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豪華絢爛な二条城

2017年に大政奉還から、2018年に明治維新から、150年を迎えたのですが、その舞台にもなった二条城には、国内外から多くの観光客が来られて、この年、過去最大の入場者数を数えるほどになっていました。

そんな流れからか、修学旅行生にも人気の二条城。

二条城に行くと、徳川幕府が、どれだけすごかったのか、というのが、江戸と離れたこの京都でさえ、良く分かります。


二条城の歴史

二条城に入る前に、先ずは、歴史を振り返ってみましょう。

二条城を建てたのは、徳川家康。

江戸の初期になります。

関ヶ原の戦いの後、京都へ上洛の際に宿泊するお城として作られました。


関ヶ原の戦いの時にはまだ子供だった豊臣秀頼と、大人になってから対面をした場所としても有名です。

この対面をきっかけにして、このまま秀頼をほっておくと、豊臣家は危ないと思い、大坂の陣がおこり、豊臣家が滅亡することになりました。

その後、3代将軍家光のころまでは、将軍が京都に滞在の際に、天皇を迎えるためなどに使われていたのですが、以降ぱったりと、将軍が京都に来ることはなく、実は荒れ放題になっていたとか。


幕末になり、尊王攘夷運動の中、幕府は公武合体の政策として、14代徳川家茂の妻として、考明天皇の和宮を迎えます。

そして、家茂は攘夷の実行の約束のために、上洛。その際に、二条城を使用するのでと、改修をすることになったのです。

二条城は幕末の京都の幕府の拠点となり、15代、最後の将軍、徳川慶喜が行った、有名な大政奉還も、この二条城の二の丸御殿の大広間で行われました。

その後、幕府は、薩摩・長州からなる官軍に追われて、二条城を後にすることになります。


二条城は、そんな歴史を頭に入れて、見て頂きたいと思います。


東大手門から唐門

二条城に行くには、バスで「二条城前」で下車か、市営地下鉄「二条城前」駅で下車すぐとなり、とてもアクセスの良い場所となっています。

拝観の入り口は、堀川通沿いにある、東大手門から。

中に入り左手に進むと、豪華絢爛な唐門の前に出てきます。

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2013年に修理されて間がないので、当時の姿が蘇り本当に華やかです。


そして、よーく見ると、あちこちに菊の紋が。。。

菊の紋と言えば、天皇家の紋です。


あれ、二条城に入る前に、二条城は徳川家康が作ったお城だと、散々話をしたのですが。。。


徳川の紋は、あの水戸黄門でも有名な、葵の紋です。

あれれ?という話なのですが、実は、明治時代になると、二条城は、朝廷の管轄となるのです。


二条城の入り口やパンフレットをよく見ると、

「元離宮二条城」と書かれています。

元々、朝廷の離宮だった二条城ということで、現在の管轄は京都市となります。


先ほど、唐門は2013年に修理されたところと書いたのですが、実はこの修理の際に、菊の紋の下に葵の紋が出てきたとか。

明治維新の後、朝廷管轄になった折に、慌てて付け替えが行われた様子が偲ばれるのです。


二の丸御殿

唐門から入ると、目の前が二の丸御殿となります。

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二条城の一番の見所が、こちらの二の丸御殿です。

中の障壁画が素晴らしくて、徳川将軍の御威光がとても良く分かるのです。


中の撮影は出来ないのですが、現在展示されているものはレプリカとなっていて、本物は入り口近くの収蔵館に展示されています。


入ってすぐは、「遠侍の間」。一の間、二の間、三の間と3つの部屋があります。

二条城の来殿者が最初に目にする部屋で、勇猛な虎の絵が書かれた襖に彩られています。


次は「式台の間」で、その裏側が老中の間となります。

来殿者と老中がこちらで挨拶をし、将軍への取次をした部屋とされています。

襖絵は、力強い松の木が描かれていて、永遠に続くお目出度い絵とされています。


次に「大広間」となります。

こちらも、一の間、二の間、三の間とあり、一の間、二の間は、大政奉還が行われた部屋となっています。

因みに、こちらには、大政奉還をしているところを再現した人形も並んでいます。(初めて見た時はびっくりでしたが、こんな感じだったのねと言うのが良く分かります。意外と小人数なんですよ)


この辺りで、先ほどから、歩く廊下が、キュキュ音がすることに気が付くと思います。(もっと前から気が付いているかもですが)


この廊下、鴬張りと呼ばれている廊下で、わざと音が鳴るように作られています。

これも、遠くからでも来殿者が近づいてくることが分かるように作られたとされています。

因みに、廊下の天井も、ぎっしり絵が描かれており、かなりの豪華さになっています。


大広間を過ぎると、「蘇鉄の間」に出ます。

こちらは杉戸に絵が描かれており、ここから先は、より内輪の親しい来客を迎える部屋、「黒書院」となります。

この辺りになると襖絵も、牡丹や桜、梅などの花の絵になり、心を許している感じが現れるのです。


さらに奥は「白書院」。こちらは完全なプライベート空間となり、落ち着いた水墨画が書かれた襖絵となっています。

因みにこちらにも、将軍がくつろぐ人形が展示されています。


ここで折り返して、先程通った裏側を抜けて、入口へと戻ります。


一言で言って、二の丸御殿は、本当に広くて、徳川将軍って、こんなところに住んでいたんだった、って、豪華絢爛さにくらくらしますよ。


その後、二の丸御殿の庭園へ向かいます。

今は、障壁画の保護のため、窓はすべて閉められていますが、恐らく実際に使っていた時は窓が開け放たれていて、ただでさへ広い建物が、さらに広く感じられていたんだろうなと思います。


庭園は池を中心とした書院造庭園となっていて、庭園の向こうには、現在は修理中の本丸御殿がちらりと見えています。

その向こうに、今はない天守閣が、丁度、大広間からも見えていたそうです。

天守閣は江戸時代に、落雷による火災で焼失して、そのまま再建されずに今に至るそうです。


因みに、修理中の本丸御殿は、阪神淡路大震災で、耐震性に問題があり修理をしているそうです。これは、2023年に完成するそうで、その後は公開されるそうなので、楽しみにしています。
 ↑ ↑ ↑ 
※2023年現在、工事が延長となり、2024年以降の公開予定となっています。


二の丸御殿だけでも、十分お腹いっぱいになる二条城ですが。。。


また、修学旅行生のスケジュール的に、これ以上見るのは時間が足りない気がしますが。。。


2回目、3回目と京都に来られることがありましたら、是非、本丸御殿にもお立ち寄りください。



ということで、二の丸御殿の庭園を後にして、御殿の北側にある清流園を抜けて、入り口に戻っていきます。

清流園は元々は武士の住まいがあったところを明治時代には取り壊し、緑地となっていたのを、昭和時代に庭園を造営して、お茶室を移築した、風靡な庭となっています。

今でもお茶会が開催されたりとか、二条城での結婚式も開催出来ます。運がよけれがお嫁さんに出会うこともあります。お城で結婚式って、良い響きですからね。

今の二条城は、京都市が運営をしているので、様々なイベントにも使われる市民に開かれた場所となっています。


最後、出口の近くには、結構広い休憩場があるので、疲れた時は、こちらでゆっくりすることが出来ます。

いやー、本当に、広い敷地を歩くと、かなり疲れるのですよ。

是非、こちらで疲れを癒して、次の観光地に向かってくださいね。




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