業務改善に取り掛かる
なかなかに大変なことですね。
そして、本来ならば私みたいな若手がやるような仕事ではないのではないかと思ってしまいます。
いろんなところで見えていなかった仕事を、少しずつ見える化しようとしています。
見えないほうがなんとなくグレーなままでよかった、という考え方もあるのだと思います。
それがいい方向に作用する場合もあると思います。
特に私学で良くも悪くもなあなあにして幅をもたせておく、という意味で。
大半の教員が仕事ができ、気遣いができ、手の空いている人が誰でも率先して仕事をするような職場では。
もしかしたら、自分の職場も昔はそうだったのかもしれません。
もしかしたら、昔は業務量が少なかっただけかもしれません。
なんだかはわかりませんが、今まではよかったのでしょう。
経験の長い人がなんとなくバランスを取りながら、なんだかんだで仕事がまわっていく。
そしてそんなに大きなトラブルにも発展することもなかったのだと思います。
しかし、ここ最近の「責任の所在を明確にする」という風潮とか、経験の長かった先生方がどんどん定年退職を迎えていくというようなこともあってか、風向きが変わってきているような気もしています。
そんな中で、自分が少しずつ取り組んでいるのは仕事の見える化です。
ある程度の経験がある先生なら、学校現場ではどういうところに気をつけながら仕事をしなければいけないのか、というのは感じることはできると思います。
しかし、若い人が増えてくると、それに気づくことができない人たちも増えてきます。
学年の大半の教員がてんやわんやしている中で、我関せずに教材研究を進めてしまう、というようなことも起こったりするわけです。
どういう仕事があって、どういう気遣いが必要でというようなことをまずは知らなければいけない世代が増えてきているのかもしれません。
ちょっとした細かいことから、大きな仕事の流れまで、なんとなく口伝えで伝わって回してきたのかもしれませんが、やはり伝言ゲームのようなことはあるわけで、だんだんと仕事のしかたとか、やり方とか、気の遣い方とかがブレてきつつあるような気がしています。
最近感じるのは、本質は何かということ。
もちろん、今回のコロナの件も同じで、人が動けが拡大する。
じゃあ、人を動かさないようにすればいいという対策が取れないでいる。
あるいは、みんなやっていないから自分のところも通常出社でいいよね、みたいな。
今回の校務の場合も、アレンジする部分はあってもいいとしても、その仕事の本質は何か、何を変えてはいけないのか、というようなことをよく考えながらちょっとずつ見える化しています。
そんな仕事はもっと偉い人がやってくれよ!
という感じなんですけれども、やる人がいないのならしょうがないです。
自分も少し立場が上の人、年齢が上の人をうまく巻き込みながら、相談しながらやっています。
あ、話は脱線しますが、最近は報連相ではなく、「報連相だね」に増えているのだというツイートを見ました。
報告・連絡・相談・打ち合わせ・根回しで報連相だね。
なんか、言い得て妙過ぎますよね。
自分が立場や年齢が上の人をうまく巻き込んでいるのは根回しなのかもしれません。
今週はこんな問題もあったりして、記事更新の頻度が落ちました!
すみません!
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