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吾輩は猫である。名前はまだ無い。
どこに居るのかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いている事だけは確かである。

法学部2回生、というのもなんだか違う。1回生のうちにとるはずだった単位も、まだ持っていない。友人はもうずっと難しい勉強をしている。正直、嫉妬している。京都大学の学生などと名乗ることもおこがましい。僕はもう何ヶ月もただベッドの上で、ぷかぷか浮いているだけである。何も考えてられない。考えては、いけない。


少し肌寒く、薄暗いような、教室。高校の、2年の、教室。
「『LGBT』って、聞いたことありますか?」
女性教師の声。なんだか気持ち悪い。LGBT?知っている。ずっと前から。イケメン好きで、女子より乙女な××先輩。女性教師に恋して恋バナばかりしている××ちゃん。××先輩××先輩だし、××ちゃんは××ちゃん。なのにどうして、LGBTなんて言葉でくくるのか。彼らは、宇宙人じゃない。
感想用紙。何を書けばいいんだろう。正直に「気持ち悪い」って書けばよかったんだろうか。

国会議員とかいう人が、政治がどうとか、障害児教育がどうとか喋っている。そんなことよりどうやったら大学に受かれるかを教えてほしい。我々は受験生だ。こんな時期に教師は何を考えているのだろう。でもそう、僕は優秀だ。だから真面目に話を聞く。質問もする。しかし質問をするほどおもしろい話でも……いや、障害とLGBTって、似てる。LGBTの話は興味がある。関連付けて質問すればいいんだ。それで……なんて言われたんだっけ。たしか多様性がどうとかそんな話だったような……。

寒くて怖い、冬。E判定。過去問が終わらない。バスを待つ塾帰り。気持ち悪い。僕って、あれ僕って女、なの?いや、女だ。男になりたいって思わないもん。なのに塾では、自分はどうしようもなく女の子で、それが気持ち悪い。自分は変だ。男になりたくもないのに、女じゃないなんて。
気づいたらスマホに手が伸びていて、へえ、Xジェンダー、そういうのがあるんだ。そっか、いるんだ、そういう人。おかしくないんだ。僕ってXジェンダーなのかな?まあいいか。とりあえず、世界史の一問一答やろ。

あ、ある。受験番号。

最高の気分だ。バスでは喜々として席を譲り、同じ1回生とは積極的に交流する。慣れない電車も苦ではない。ただ、長い通学時間を使って考える。女性であることをやめるなら、大学デビューのこのタイミングなのではないか。でも一人称とか、無理してるのばれたくないし、めんどくさいな……。

ずっとあこがれてた演劇サークル。京都の大学に入ったら絶対入団すると決めていた。どこからどう見ても死ぬほど忙しいだろうということは知っていた。でもそれがいい!頑張ればなんとかなる!体が弱いこともちゃんと伝えたし、大丈夫大丈夫!

履修登録も忘れない。シラバス。ふとあの国会議員のことを思い出す。「障害とは何か」とかいう授業。別に特段障害に興味があったわけではない。ただLGBTを扱う科目ってあまりなくて、次に興味を引くのがこれだった。LGBTと障害は、似てる。これがいい。

それからちょうどその授業にゼミの運営募集の宣伝が来て、すぐにやることに決めた。こういう機会はつかむものだと知っていた。大変な分、やりとげた後に得られるものも大きいと、僕はすでに学んでいる。広報をやって、デザインに力を入れた。僕のやりたいことをさせてもらえるのは楽しかった。サークルでは少し不遇だった。だからこそやれることをやった。本当はしんどい。でももう少し、ほら、ここにも時間が余ってる。もっとやれる。もっと、もっと。仕事をしていれば、悩みも忘れられる。高校を出て以来、自分が社会にどんどん女性化されていることも蓋をする。発表された前期の成績は、とてもよかった。

そんな夏。

そして秋。

精神科通院が始まった。高校の頃から何度か、うつ病に近い症状はあった。しかし自分程度のつらさで病院に行くのは大袈裟だろうと、保健室の利用で対処した。
しかし大学には保健室がなかった。困った。困った僕は、信頼していた語学の先生の後押しで受診を決めた。診断は「抑うつ状態」。のちに「不安障害」も加わる。発達障害の疑いもあり、簡易検査をした。結果、ASD傾向あり。しかし本格的な検査の必要はない程度。いわゆる「グレーゾーン」。
安心、した。診断名は、僕にとっての免罪符のようなものだった。そしてまた診断名は、生きづらさを解消する手がかりである。障害学生支援ルームを利用させてもらえることになった。ヘルプマークをもらって、病気を目視できるようにした。嫌な音を聞かないため、ヘッドホンにノイズを流した。まぶしいものを見ないため、サングラスをかけた。不安を和らげるため、ぬいぐるみを買った。
症状と薬の変化に振り回されながら、大学からの支援を受けて18単位を確保した。だんだん調子もよくなって、サークルの公演で大きな仕事をもらう。


そして春。


症状の悪化。それは明らかに、社会情勢の悪化と連動していた。秋から通った診療所は閉鎖。転院を余儀なくされるが、精神科、特に未成年を扱ってくれるところは多くなく、危うくたらい回し。なんでこんな目に合わなくてはならないのか。それでやっと見つかった転院先。初診で「双極性障害Ⅱ型」と告げられる。……確かに思い当たる節は多い。

暇、だ。付きまとう憂鬱な感情、たまに来る希死念慮を追い払って、頭の中は常に悩み事で満たされた。そのおかげである日、ふとある一つの悩みが解決してしまった。性自認が安定した。僕の性別に名前などないことを悟った。僕の性別は「グレー」だった。

支援の手とは、物理的な距離が生まれた。前期の履修登録は泣きながら頑張った。あんなに泣いたのに、受けられた授業は一般教養一つだけだった。後期は、休学することになった。

いま世間は「コロナ」っていうもので忙しいらしい。僕みたいな隅っこに追いやられた人間は、もっと、もっと、もっと、端のほうへ、社会から忘れられて、薄暗い所で眠る。


2020.8.25

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