想像力で生き抜けろ!
この世の中に「絶対」ということがあるか、というと、そんなものは無いと思う。
だが、子どもが育つうえで「絶対」があるとすれば、
「暑くない」「臭くない」「お腹が空かない」
この3つだと、私は考える。
そう思うには理由がある。
私達きょうだいは、家の庭にあるプレハブで幼少期を過ごしていた。
父が自分の家を子どもに汚されるのが嫌だから。というのが主な理由だ。
自分には湯水の様にお金を使う父だったが、(もちろん自分のお金ではなく、母のお金だ)
子どもには一銭もかけたくない父。
仕方なく建てたプレハブには断熱材などなく、クーラーもついていない。
トイレはポータブルトイレだった。
もちろん冷蔵庫も無ければ、食べ物も飲み物もない。
夏の暑い日、学校からプレハブに帰ってきても、灼熱の部屋の中
ポータブルトイレからは、自分達の排泄物から漂う臭い匂い
喉がカラカラでも飲む物が無いため、私達はプレハブなんかに居ないで、公園の水飲み場に直行する。
公園の水飲み場の水道は、上に水が噴き上がり、沢山水を出すと噴水の様になる。
そして水しぶきが太陽の光にあたり、キラキラしていて、自閉症の弟は、それを見て喜んでいた。
いつもキラキラした水を見つけては、その光を掴もうとしていた弟は、頭の中でどんな想像をしていたのだろう。
「暑くない」「臭くない」「お腹が空かない」
という私なりの育つための「ない」の3原則にくわえて、唯一「ある」と生きられると思うものは、
「想像力」である
弟は自閉症のため、想像力が弱いとされているみたいだけど、本当にそうかな?
動物を撫でるだけで、動物から好かれるし、私達には全く見えない細かくて早い虫の動きも分かってしまう、光を掴もうとするなんて、掴んでみようと想像して、掴んだ先に何があるのだろうとワクワクしているから、行動するのではないだろうか。
そう!「想像力」は、ワクワクを産むのである。
公園に行くと、草があり、花があり、少し錆びれた遊具がある。
木が植えられていて、木陰があり暑さをしのげる。
風の香りが漂い、夕方になると近所の家から美味しそうなご飯の香りがして、臭いどころか、良い匂いがする。
お腹が空くのだけはどうしようもないが、外にいると私はたちまち想像の世界へ旅立つことができる。
今、私は小さくなって、公園の森という巨大な森の中を冒険している。何百年も前には文明が栄えていたであろう巨大な建造物は、今や蔦に覆われ、森にのみこまれようとしている。
手には剣と盾を持ち、いざ悪の魔物と戦いに行くのだ。
長旅のため食べ物も少なくなり、空腹ではあるが、この戦いに負ける訳にはいかない。
旅の途中で出会う羽がある虫達に助けられながら、高い木の上に登り、地図を見ながら自分の進むべき道を確認する。
遠くに湖があり、そこにキラキラと輝く光が見える。魔法使いの弟は言う。
「あの光を掴めば、湖の国へと繋がる事が出来る。湖の国に行き、まずは湖の女王に会いに行こう」と。
想像は尽きることなく、私をずっとワクワクさせてくれ楽しませてくれる。
想像の世界では自分は何にでもなれるし、現実の世界は、たちまち見たこともない不思議な世界に変化するのだ。
虫や植物とも話ができ、その世界にも意地悪な人や理解出来ない出来事なども沢山出てくるが、私はそうした出来事にも怯むことなく、向かっていける勇気を持つことができる。
想像することで、楽しみ、喜び、悲しみ、勇気など、様々な自分の感情と向き合える。
そうして、自分自身と向き合えたことで、現実世界に立ち向かえる力を養うことができる。
未来のためにできることがあるとすれば、それは、子ども達が自由に「想像できる」環境を守り、作るということだと思う。
自分ではどうしようもない困難な状況に置かれる事もあるが、子ども達が最後まで人生を「生き抜く」ことが何よりも、何よりも大切だ。
「暑くない」「臭くない」「お腹が空かない」
の3原則に、「想像できる」を追加する。
公園の森から30年後、私は自分の農園で、今でも小さくなって冒険をしている。公園よりも、もっともっと広大な森だ。そして、5人の子どもを育てている。
自分の子ども達はもちろん、弟の様に障害を持っている子ども達も、自分が想像したいことを誰にも邪魔されずに想像して遊べる場も作っている。
私に出来ることは少ないかもしれない。
しかし、子ども達は誰でも「想像できる力」を持っている。
環境を整え、守り、子ども達を見守ることが、私にとって「未来のためにできること」なのだ。
#未来のためにできること
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