は鮮明な音になって、少女の元へと飛び込んできました。

なんてことはありません。
町にあるあちこちのスピーカーから、その歌が流れていたのです。病院の奥の奥の奥の辺鄙な病室にも届くくらい、それはそれは大きな音で。

あの人は、とんだ嘘つきです。
昨日からちっとも上手くなっていないんですから。
まったくもう。仕方ありません。どうせ暇なんです。
上手くなるまでは、この歌に付き合ってあげましょう。

それから。
雨の降る日は、その曲を聴くのが少女にとっての習慣になりました。

窓が好きになりました。
窓を開けると聴き馴染みのある曲が流れてくるから。
時計が好きになりました。
もう少しであの曲が聴けるんだと待ち遠しいから。

そしていつからか。
少女は雨のことが嫌いではなくなっていました。

◻️◻️◻️◻️◻️

青年はあっさり死にました。
自殺でもなく、病死でもなく、よくある交通事故で。

それは少女の病室を去ってから数時間後のことでした。

青年は生前に考えました。
見ず知らずの少女に自分が出来ることはなにかと。

考えて、考えて、考えたけど、答えは出なかったので明日に持ち越すことにして。とりあえず変装して、歌でも歌って、少女を元気付けに行こうと思いました。

素人が一日で作った曲を気に入るとは思えませんが、それでも青年には時間の猶予がありませんでした。

病室の前で、何度も何度も深呼吸をしました。
根の暗い性格や言動のまま、少女と相対するわけにはいきません。少女の為にも飄々とした仮面を被るのです。

俺は世界一のミュージシャンなんだ。
嘘をつきました。
昔は人を幸せにする画家を志していましたが、夢は叶えられず、今はしがない傘職人です。

俺は人に名乗る為の名前を持ち合わせていなくてね。
嘘をつきました。
名前を調べられたら嘘が全てバレてしまいますし、それに、なんだから気恥ずかしくて名乗れなかったのです。

俺には人の心が読めるんだ。
嘘をつきました。
人の心が読めたならもっと良い人生を歩んでいますし、なんなら、物事の察しは悪い方です。

生まれてきてくれてありがとう。
お前が生きてるだけで、今日も世界の誰かが生きることを諦めずにいられるはずさ。
それでも、これだけは嘘ではありませんでした。

君が描いた絵がとても綺麗だったから。
たった一枚の絵に命を救われたから。
そのお礼がしたくて、僕はここに来たんだ。

しかしそれは最後まで、少女には言えませんでした。

だって、たったそれだけの理由で、
こんなことをしていると知れたら。
きっと少女に笑われると思ったからです。

病室を去った青年は、その曲の音源を録音して放送局へ向かいました。そこに務めている友人に渡す為です。
引き出した貯金を全額渡して、雨の日にはこの曲を必ず一回は流して欲しいと依頼しました。

彼の貯金から算出すると、2439回流せるそうです。

「僕は来月にはもう生きてない。どういう理由であれ絶対に死んでると思う。だからお前に僕の作品を託す。僕が死んだ後は、僕の振りをしてほしい。僕が生きているとあの子を騙して欲しい。ずっとじゃないよ。2439回の放送が終わったら。もしも最後の時を迎えたら。その時は、出来るだけ悲しくない方法で僕の死をあの子に伝えてほしい」

悲しむことなんかないんだよ、と。
好きな漫画が最終回を迎えるように。
四季が流れるように移り変わるように。
だってそれは、ありふれた終わりなんだから。

事情を聞いた友人は問いかけます。
どうしてそんなことをするのかと。

「約束したんだ。だから、それを守りたい。僕が最期を迎えても、あの子を嘘つきにさせないために」

青年はあっさり死にました。
自殺でもなく、病死でもなく、よくある交通事故で。

それは少女の病室を去ってから数時間後のことでした。

◻️◻️◻️◻️◻️

あれからどのくらいの月日が経ったでしょう。
あの日の少女も今やすっかりおばあちゃんです。

普通に嘘です。流石にそんなに時間は経っていません。
せいぜい半年ほどでしょうか。

今日も変わらず雨が降っていました。
いつもと較べれば小雨な方です。

時計を確認して。
そろそろ歌が聴こえる頃だなと、窓を開けました。

「────あっ」

すると、吹き込んできた風に揺られて、雨模様の髪留めが窓の外に落ちてしまいました。少女の大事なお思い出。おとうさんとおかあさんがくれた大事な宝物。

咄嗟に、側にあった唐傘を取って、少女は病室を飛び出しました。急がないと髪留めが雨で流されてしまうかもしれない。そう思うと、居ても立ってもいられません。

誰かが少女を制止する声が聞こえました。
少女の症状は、少女の存在より有名な話です。

それでも少女は立ち止まらず、息も絶え絶えに出口の扉を開けて、何年振りかとなる外に出ました。

雨は。
少女が病室を出てから、病院の出口に辿り着くまでにもうすっかり止んでいました。水溜まりだらけの道を歩いて。少し歩くと、その髪留めを見つけました。

少女はそのことに”ほっとしている”自分に気付いて。
そうか、と悟りました。少女の中で、あの頃のおとうさんとおかあさんはいなくなってはいなかったのです。

水溜まりに沈んだ髪留めを拾い上げようとすると、弾みで、あの人から貰った唐傘が勢いよく開きました。

その唐傘は変わった模様をしていて。
傘の内側に、降りしきる雨空の絵が描かれていました。

深い深い青色で描かれた無数の雨。しかし、それは一色で描かれたものではないのでしょう。それはきっと200種類もの青色で描かれた、不正解のない雨空です。

仲間外れの色なんてないんだよと。
優しく語りかけるような、そんな素敵な雨空です。

少女は拾い上げた髪留めを付けて、雨はもう降ってないけれど、傘を差して踊るように一歩一歩と歩きます。

少女にはもう分かっていました。
もうあの人はどこにもいないこと。
あの雲の向こう側に行ってしまったこと。

でもいいんです。
もう大丈夫です。
太陽が沈むなんて、そんなのただの錯覚なんですから。
大事なものは消えてなくなったりしないんですから。

半径55cmの雨空の下で、少女は家族と共に踊ります。

雨が降るのはなぜでしょうか。
それはきっと遠くにも誰かがいると教えてくれるから。
神様が私を嫌っても、私は私を大好きでいたい。

今日はとてもいい天気でした。

だから今日はあなたの代わりに私が口ずさみます。

明日もね こんな雨ならいいのに。
そしたら きっとまたあなたに会えるから。

あなたのへたくそな歌声が、
わたしのだいすきな歌声が、
聞こえてくる、そんな気がするから。

だからわたしは歌うんです。

明日もね こんな雨ならいいのに。

そしたら きっとまた会いましょう。
私とあなたの約束ですよ?


2024/8/23 都部京樹
執筆BGM
『陰謀論』tofubeats
『You`re Just Like Pop Music』Yon KaGor
『明日もね こんな雨なら』笠井幸介
全体プレイリスト⇒https://open.spotify.com/playlist/4F2A0A5x6T5DZLZXDXuEoB?si=YHpBGLiBTnGAsyBX01eikQ&pi=a-NOA78E9LTJO_

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?