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【成長したい奴の気がしれない】ていねいに書く雑文⑦20220604

【成長したい奴の気がしれない】

わたしは成長したいと公言する人が割と苦手だ。キライではないが、自分にはないキラキラ感を覚えて身構えてしまう。

わたしだって腹筋バキバキになりたいし、肌年齢は20歳ぐらいになりたい。でもどうやらそれは「成長」とは言わないらしい。

では「ライターとして成長したい」だとどうだろうか。というより、ライターとしての成長って何だろう。多分収入が上がることじゃないな。文章が上手くなることだろうか。

でも「上手い文章が書けるようになりたい」と「ライターとして成長したい」は同義ではない気がする。

「成長」という言葉の前には「社会的に」という言葉が隠れているように思う。

社会は成長しろとプレッシャーをかけてくるくせに、「成長させてくれ」という人を拒む。
わたしは新卒の就活のとき、とある企業への履歴書に「成長できる環境と思った」だか「貴社のような環境で学びたいと思った」だかといったことを書いて、あっさりと落ちたことがある。その際に担当者から「会社で学びたいという表現はやめた方がよい」といった主旨の丁寧なフィードバックをいただいた。

言われてみれば当たり前。企業はわたしの学校じゃない。「一生懸命がんばります!」じゃダメなんだ。がんばるかどうかよりも社会ってのは結果なんだと知り非常に勉強になった。

この経験からわたしが学んだことは「成長とは何かに頼ってするものではなく、勝手に自分でするもの」だということ。この考えがあるものだから「成長したい」とか「成長できる環境に身を置きたい」とか公言する人に対して、「なぜあえて口にするのか」と思い、「口にすると(成長させてくれって意味になって)ダサくねぇか?」と思ってしまう。

とはいえ、「成長」を口にする人は総じてデキそうな人だ。たぶん実際にデキる。だから苦手だ。自分がデキる奴じゃないから「デキる奴コンプレックス」がある。いつも通り、勝手にビビって、勝手に苦手意識を抱いている。

別に人が成長しようとするのを止めようとは思わない。今よりステップアップしたいと考えるのはステキだと思う。ただ、俺の見えないところで勝手に成長してほしい。あなたが成長したらしたで、また勝手に自己嫌悪に陥ってしまうから。

どうやら「成長」という言葉自体がトラウマになっているようだ。

だから、成長したいと口にする奴の気がしれない。

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