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24.Aoife(イファ)のこと 〜2005年の祇園祭セッション〜

 2020年5月、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていましたが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 恒例になった field 祇園祭セッション。2005年、スコットランドから来たとあるフィドラーのお話──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

Aoife(イファ)のこと (2005年7月)

 先日の祇園祭宵山の field 恒例宵山大セッションは、日常のセッションとは違って、なかなか凄まじかった。  

 field のある四条烏丸界隈は祇園祭宵山の中心地域である。field の通りからひとつ南の四条通りには、山鉾巡行の先頭を切る長刀鉾が鎮座する。夜空には、各山鉾の祇園囃子が風に流れ、四条通りと烏丸通りは歩行者天国となり、field は、浴衣掛けの人々の海に浮かぶ孤島のようなありさまになる。  

 そして、今年も、3階のバルコニーを解放し、遠くに、人々の雑踏と祇園囃子が交錯する宵山の夜空に向かって大セッションを繰り広げたのだった。  

 今年は、いつものセッションとは違って、field アイ研創設当時の珍しいメンバーが参加してくれた。    

 field アイルランド音楽研究会、会員番号95番のドニゴール娘、イファ・マクガリゴだ。

 2000年当時、イファは、スコットランドのグラスゴウの美大生で、京都の精華大学に版画の勉強のために日本留学をしていた。彼女が初めて field を訪れた時、すでに、彼女の留学期間はその半分以上が過ぎた後だったのだが、その後、彼女は足繁く field に通ってくれるようになった。  

 そして、彼女は field セッションに遭遇した。  

 もの凄くびっくりしたらしい。実は、彼女の、今もドニゴールに暮らす父上は地元のフィドラーだったという。子供の頃、その父親からフィドルの手ほどきを受けたというが、今はすっかり「パンク」(彼女の発音では「ポンク」)が好きだという今時の女子大生イファは、恐らくは浮世絵等で有名な日本くんだりまで版画の勉強をしに来たわけで、何ヶ月もホームシックにかかり、ふと、Irish Pub なるものを見つけて、ちょっと入ってみた。たぶん、そんな所だったのだろうと思う。そこには、彼女が訪れる2ヶ月前に、彼女の地元、ドニ ゴールの英雄「Altan」が来ていたのだった。

 Altan のメンバーがサインをしたバウロンに狂喜乱舞していたイファが、 field のセッションに遭遇して、  

「何か、貸してもらえるフィドルはないか?」という。  

「それなら、この前、Altan のキーラン・トゥーリッシュが弾いたフィドルがあるよ」 と言って、

 キーランが弾いたのは本当だが、実はメチャメチャ安物のフィドルを貸してあげると、彼女は今にも気絶しそうになっていた。  

 確かに、子供の頃にやっただけ、という彼女のフィドルの演奏は、初めは実にたどたどしかったが、何よりも、誰かが何かのチューンを始めると、それが彼女の深い記憶を刺激して、つるつるとメロディーを思い出しているらしいその様が印象的だった。突然、再開してまだ少し慣れないフィドルで、次から次へと思い出す、湧き出すメロディーをうまく表現できないもどかしさみたいなものがありありと現れていた。  

 日本では、彼女は自分の楽器を持っていなかったから、field に来て、キーラン印の安物フィドルを弾くことしか練習のしようが無かったはずなのに、徐々に彼女は、より、つるつるとチューンを奏でるようになって来て、夏のパーティーでは、ぶちょーとデュオで演奏したりもした。

 このように、彼女は、あっという間にできたばかりの field アイ研にはなくてはならないメンバーになった。そうして、9月に帰国してしまったのだった。  

 しばらくは、彼女から頻繁に便りが来た。帰ってから、ちゃんとした自分のフィドルを手に入れて、地元のセッションに通い出した、とか。父親が、何で日本に行ってアイリッシュ音楽を覚えて来るんじゃ?と目を丸くしてる、とか。グラスゴウの大学に戻ってみると、グラスゴウにアンディー・アーバインが来るというので、そのライブを観に行ったとか。  

 私たちが、  

「アンディもアイ研部員だよ」 なんて言うもんだから、

「声かけてみようかな?」 と迷ってるので

「部員バッジ着けて行け!」 と、こっちも煽る。

 アンディはとってもいい人だった。ライブが終わってから、恐る恐る声をかけたら、すごくフレンドリーに話をしてくれた。京都のこと、field のことをたくさん話した。と言って、アンディのライブレポートをアイ研のHPのために送ってくれたりした。    

 そんな、イファも、だんだんと連絡がなくなってしまっていたのが、先月、突然メールが飛び込んで来たのだ。7月に旅行で日本に行くから絶対 field のセッションに行くよ!って。 

 他にも、今はスコットランドの clova というバンドに加入して、フィドルとコーラスをやってるとも書いてあった。そして、そのイファの京都訪問がちょうど祇園祭と重なったというわけだったのだ。 5年振りのイファのフィドルは驚くほど変貌していた。もう、完全に、立派過ぎるほどのアイリッシュ・フィドル!!    

 荒々しいが雑ではなく、身体中が躍動しているような凄まじいビート!! 5年前のあんなにたどたどしかったプレイの面影は微塵もない。  

 確かに彼女の父親はドニゴールのフィドラーだけど、彼女は帰国後の時間の大部分をスコットランドのグラスゴウで過ごしているはずだ。それでも、もしかしたら、この凄まじい横ノリこそが本物のドニゴール・フィドルなんじゃないか?と思わせるような泥臭さ。確かに巧くはない。けれど、あるいは、だからこそ、際だつ独特のビート感。  

 「これは、ちょっと真似できない」  

 こんな風に思わせるインパクトはパット・オコナー以来かもしれない。  

 とんでもないフィドラーに成長していたもんだ。  

 最近、このクランコラ誌上でも、アイリッシュ・ダンス・ミュージックのビート感について、あれこれ、駄々をこねていた私だったけれど、いくら理屈をこねても「無駄!無駄!」と、一気に吹き飛ばされてしまったかの思いである。  

 惜しむらくは、彼女がくれた彼女の所属するバンド、clova のCDを聴いてみたら、それは、オリジナル・ソングのフォークグループで、かつ、彼女のプレイの占める割合が思ったより小さかったこと。 

 センスのいいヴォーカル・ナンバーが好感の持てる良いバンドだと思ったけれど、彼女のセッション・プレイを聴いた直後では、やはり、あの凄まじい横ノリのダンス・チューンを聴きたかった。 しかし、この、イファ・マクガリゴも、確かに、field アイ研が生んだアイリッシュ・ミュージシャンである。じわじわっと嬉しくなってしまう事実だ。

<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・5年もこの実体感の希薄なサークル field アイ研をやってきたものだと思いつつ、イファが再訪する今まで続けていて本当によかったとつくづく思った次第。>                 

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