第9回学校空間における、落ち着き・清潔さ・規則性について
連載「新しい教育のために学校の空間的環境を変える」の第9回です。オランダのイエナプランスクールの教員研修などをされている、ヒュバート・ウィンタースさんに全12回にわたって学校空間に関してお伝えいただきます。翻訳・解説は、オランダ在住の教育研究家、リヒテルズ直子さんです。
学校空間における、落ち着き・清潔さ・規則性について
オランダで、子どもたちの養育について語るとき、私たちはよく「3R」という表現を使う。それは、Rを頭文字にした、次の三つの言葉を意味している。Rust(静かに落ち着いていること)、Reinheid(清潔であること)、Regelmaat(規則性があること)の三つだ。
もちろんこの三つは、とくに子どもたちにこうした観点に注意をして行動するようにと促すためのものだ。次のようなこともよく言われる。
自分がやり始めたことは途中で投げ出さずに最後までやり遂げ、自分が使ったものは自分で片づけること
すべてがきちんと片づけられるまでは、誰も教室の外に出て行ってはいけないこと
これらは、子どもたちを指導するうえで、大切な大原則として伝えられる。
年度初めの最初の何週間かは、新しいグループの子どもたちと一緒に、教室の中に置くものの位置を決めたり、内装を整えることに注意を払ったりするとよい。大切なのは「教室は、担任の先生のためだけにあるものではない」ということに気づくことだ。教室はグループの子どもたち、みんなのためのものだ。だから、「さあ、みんなの教室をどんなふうに整えようか?」という言葉がけから始めてほしい。
また、この年度はじめの時期には、「自分にまだできないことがあるなら、学んでできるようにならなくてはね」という考えを子どもたちに提示し、行動の仕方を学ぶ期間にするといい。
そのなかで、みんなで一緒に教室の整理整頓をすることを子どもたちに学ばせる。このようにして、子どもたち自身が「自分の教室を綺麗に維持しなければ」という気持ちを持つようになれば、その教室の雰囲気は落ち着いたものになっていくはずだ。
また、教室での雑音が子どもたちに不快感をもたらすものでないように気をつけなければならない。そのためには、教室の中で起きる雑音について、うまくコントロールできるように、目印を使ったり、シンボルを用いて示すようにするとよい。
ほかにも、たとえば下の写真にあるように、サイコロのようなブロックをシンボルにすることもある。
教室や学校の内装を変えるときにも、始めにあげた3Rの考え方を使って検討してみるとよい。これは、自立・責任・協働という考え方をもとに、子どもたちの自主性を尊重して指導をしている学校に対しても、私はあえて薦めたい。
教室や学校の内装に彩色を使うということに対しては、多くの人が関心を寄せる。確かに、色を使うことで、人が働いている環境は大きく様変わりするし、その影響は甚大だ。
だからこそ、どんな色を使うのか考えるときには、そうした色合いが子どもたちの気を散らせることがないように注意し、同時に、だからといって何の変哲もないグレーや白ばかりの、寂しい色にしてしまわないようにすることも大切だ。
子どもたちが着ている服や持ち物、教室に置かれている教材群、壁に展示されているものなどは、すでに多くの色を教室にもたらしている。だから、教室の内部の壁や床、椅子や机や棚などの色を決める際にも、そのことをぜひ考慮に入れておくとよい。
同じことは、照明についても言える。光の明るさや色のある光を使うことは、教室の雰囲気にポジティブな影響をもたらすことは確かにあるが、同時に、子どもたちの仕事に対してネガティブな影響を持つこともあるということを忘れてはいけない。
その意味でも、学校で新しい建物を建てるのであれば、ぜひ、インテリアデザインの専門家にアドバイスを受けるのがよいだろう。
上記に示した4つの写真にある教室は、皆異なる内装だが、自分で最も好ましいと感じられるのはどれだろう。
また、なぜそう感じるのだろうか。
教室に落ち着きをもたらすために
古典的な、つまり、生徒全員が教壇に向かって座り、教師が教壇から一斉授業をするスタイルをやめるのならば、教室の内装や配置は、これまでとは異なるものにしなければならないのは当然だ。
まずは、その教室にいる子どもたち全員と円座になって話をしよう。教室の空間の一部をいつも全員が円座になれる場として空け、椅子や床に置いたクッションなどを使って円座になる。
オランダの学校の中には、教室内の決まった場所をいつも円座のために確保しておき、いつでもすぐにみんなが円座になれるようにしているところもある。
古典的な一斉授業をやめれば、子どもたちの指導は小さいグループに分けて行うことになるだろう。そのためには、指導を受けている小さいグループの子どもたちだけに電子ボードが向き、ほかの子どもたちの学習の邪魔にならないように注意しておくことも大切だ。電子ボードを設置する際は、向きを簡単に変えられるものを、教室の片隅に確保されたインストラクションコーナーに設置するのがよい。
すべての子どもたちが全く同じ時間に全く同じことをするという、画一一斉授業をやめると、教室内に、特別なワークスペースとしての「コーナー」をいくつか設けられるようになる。こうしたコーナーには、それぞれのコーナーの活動に必要な道具を近くに置いておく。
全体像や枠組みの理解を通した落ち着き
落ち着きは、規則的なリズムを設けることからも生まれる。できる限り、「誰が何をしなければならないのか」「誰が何をしているのか」をいつでも理解できるような枠組みを使う。
そのために、4、5歳児など、まだ幼い子どもたちには、写真のような計画ボードを使う。この計画ボードでは、簡単な絵(ピクトグラム)を使ったシンボルで、どんなアクティビティが行われるのかが、わかるようになっている。子どもたちは、自分の名前が書かれた(マグネットつきの)札を、それらのアクティビティのなかから一つ選び、そこに貼る。
それぞれのアクティビティには、最大何人まで参加できるかが示されているので、子どもたちはごく自然に、お互いに譲り合ったり、誰と誰が一緒にそこに行くかと話し合ったりするようになる。
年齢が進むとともに、子どもたちは自分で「学習計画」を立てるようになる。最終的には、1週間にわたって自分で計画を立てて学習を進めるようになる。
教室は私たちみんなのためのもの
教室の内装、たとえばテーブルや棚などをどこに置くか、壁をどのように飾るかといったことについて、子どもたちと一緒に考えるようにし、子どもたち自身でその場を整理整頓されたものにするようにしていくとよい。
よく、ちょうどこの下の写真にあるように、何でも先生が自分できちんと並べて壁に貼るということが行われていると思う。でも、子どもたちに同じことをするように教えてみるとよい。
そして、子どもたちに「先生はどんな教室をつくりたいかわかる?」と聞いてみればよいのだ。そして、貼り出されたものについて、子どもたちと一緒に、みんなで見直し、意見交換をするとよい。
落ち着いて静かに一人で学ぶ場所
子どもたちは、ときには、一人っきりになって仕事に取り組みたいという欲求を持つことがある。一人になってよく集中したいといったときだ。この子は、棚と棚の間に机を置いて集中して学んでいる。
片付けやすい仕組みを
清潔さ
教育学者のなかには、子どもたちが自分で学校の清掃をするべきだと主張する人もいる。つまり、子どもたち自身が、学校を清潔に保つための責任を持つということだ。しかし、学校は清掃業者が清掃するものだと思って育ってきた保護者たちのなかには、清掃に生徒をかかわらせることに難色を示す人たちもいる。
試しに、子どもたちに、汚れたトイレについてどう思っているか、聞いてみるといい。そして、トイレが汚れているときには、みんなでどうすればよいか、話し合ってみる。
よく、学校は壁に注意書きを書いた紙を貼り出して、子どもたちに注意することがあるが、それよりも、まずは、子どもたちの意見を聞き、子どもたちにかかわらせ、子どもたち同士で改善案を考えるようにしていけばいい。
翻訳者より リヒテルズ直子
これまでの回にすでに書かれていたこととの重なりもあるが、今回は、学校は、落ち着きと清潔さと規則性が保たれて初めて子どもたちにとって心地よい場となり発達を促せるものだ、という観点から学校空間のあり方、学校空間の工夫のための原則となる考え方が書かれている。
オランダでは、1970年代に、教室にいろいろな彩色が使われるようになった。実を言えば、学校に限らず、市役所、銀行、公共センター、病院など、人々が集う場所に温かい色彩の壁や家具類が置かれるようになったのも、この頃だ。壁の色を白やグレーから暖色に変えるだけで、そこに集う人々の気持ちは安らぐ。公共の場所だからといって質素にする必要はなく、公共の場であるからこそ、市民の場であるからこそ、少し贅沢に見える色使いが好んで使われるようになった。
しかし、この傾向は、やや行きすぎた感もあり、1990年代あたりから、徐々に、鮮やかな色彩よりも、自然色やパステルカラーを使う傾向が増えてきた。色を使いすぎるな、とも取れる本文の表現にはそういう背景がある。
他方、雑音への配慮と、そのための工夫があるのは、日本の教室にとっても大変参考になるのではないだろうか。信号機のようなもの、印が書かれたサイコロのようなブロックは、オランダの学校に行くと実によく見かける。とくに、モンテッソーリ、ダルトン、フレネ、イエナプランなどの、オルタナティブスクールの教室ではしばしば見かける。
もともと、一斉授業に慣れた教室では、何事も、教師の言葉がけで指示が行われる。しかも、日本の教員養成では、「声がよく通ること」がポジティブに受け止められている。
しかし、教室中に響く教師の声は、子どもたちにとって必ずしも快適なものではない。大声で怒鳴る教師などは、むしろ子どもたちにとっては威嚇であり、不快感をもよおすものだ。実際、オランダの小学校の先生たちは、大きな声を張り上げない。教室の前から、最後部の席に座っている生徒の行動を大声で注意するなどすれば、そういう教員はよい教員だとは思われない。
なぜなら、一人の生徒を大声で注意することで、その生徒を「みせしめ」にし、ほかの生徒に恐怖感を与えているからだ。注意は、その子の近くまで行ってその子にだけ聞こえる声でするもの、という考え方が主流だ。
こういう背景からも、この「信号機」の意味がわかるのではないだろうか。また、子どものなかには、質問をしたくても、手を上げる勇気がない、自分から先生のところに行く勇気がないという子もいる。そういう子にも配慮がいくように、このサイコロのようなものが用意されている。
学校は、子どもたちが少しずつ、自分なりのテンポで成長していくのを支える場所だ。成長の一部には、行動の仕方も含まれる。また、他者の迷惑にならないこと、仲間との社会生活に対して責任を持つことも含まれる。こうした行動は、枠組みを持って指導され、失敗を繰り返しながら身につけていくものだ。
だから、教室を綺麗に保つこと、トイレを綺麗に使うことも、教師から「注意される」からやるのではなく、自分たちにとってそれが快適であるから進んでやるものでなければならない。そう筆者は言っている。
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