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「骨が折れても私が看なあかん」62年連れ添った夫婦が直面する日本の介護の現状

京都市北区の細野寛さん(88)はアルツハイマー型認知症の中期の症状で、会話が難しくなってきています。長年連れ添った妻の直子さん(83)には、寛さんの言動の意味が分かります。しかし、理解していても心身共に疲れる場面が増えてきました。直子さんは「耐えられへんときがあります」と私に打ち明けました。

半年間取材して見えてきたのは、日本における介護の現状でした。27枚の写真と夫婦の言葉から、認知症介護の現場で起こっていることをお伝えします。(松村和彦)

直子さん
お父さん、自動車を運転してて、赤信号なのに無視したんです。
病院で検査したらアルツハイマー型の認知症と分かりました。
病院の先生に「車に乗ったらだめですよ」と言われて、免許証を返しました。
2014年、80歳の時です。
京都・西陣の「整経」で5本の指に入った職人でした。
運転をやめてからも得意先の人が品物を運んでくれて仕事を続けました。

お父さんは京都府北部の丹後出身です。
西陣に出てきて職人になりました。
私も西陣で帯を織っていました。
結婚して、家を買って、1階を工場にして一緒に働きました。

運転をやめて2年ほどたったころです。
取引先からの電話で「ひわ色できていますか」と聞かれたみたいで、
「ひわ色ってどれや?」と私に聞いてきました。
「色の名前が分からんようになったんか」と思いました。
ええ腕で通っていた人。「ここでやめるのが花やで」と説得して。
お父さんが82歳の時です。
「やめんのは嫌や」と言って、さみしそうでした。

お父さんが86歳の時、散歩に出て夕方になっても帰ってこないことがありました。
警察に捜索願を出しました。
真夏に外に出て長時間です。
「どっかで倒れて死んではるかも」と思いました。
警察から電話があって、迎えに行くと「よう来てくれた」と手を振って、ほっとした表情でした。

お父さんはそれからも散歩に出かけました。
GPSの入った靴を準備しました。
近所の道でも「分からへん」と言います。

この前、帰りが遅いから携帯で見てみたら、すぐそこまで帰ってきていました。

後ろから付いていったことがあります。
健康のために昔から日課で散歩していたコースを歩いていました。
そのコースは覚えているようです。
帰ってこなかったのは夏の1度だけでした。


寛さん「飯の用意してくれ」
直子さん「まだ時間早い」
寛さん「頼む、頼むわ」
直子さん「まだ時間が早いの。無理なことばっかり言わはる」

直子さん
ご飯をなんぼでもくれくれ言うんです。
食べさせんとうるそうて。
おいしい思て食べてくれてるのかな。
認知症になる前、私の友達が家に来てたら、「もう飯やし帰って」って言ったんですよ。
よう62年も過ごしてきたと思いますわ。でも、私を頼るしかない。
私も放っておけへん。
構い過ぎと周囲からは言われるんです。

お皿に残ったご飯粒をねぶって食べるようになりました。
やめときって言うてもするんですよ。
昔からご飯粒を残さない人でした。



寛さん
もうみんなおらんねや

直子さん
近所の友達がみんな亡くなってしまったという意味ですわ。
一緒にカラオケに行った友達がいっぱいいたんですよ。
お父さんは演歌の夫婦の歌が好き。
いつも友達の前で「会津街道ふたり旅」を一緒に歌わされました。
恥ずかしいから嫌やのにいっつもです。
他の女の人とは歌わへん。私としか歌わへん。
恥ずかしがり屋で手をつないで歩いたこともない。
歌でしか言えへんかったんかな。

ひとつ越えても 山また山の
まるでふたりの 人生暦

(中略)

先は長いが よろしく頼む

「会津街道ふたり旅」より

直子さん
歌が上手な人でした。
仕事の時もいつも歌を聴いていました。

若い頃はギターが好きで、近くの飲み屋に持って行って、
弾いて人に歌わせたり、自分が歌ったり。
「ギター1本持って田舎から出てきた」
とよく言っていました。
仕事をやめたころから歌わなくなりました。

寛さん

あかん

あかん

わしはもう

何にも分からん

はつねデイサービスセンター主任相談員の青木敬さん

細野さんは85歳の時から来ています。うまく言葉が出てこないので当初はつらそうでした。
免許証の代わりにもらった証明書を出して見せて、これに全て書いてあるというような様子で「これわしや」と言っていました。みんなの雑談の輪に入ったりするのはしんどそうです。
ここは認知症に対応した少人数で家庭的な雰囲気のデイサービスです。
利用者が通ってこられて、朝から夕方まで過ごされます。
認知症の症状を把握した上で、人を知ることを大切にしています。
認知症を見てケアするのではなく、その人に向けたケアをします。
環境を整えることで本人も楽になり、問題も改善できることがあります。

青木さん
細野さんはいつも通りでないと気が済まない方です。
送り迎えはワゴン車の助手席でないと嫌です。
デイではいつもレースのカーテンを開けて、窓際に座ります。
日々を積み重ねてルーティーンになっていくと徐々になじんでいって、
デイの車を待つようになってくれました。


直子さん
職人だったお父さんはきちょうめんで自分のペースがある人です。
仕事が丁寧で横着できない人でした。




寛さん
自転車やってくれ



青木さん
「歌やってくれ」という意味です。
認知症の影響で言い間違えて話すことがあります。
ギターの時間をとても楽しみにしてくれています。
歌に合わせて「はいはい」という声や手をたたいて合いの手を入れてくれます。
みんなを楽しませようと家で練習してくれたようです。


寛さん
あんたが歌うてくれたから何年かぶりに声が出せたわ



散る桜

残る桜も

散る桜

寛さんと一緒にはつねを利用していた男性が筆で書いた句の言葉
良寛和尚の辞世の句と言われている

直子さん
2021年に入ってからお父さんの時間がめちゃくちゃなんです。
朝昼晩が分かっていない感じで、朝や昼にも寝ます。
夜に起きたら覚醒してしまう。
「はよ起きい」と連発して私を起こす。
「寝なあかんやん」って言っても表に出たり入ったり。
話が通じひんからかなんのです。
私は睡眠が取れずにしんどいです。

直子さん「汗かいたから着替えよう」
寛さん「あかん。痛い。あかん。痛い、痛い、痛い」

直子さん
近所の人は何してんねやろうと思うやろね。
お父さんはとにかく触られるのが嫌。そやけど、汚れてるから。
便で汚したときにお風呂に入れるのは大戦争ですわ。
ほんまに大変な重労働。素直に言うことを聞いてくれたらね。

青木さん
デイサービスは日中の6時間だけ。直子さんの介護の負担軽減には足りないです。
今の在宅介護は家族の支援が必要なのが実際です。
本人の100%をかなえるにはおうちの人がもちません。
お風呂に無理やり入れるのはしたくないですが、汚れたままではおうちで大変です。
我慢していただいて、デイで入ってもらうようにしました。
特別養護老人ホームで宿泊するショートステイを増やせればいいんですが、1カ月に1回の慣れない場所で混乱して、不安になると職員がつきっきりになって1泊が限界です。

青木さん
細野さんは10月末ではつねをやめることになりました。
付き合いが切れるのはつらいし、さびしいけど、どうかお元気でおってね、
新しいところでうまくいってほしい、と願っています。
最後の歌には「星影のワルツ」を選びました。
細野さんはギターと歌を聞いて、よく涙を流していました。


別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため

(中略)

遠くで祈ろう 幸せを
遠くで祈ろう 幸せを

「星影のワルツ」より

直子さん
はつねはみんないい方で、ようしてくれはって、お父さんも車が来たら喜びました。
10月に私が腰の骨を折りました。
夜はズキズキと痛んで、歩行器がないとだめです。
お父さんを施設が預かってくれないと手術もできません。
特別養護老人ホームに入れればと考えました。
でも、今のお父さんは落ち着かずに、じっとしてへんから入れへん。
職員さんも大変やと思うけど、弱い体の私がお父さんの面倒見んとあかん。
困っているのにわかってくれはらへん。
もうちょっと老人ホームに入れるようにならへんのかなと思います。
今はデイから小規模多機能型居宅介護という施設に変えました。
毎日行けるし、同じ施設で宿泊もできます。
お父さんははつねから変わってすぐは「帰る」と言いましたが、しばらくすると落ち着きました。
今は喜んで行っています。
おかげで少し楽になりました。

寝てはるのを見て、なろうと思ってなったんとちゃうしなと自分に言い聞かせます。
そやけど、耐えられへん時があります。
なんで私がここまで看(み)なあかんの。
お父さんさえいいひんかったらこんな苦労せんでええのに。
ふと思うこともあります。
でも自分が認知症になった時に人にそう思われたらかなんなと思い直します。
私がいいひんと探すんです。
怒られても私がいいみたいです。



このシリーズを含む写真作品「心の糸」は京都国際写真祭 KYOTOGRAPHIEの関連イベントKG+SELECT2022」に選出され、以下の日程で写真展を開催中です。

会場名:くろちく万蔵ビル
住所:604-8214 京都市中京区新町通錦小路上る百足屋町374, 2階
日程:2022年4月8日~5月8日 10:30-18:00 (Last entey 17:30) 
入場無料

写真展についてのnoteはこちら↓




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