わたしとそっと011

Sotto9周年企画「わたしとそっと」 第3回~毎日新聞記者・玉木達也さん~(前編)

 私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
この連載企画「わたしとそっと」は、Sottoの設立9周年を記念し、Sottoのことを深く知る人々にインタビューし、「わたし」の目線からSottoについて語ってもらう企画です。

 第3回のご相手は・・・毎日新聞の記者である玉木達也さん。
実はSottoの設立当初から知る人で、何度かSottoのメンバーを新聞の記事に取り上げてくれています。
なぜ新聞記者である玉木さんはSottoに関わり続け、そして記者の仕事を通して世の中に何を伝えようとされているのでしょうか。
彼に実際のところ、訊いてみました。

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▲玉木達也さん

新聞記者に憧れて

ー本日はよろしくお願いします。まず経歴から簡単にお聞きできればと思います。学生時代はどのように過ごしていたんでしょうか。

はい。出身は兵庫県で、大学は明治大学に行きました。
大学では雄弁部に入っていて、部の中にディベート研究会というのがあり、そこで色んな問題について是か非かという討論をしていました。

元々中学生くらいから新聞記者が書いている本が好きだったので、新聞記者になりたいという思いがありました。
感情だけじゃなく、理屈できちんと人に説明しないといけないと考えていたので、ディベートをするのは面白かったですね。

ー昔から新聞記者になりたいという思いがあったんですね。

そうです。記者の仕事は立場の違う人に会って色んなことを聞けるっていうのが魅力的で、好奇心が刺激されました。その辺が性格的に合っていたんでしょうね。

ーそれで大学卒業後は毎日新聞に入られたんですね。毎日新聞に入られてからの記者としての経歴はどういうものだったんでしょうか。

平成2年(1990年)の4月に採用されて入社したんですが、当時はバブルの時代なので採用人数がすごく多かったこともあって、いきなり大阪本社の社会部からスタートになったんです。別に仕事ができるからというわけじゃなく。

それから富山・京都・大阪本社・東京本社・奈良・高松支局勤務を経験して、大阪に編集委員として戻ってきました。
この4月からは論説委員を務めています。論説委員というのは社説を書いたりするポジションですね。

京都支局時代、価値観を変えた出来事

ー経歴だけお聞きすると、順調に夢を叶えてきたような感じですよね。キャリアの中で挫折などはなかったのでしょうか。

挫折というか、1990年代の後半、京都支局の記者だった時に、僕にとってはものすごく大きな「事件」がありました。

ある中学校の国庫補助金の用途が分からないということで、その学校のPTA役員が情報公開請求をしようとしたことがありました。
すると、校長が情報公開請求をしないでくれと言ったんですね。まるで隠そうとしているようにPTA役員は感じていました。

そのことを聞いて、記事にすることにしました。
当時は情報公開請求が制度として普及しだした頃で、その流れを止めてしまうと良くないな、とも思っていました。
記事は「けしからん!」と言うわけじゃなくて淡々と事実を伝える内容で、それほど大きな扱いではありませんでした。

その後、他の新聞社がその記事内容を追いかけたんです。
その記事が載ってまもなく、校長が山林で亡くなっているのが見つかりました。自殺でした。

ーそんなことがあったんですね。取材した相手が自殺する、ということはかなりショックだったのではないでしょうか。

その時は新聞記事を書くのが楽しくなってきた頃で、本来やりたかった仕事だし、挫折なく来ていた感じでした。
取材の手順を踏んでいるのは間違いないし、記事も間違っていないから問題はなかったんですが、取材相手が自殺したことで落ち込みましたね。
また、新聞記事を書くことがいかに人の生き死にに影響を及ぼすのかということを身をもって知りました。

学校の校長はある種の権力者だし、強いものに見えていたんですね。
あとになって周辺の人に取材したら、亡くなった校長は他の悩みや問題も抱えていたことが分かりました。
自殺は一つの要因だけじゃない。その校長も複数の理由があって追い込まれていたんだと知りました。

別に校長がお金を取ったとか、そういうひどい話ではなく、普通に対応していれば問題がなかった出来事でした。様々な理由から追い込まれていたのだろうと思います。

この出来事から、僕自身が自殺の問題について関心を持つようになりました。
自分が話を聞いた人が自殺するという経験をした人は、新聞記者の中でもそんなに多くないと思いますね。

そうこうしているうちに竹本さんと知り合って、10年近く経ちます。
Sottoの活動についてはシンパシーがあります。
新聞記者としての「仕事」と割り切るのでなく、半歩くらい寄って手伝うイメージで、記事が書けないかと思っています。
それは、今、話をした京都支局時代の取材相手が自殺したということが大きいと考えています。

Sottoとの関わり

ーそうした経験があって、自殺に関心を寄せるようになったんですね。
Sotto代表の竹本とも知り合ってからかなり長い関係ですよね。

そうですね。一番最初に竹本さんを取材した記事は2010年2月21日の朝刊に掲載されました。
社会面のトップの扱いでした。
まだSottoを立ち上げる前で、防衛大学校卒業の僧侶が国防から一人一人の命に向き合う仕事をやろうとしていることを聞いて、それを取り上げた内容でした。
当時から竹本さんは全く変わらないですよ。初志貫徹というか。

ー当時を知る玉木さんから見ても、竹本は変わらないんですね。
そんな竹本と出会ってからこれまで付き合ってきて、彼にどういう印象を持っていますか?

竹本さんについては、いくつか、この人いいな、と思うことがあるんだけど、まず彼自身はある意味ではエリートなんです。
でもいじめられた経験もあったりして、人としての幅が広いと思いますね。

(社会的に)偉いという発想はなく、自分自身がつらい思いをしたことがあって、当事者意識を持っている。柔軟なんですよ。
両親の影響を受けている部分もあると思うけど、防大を出て僧侶の道に行くという決意をするなど、色んなことを考えながらも自分にすごく正直な生き方をしている人だと思いますよ。

ーこれまで、Sottoのメンバーに取材した記事*1をいくつか書いていただいてますよね。
玉木さんがSottoに関わり続ける気持ちには、世の中に対して伝えたいことがあるからという部分があると思います。
その気持ちの核にあるものって、一体どういうものなんでしょうか。

様々な問題を解決するために、具体的に行動する人がいる。
例えば、ある問題を取り上げる際、その行動している人を通じて紹介することがあります。一般の人に知ってもらうには、やっぱり顔が見えるということが大切なんです。

ところで、命の問題において繋がりというのはすごく大切で、誰とも繋がらない状態になった時、人は死に近くなってしまうと思います。それはすごく大変なことです。
そこで、Sottoはすごく居場所づくりを大切にしていますよね。

Sottoは皆違う人たちが集まった集合体です。強い思いのある人達が、それぞれ趣味嗜好は違えども「いのちを大切にしたい」という点で、同じ方向を向いてる。

たとえば竹本さんと小坂さん*2は、仏教の宗派も活動のアプローチの仕方も違うけど、「人に寄り添う」というメッセージは一緒ですよね。
同じメッセージでも違う人が語れば、幅広い伝え方ができる。だから何度も丁寧に伝えることに意味があります。
普段は新聞を読まないけど今日Sottoの記事をたまたま読んだという人が、この日いるかもしれないんです。

Sottoは、繋がりを持とう、あるいは一人にさせない、という哲学が一貫していますよね。
「一人にさせたくないよ」という思いを持って活動している人がいることを伝えたい。その気持ちで書いています。

後編へつづく)

*1 Sottoメンバーに取材した記事・・・ネットで読めるものとしては、以下のものがある。
※デジタル毎日に登録が必要です。初月1カ月無料。
京できょうを生きる物語 NPO代表・浄土真宗本願寺派僧侶 竹本了悟
京できょうを生きる物語 臨済宗妙心寺派・長慶院住職 小坂興道
京できょうを生きる物語 若手僧侶で作る「ワカゾー」メンバー 霍野廣由
*2 小坂・・・臨済宗妙心寺派の住職であり、Sottoでは居場所づくり委員会(おでんの会を開催)の委員長。住職として抜群の貫禄がある一方、遊びにも全力というギャップがすごい。面倒見の良い性格で、折に触れて飲みに連れて行ってくれる。そして料理が上手い。

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