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【見えている世界の違い】ていねいに書く雑文~その62~20220729

【見えている世界の違い】
別に堅苦しい話ではなく、現実世界での視野や視界の違いの話。

わたしは普段、割とキョロキョロしている。歩いているときは特に。これは田舎者特有の習性なのかもしれない。とにかくキョロキョロしている。

商店街ならお店を見るし、おうちの玄関が開いていたらチラ見してしまう。
妻はキョロキョロしていない。だからわたしが発見したものを指さして「あー、あそこに〇〇があるね」なんていっても、すぐには見つけられない。背丈も大分違うので、指さしたものがどれを指しているのか分からないこともよくあるようだ。

そういうときは大抵、歩きながら指さしているので、歩いているうちに見えなくなってしまう。すごく当たり前のことなんだけど「見えているものが割と違う」ことに最近ちょっと驚いた。

「え?なんで分からんの?」とモヤモヤしていたところ、同じ日に妻から「あそこに~」と指さされてもこっちも分からなかったことがあり、気が付いた。「見えているものが違うんだ」と。

正確には「注視してしているものが違う」といった方がよいかもしれない。
このことは「へー」で「ほー」だ。ちょっとした驚きや発見があるものだ。

少し中2病的な話になるけれど「見えているものが違う現象」に関連して、割と不思議に思っていることがある。それは色とか味について。

たとえば空は青い。ブルー。みんな「空は青い」というけれど、わたしの「青」とそれ以外の人の「青」が同じとは限らないよなと。わたしには青く見えていても、別の人にはオレンジに見えているかもしれない。でも、その人はオレンジのことを青だと思っていたら、その人にとっても「空は青い」になってしまう。これは勘違いとかの話じゃなく。

味もそう。「酸っぱい」は酸味で、「甘い」は甘みだけど、果たして同じものを食べたときに、わたしとあなたは本当に同じ「味」に感じているのだろうかと。もう、なんか不思議。なんか自分が見えていない背中側では「だるまさんがころんだ」って目を覆って言ってるときみたいに、いろんなことが起こっているんじゃないだろうか。見えていないだけで。そんな風になんか思ったりなんかしちゃったりなんかして。

関係ないけど「だるまさんがころんだ」って、どれくらい動いたら「動いた!」って言っていいのか迷うよね。

まぁ、「見えているものが違うから何?」と言われればなんでもないんだけど。でも、そんなこと言ったら世の中のほとんどのことは「だから何?」なわけで。そんな醒めた目で見ずに、「ふんふん、それで?」と楽しめたらいいよね。

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