ショートショート 981~990

981.ずっと昔に売り飛ばした幸福を、君が僕にと持ってきた。それは一等美しく、何故手放したのかと思ったが、成る程僕が持つと嫌に燻んで一等無意味になってしまった。「一寸待って」僕はそれを見事なブローチに仕立て上げ、君の胸元へ付けた。

有難う、そう微笑む君を見て、やっと幸福の意味を知った。

・・・

982.壊れた方位磁石を持って僕は旅をする。穴の空いた水筒に、時期の逃した星図、空想ばかりの図鑑、割れたスノードーム、片方だけの靴下、角を無くしたユニコーン、足跡だらけの地図、ほんの小さな手乗りの鯨と、色の付いた君の影。壊れた物しかない世界、鞄にそれだけ詰め込んで、全てを綴る旅をする。

・・・

983.思い出の中に置き去った、古い三日月がありました。薄荷飴だけを残したドロップ缶を覗くと、中で満月と目が合った。売れ残った幸福を半額で買い、無くした月の代わりに空へと投げる。本から光が漏れるので、開けると其処には大きく「月」と一言だけ。蛍光灯を落として割ると、中から新月が転げ出た。

・・・

984.暗い寝室にて、積まれた本の一つから細い光が漏れていた。カーテンの隙間から射すように平行に光り、柔く床を照らしている。やけに見慣れたその光は薄荷水のような愛嬌と涼しさを持っていた。一体何の本か知ら、それは真珠の様に白い本で、光るページを開くと其処には大きく「月」と一言綴られていた。

・・・

985.路地裏の奥に蔦塗れの廃ビルがあった。窓を覗くと魚が泳いでいる。どうもビルの中身をくり抜き水槽にしたらしい。ほんの数分の事だが、屋上に着いた頃には夜になっていた。そこには船に乗った少女が薄荷飴を撒いており、「いずれ月になるのよ」底の見えぬ水の中、月長石色をした魚達が円を描いていた。

・・・

986.金木犀の香りがする夢だった。

光と影が明確な月夜の街を一人漂うと、不意に前に壁が現れ、左右背後も囲まれてしまい、見上げると蓋をするような月が天上一面を覆っていた。

次の日散歩をしていると道端にチューリップが咲いていた。中を覗くと、あの金木犀の香りと共に小さな黒曜石が此方を見ていた。

・・・

987.月が所有する最後の箱庭には、絶滅した花や虫、そしてケンタウロスの少女が一人いた。螺鈿色の髪とタンザナイトの瞳を持つ、硝子細工の様な少女は自分も何かの花だと思い、果てのない小さな箱庭を彷徨っている。「おやすみ」少女が眠るのを見届けた月は灯りを消した。箱庭の外には砂漠が広がっている。

・・・

988.本を開くと乱丁していた。

「一体どしうたんだろう」捲ると乱丁どろこか転び文字、文あはべこべに飽和している。ふと部屋見を渡すと、どしうこたとだろう、机や椅子、観植葉物どなが壁に天井に張き付り埋れいてた。驚いを目て瞑り、深呼吸すると本は元通り乱丁などはなく、全ていつもどりおだった。

・・・

989.朝、白いマグカップを覗くと小さなおばけが入っていた。どうやら夜のうちに帰りそびれたらしい。「お腹が減った様だね」と猫が言うのでマシュマロを出すとふわり出てきて吸い付いた。急に窓に霜が降りてきたので開けると大きなおばけが、どうも母親らしい。別れを告げ、僕たちは遅めの朝ご飯を食べた。

・・・

990.「君は若すぎて、歳をとったと思う程には君達の寿命は短すぎる。諦めたまえ、この通りだ」額にキスが落ちる。顔の思い出せない紳士に酷く恋をする夢を見て、私は目を覚ました。顔を洗おうと洗面所へ行くと額に赤い三日月がついており、触った途端に消えてしまった。零れた涙から夢で香った薄荷が漂う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?