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【表現のじゆうちょう】ていねいに書く雑文⑥20220603

【表現のじゆうちょう】

noteってのは表現の自由帳だなと。好きなことを本当に考えなしに書いている。ブログとも仕事で書く文章とも違う。ブログでも十分好き勝手書いていると思っていたけれど、型や枠すらない感じ。

自分は文章を書くのが別に好きではないと思っていたけれど、これは楽しい。クリエイティブな人間ではない自覚はあるものの、なんだかんだでそういうことに憧れてるんだな。

構ってちゃんというか寂しがり屋というか、要は注目されたいわけで。その方法は何でもいい。何なら大喜利でもいい。

noteには不思議なところがあり、「やたら読まれる」。1割ぐらいは自分かもしれないがそれを差し引いてもやたら読まれる。

いくらnoteのドメインパワーが強かろうと、「ていねい 雑文」なんてキーワードで検索されているはずはないので、noteの中で読み物を探している人がいるんだろう。

最近「なろう小説」ってのが何かを知った。小説を書きたい人の投稿サイトのようなものがあり、そこに投稿される小説を指すらしい。小説が読みたかったらそのサイトに行く、という人も多いみたい。noteも似たような立ち位置なのかも。

もしかしたらだけど、自分の周りの人には、わたしがこういうどうでもいい話を書くのが求められているのかもしれない。

わたしはライターになるまで、正社員の経験もないし、大きく稼いだ経験もないし、何の資格もない。ないないづくしから始めたので、正直なところ「割と苦労したな」と思っている。

だからこそ、なんとか生活できるようにまではなれた経験を活かし、「何にもないところからライターを始める人のロールモデル」になれるんじゃないかと思っていた。これこそが俺の使命だと自負していた。

他のライターさんと比べるとスタートラインがずっと後ろだったと思っていた。「俺の方が走ってきた距離は長いぞ」と。

そういう流れで考えるのは割と正しいと思うんだけど。

ただ、今少し冷静に考えてみると、もしかして「自分は恵まれていないアピール」をしていただけなのかもしれない。実際に何もないところからスタートしたかどうかは関係なく、「わたしってかわいそうでしょ」と言ってるのと同じだったのかも。

となると、1年ほど毎日更新したブログが実質的には鳴かず飛ばずだったのにも納得がいく。恵まれていないアピールをするやつの話は、たとえ有益だろうがなんだろうが、好き嫌いが激しく分かれるはずだから。

少し卑屈すぎたかもしれないが、noteはチラシの裏だからいい。

これからも表現の自由帳を、ていねいに、雑に埋めていく。


最後に、「表現の自由帳」だなんて、なかなかいい表現をするやんけ、と思ったそこのあなた。残念ながらこれはわたしの言葉ではない。わたしはクリエイティブな人間じゃないんだ。

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