嶋尾京二

東京の東部で生まれて育ち、仕事をしています。 14歳になる猫娘がいます。 文学、映画や…

嶋尾京二

東京の東部で生まれて育ち、仕事をしています。 14歳になる猫娘がいます。 文学、映画や音楽、社会課題、そして「昔のこと」を、できれば「クロニクル」として、綴っていきます。 よろしくお願いします。

最近の記事

戦闘が終わっても、戦争は終わらない ~映画「ほかげ」~

今月になって漸く、塚本晋也監督作品「ほかげ」を観た。 100分弱の上映時間にも関わらず、登場人物一人一人に対する描写や挿話、いずれも密度が濃く、(軽く聴こえるが)痛々しく、生々しいものだった。 シリアスな主題の作品だと、描写や表現の方向が「悲惨」「哀切」に強調されることもあるが、「ほかげ」はむしろ、とても抑制した表現を選んでいた。 映画の時間は、戦後少し経った(と推測できる)頃で、前半は、バラックの居酒屋に住み働く「女」(趣里)が、後半は、何かの目的を持つ「男」(森山未

    • 「虎に翼」の良さ、快さ

      今のNHK朝ドラ「虎に翼」は、心動く場面がたくさんある。 シリアスであり、硬派である、と感じてもいる。 もちろん、良い意味で。 第一週の場面から例を挙げてみる。 何かの仕事をしている中、新憲法を読みふける女たち(昭和戦後)、 立ち止まり、苦し気に下を向く少女(昭和戦前)、 大きな荷を背に負い、休み休み歩く老女(昭和戦前)。 この女たちはセリフがない、通行人や街の景色の一部でもある。 第二週の終盤(昭和戦前)では、女たちが対峙する現実に泣き怒る主人公、寅子の級友。 いずれ

      • The Beatles "Now and Then" / Songs of Those Days - February 1983, Tokyo

        この文を書いている2023年11月は、一の酉の直前に突然、寒くなって、北の方では初雪、関東でも初氷が相次いでいるという。 昔も今も、寒さに違いはないと思うのだが、今の私の齢では、寒さもそうだが、風邪をひくのが怖い。情けないが。 1983年の1月から3月のことは、今でもよく憶えている。 その記憶の中心である町は、私の家(親の家)の町から電車で5、6駅のところにあって、中学、高校の時期に、買い物や喫茶店、バンド練習でスタジオと、よく足を運んだ場所だった。 電車を降りて改札を出

        • 寝ずの番をしながら、彼の好きだった曲たちをかけた

          8月の末、高校の先輩であり、仕事では後輩でもあり、音楽仲間で、私には数少ない親友が亡くなった。 彼の葬儀で私は「寝ずの番」を買って出たのだが、それは、彼が最期を迎えようとしていたとき、彼があんなに好きだった音楽を鳴らせない環境だったことが悔しくて、せめて通夜の晩には、それらの音楽たちで彼と過ごしたいと思ったからだった。 彼は1963 (昭和38)年9月の生まれだったから、ちょうど60歳となる、その直前に亡くなったことになる。 その彼に、彼の納められた棺に向けて鳴らした音

        戦闘が終わっても、戦争は終わらない ~映画「ほかげ」~

          百年目の震災慰霊堂

          9月1日は私の祖母の言う「震災」から百年を迎えた日。 (ということは、百年前は「大正」だったんですな。たった百年。) 私はと言うと、毎年と同じく、横網町公園の東京都慰霊堂へ詣で、震災とその後の騒擾によって犠牲になった全ての方々に向けて、手を合わせました。 普段は静かな公園ですが、百年目だからなのか、行動制限解除だからか、歩道にいっぱいのテキ屋さんの効果か、真に賑やかでした。 人混みは忌避したいですが、それでもわんさと人が溢れ出ているのは悪くない風景ですね。 写真は堂前

          百年目の震災慰霊堂

          「ジャーナリスト堀潤さんによる スーダン写真展」

          蒸し暑さのある曇りの土曜の今日、6月10日、東京・両国ピクトリコギャラリーへ、「ジャーナリスト堀潤さんによる スーダン写真展」を見に行ってきた。 お昼過ぎに入ると、ちょうど、主宰者である堀潤さんが在廊していて、写真展の説明をしてくださった。 「写真の子どもたちの目がキラキラしているのは何故だろう、と思って、よく見たら、瞳に空が映り込んでいるのです。」 「スーダンの空は『スーダン・ブルー』といわれるくらい、青く澄んでいて、その空をいつも、子どもたちが見ていました。 しかし

          「ジャーナリスト堀潤さんによる スーダン写真展」

          雨上がりの日比谷野音、BEGINのライブ

          2023年の連休、4月30日の日曜日は雨降りだったけれど、昼過ぎからは小雨になり、夕方には空が明るくなった。 日比谷野音でのBEGINライブは14年ぶりなのだそうだが、それは私が初めてBEGINのライブに行った時でもあって、その時以来、彼らの音楽を聴き続けている。 ライブはカバーの3曲から始まり(「Yesterday Once More」、「Stand By Me」、「Blowin' In The Wind」。いずれもBEGINのアルバム等でリリースされている)、4曲目か

          雨上がりの日比谷野音、BEGINのライブ

          私が好きな坂本さんの曲を

          坂本龍一さんが亡くなった、と報じられてから二週間が経った。 坂本さんについて語るべきことは、まだまだ山積していると思うが、それは日々、コラムや評論が発表されるという事実、そして、日を追うごとに著者によっては、新たな視点による論評もあり、ひとつひとつが読まない訳にはいかないものだ。 いろいろな感情が起きて来るが、私は坂本さんの音楽を40年以上にわたって聴いて来た単なるリスナーなので、彼の作品から好きな曲を幾つか挙げ、記憶や感想を添えることで、彼を追悼したいと思う。 「Fr

          私が好きな坂本さんの曲を

          His Favorite Songs of Ryuichi Sakamoto

          坂本龍一さんが2023年3月28日に亡くなった。 TOKYO FM番組「Radio Sakamoto」の終了(最終回は大貫妙子さんが代わって進行を務め、高橋幸宏さんの追悼特集だった)、神宮外苑の樹木伐採中止を東京都知事等に対し求めた手紙の文面は、嫌な予感を抱かせるものだったが、しかしこれほど早く、とは、40年以上、彼の音楽をライヴ、レコードやCDで聴いてきた者として、気持ちを整理できないままでいる。 メディアでは、彼の作品が幾つか取り上げられていて、偏りや勘違いもあるもの

          His Favorite Songs of Ryuichi Sakamoto

          英映画「バビロン」--"移民"たちの怒り

          イギリス映画「バビロン」は1980年に公開されたのだが、日本では2022年に初公開となった。 日本公開はピーター・バラカンさんの尽力によるものだが、40数年経った現在見ても、映画に溢れる「怒り」は、生々しいものだ。 1970年代末のロンドン市内、ブリクストンが舞台。 主人公ブルーは工場で働きながら、仲間たちと「サウンドシステム」を持ち、DJをしている。 ブルーたち移民二世は、ナショナル・フロント(NF)や町の白人たち(大人も子どもも)による直接的な差別言辞や暴力、さら

          英映画「バビロン」--"移民"たちの怒り

          NHK特集「海辺にあった、町の病院」

          東日本大震災から12年目となる、今年2023年3月11日の前後、関連したテレビ番組はその殆どがNHK、ETVのものだった。 特筆すべきは、3月11日に放送された、番組化まで12年目を必要としたとも思わされる、宮城県石巻市雄勝町にあった市立雄勝病院での津波被害者の遺族たちの言葉を伝えたNHKスペシャル「海辺にあった、町の病院〜震災12年 石巻市雄勝町」だと思う。 タイトルに「震災12年」とあるように、12年が経たないと表明できない声があるという事実は、とても重い。 番組は

          NHK特集「海辺にあった、町の病院」

          仙台・荒浜で、2011年の夏

          2011年8月、私は仕事の関係で、短い期間だったが、仙台市にいた。 そのときに関わりのできた市役所の人が、被害の激しかった仙台市若林区の荒浜地区を案内してくださった。 あの日の二日後は、津波被害に備えた、市民向けの防災講座を催す予定だったが、間に合わなかった、もう数日でも早く開催していれば、と彼は悔やんでいた。 それはしょうがないことです、と私には言えなかった。 車で避難を呼びかけ続けた市役所の同僚が二人、亡くなった、と伺った。 今日は、12年目の3月11日だ。

          仙台・荒浜で、2011年の夏

          78年目の3月10日と、網走の「タコツボ」

          私は東京の東部で生まれ育ったから、3月10日と、9月1日はとても思い入れのある日付だ。 9月1日は1923年(大正12年)に起きた「関東大震災」の日で、今年はちょうど100年となる。 1945年(昭和20年)3月10日に日付の変わった深夜、アメリカ軍は東京の下町地域、深川・本所・浅草・日本橋の各区を第一目標として、300を超えるB-29爆撃機を低空にて侵入させ、その数延べ38万発、1665トンもの焼夷弾を投下し、大火災を引き起こし、結果として東京東部から中部の広範囲にかけ

          78年目の3月10日と、網走の「タコツボ」

          ETV特集「ルポ 死亡退院」

          2月25日放映されたETV特集「ルポ 死亡退院 〜精神医療・闇の実態」は、60分でまとめざるを得ないのが勿体無い、とつくづく感じる、極めて意義があり、しかし非常に暗鬱とさせる内容だった。 東京の八王子市の山腹にある「滝山病院」に勤務する看護師が2月、入院患者への暴行容疑で逮捕され、監督行政である東京都も調査に入った。 「死亡退院」とは、東京都内の精神科病院70箇所の死亡退院率は平均3%であるのに対し、滝山病院の死亡退院率が65%と、正に異常に高いことを指している。 恐ろし

          ETV特集「ルポ 死亡退院」

          映画『PLAN 75』の確かな肯定感

          昨今"話題"の「高齢者は集団自決、集団切腹すれば」云々の発言に対しては、ダチョウ倶楽部さんの名言を拝借して、「あなたから、どうぞどうぞ」と言うより外ない。 だいたい、子どもたちから見れば、この発言者も立派な高齢者なのだから、きっとこれはギャグのつもりなのだろう。余りにも低劣だが。 2016年、神奈川県で起こされた障がい者施設での殺戮事件について、何年も考え続けている。 「事件を起こした理由は?犯人は何故こんなことを?どうしたら犯人は人を殺さなかったのか?」と。 しかし最

          映画『PLAN 75』の確かな肯定感

          50年前に「はだしのゲン」を読んだ「子ども」は思った

          「はだしのゲン」を読んだのは、週刊少年ジャンプに連載されていた時だった。 私は当時、小学生だったので、年齢なりにショックな、恐ろしいシーンはあったが、原爆、戦争とは「そういうものだったのだ」と素直に感じた記憶がある。 記憶がある、とはっきり言えるのは、単行本化された後は「学校で大っぴらに読めるマンガのひとつ」となって(他は「マンガ 日本の歴史」くらい)、私だけでなく、クラスのみんなが、何度も繰り返し読んだ・読めたから、が理由だ。 その頃は、敗戦から「まだ」30年経ってい

          50年前に「はだしのゲン」を読んだ「子ども」は思った