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22.キーラン・クランのブズーキ

 2020年5月、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていましたが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 前回は、アイルランド音楽界の大御所ブズーキプレイヤー、ドーナル・ラニー氏に洲崎がブズーキを見てもらった記事を紹介しましたが、今回はこれまたアイルランドのレジェンドバンド「アルタン」のブズーキプレイヤー、キーラン・クラン氏とのエピソードです──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

キーラン・クランのブズーキ (2004年12月)

 「このピックガードいいねえ」 と、キーラン・クランが言った。  

 何の話かって? ぬわんと! 私のブズーキをアルタンのキーラン・クランが見ているのだ。  

前回に呼応させて、随分わざとらしい題名と書き出しですいません。  

 この日、滋賀県栗東市のさきらホールで開かれたケルティック・クリスマス の最終日。fieldアイ研がケルクリ・アフターイベントのホールロビーコンサ ートの演奏依頼を受けたのはまだ10月の事だったか・・・。うまくすると、アルタンやハウゴー&ホイロップとセッションができるかもしれない!という話にフラフラと飛びついたわけだ。  

 結論を先に言うと、わがfieldアイ研の面々はまんまとアルタン、ハウホイとのセッションを実現してしまったのだ。それも、観衆の前で。  

 1ヶ月も経たない間に、ドーナル・ラニーとセッションをし、アルタンとセ ッションをするなんていうアイルランド音楽のアマチュア・サークルが!世界中どこにあるか?!(まあ、本人達はすっかり忘れていると思うけど、ドーナルはfieldアイ研の名誉部員、アルタンのマレードは名誉顧問なんやけどね)  

 おじさんは声を大にして叫びたい! ええい!アイ研の若い連中よ! こんな事が当たり前とは思うなよ!  

 今回のイベントは、実は私個人的にはまた特別な意義と興味とがあったのだ。 まず、これが、fieldアイ研がサークル単位で受けた最初の正式な演奏依頼だったという、アイ研誕生から4年半にして記念すべき出来事だった事である。これは、何度も実体崩壊がウワサされたアイ研がやっと社会的に実体を持ったと思える象徴的な事件と言えるだろう。  

 もうひとつは、ホール側から突然依頼されたアイリッシュ・ダンスの伴奏である。これまで、アイ研はちゃんとしたダンスの伴奏を一度もやった事がなかった。アイルランドにはケイリーバンドというダンスバンドが数多く存在することは知ってはいたが、なかなかそっちの方向に目を向ける機会が無かったのだ。そういう事もあって、最初は「経験が無いから」とお断りするつもりでいたのだが、ちゃんとした返事をする前に色々なケイリーバンドが収録されているCDを取り寄せて聴いてみた。確かに自分たちが普段やっている演奏と全然ノリが違う。おまけに、ピアノとドラムが入っている。  

 ちょっと待てよ。今、アイ研にはアイリッシュ・チューンのピアノ伴奏に興味を持っている奴がいるし、私自身、昨年、fieldスタジオを作ってから細々とドラムの練習をしているんじゃないか。これは、今こそ挑戦すべき時ではないのか?  

 折しも、ドーナルが field を訪れた頃だった。  

「ピアノとドラムを入れた、ケイリーバンドを作ろうと考えているんだけど、 何に注意すればいいか教えて欲しい」  

 という私の質問に、彼は  

「ピアノはルートをしっかり弾く。ドラムはマーチングが基本だけど、ハイハットでしっかり裏拍を刻み、スネアはブラシを使うのがやかましくなくていいかもしれない。ジグはあまり跳ねないように。」  

 などと懇切丁寧に教えてくれたのだ。  

 この時に、もう、私は一瞬で決心してしまったのだった。fieldアイ研ケイリーバンドを作ってしまえ!って。自分たちだけでもいい。ドーナル・ラニー、プロデュースって勝手に胸に秘めて、「fieldアイ研C-Band」の始動。  

 それからというもの、一部のメンバー達には、過酷とも思える練習を課した。でも、みんな本当によく耐えてくれたと思う。  

 そして、本番。当日のリハーサルで初めてダンスの人達と合わせる。ドキドキした。ついついダンスを見てしまう。でも、見過ぎるとこっちの音が一瞬遅れてしまう。あかんあかん!皆それぞれ、目の前に繰り広げられるダンスに目を奪われてどぎまぎしていた。リハが終わって、リーダーの海さんがダンス陣からの意見を取りまとめて来る。  

「ホーンパイプはもっとテンポ早く」  「リールはもう少しゆっくり」  「ポルカはもっとゆっくり」  

 7人のC-Bandのメンバーはステージの都合で中央のダンス舞台の両脇に4人、 3人に別れて陣取る事になる。その間5m以上はある。モニタースピーカーだけが頼りだ。皆こんな環境での演奏はあまり経験無いだろうし、大丈夫だろうか ・・・。  

 不安の中の本番だったが、結果、大きなミスもなく、皆なんとか本番を乗り切ったのだった。演奏直後は控え室でぶっ倒れる奴もいたし、皆、散り散りに雲散霧消するかの如く散って行ったのがいかにもアイ研的!?  

 気が付くと、ロビーの特設ステージにはさっきまで脇でサイン会をしていたアルタンの面々とハウホイの2人が楽器を手に上って来て、大セッションが始まろうとしていた。いつの間にかC-Bandの連中も全員ステージに集結。私もこの時初めて緊張の糸が切れて我に返った思いがした。早く自分のブズーキを持って来なくては!  

 アルタンのブズーキ奏者、キーラン・クランはステージ上で楽器を抱えて椅子に座っていた。私も勝手に椅子を持って来て彼の横に陣取った。  

「横で楽器を弾いてもいいか?」 と彼にたずねた。  

 彼は4年前に field に来た時の事を覚えていて  

「俺がサインしたブズーキじゃないのか?」 と、私のブズーキをのぞきこんで、サウンドホールのあたりを触った。  

 「このピックガードいいねえ」って。  

 真横で接する彼のブズーキプレイは、ドーナル・ラニーのそれとは全く違ったスタイルだった。細かく動くリフがコードの間隔を埋めて行く感じ。そのリフ自体は角の立ったドニゴール・フィドル風のノリのまま動き、ギターのコードチェンジの間をなめらかに埋めていく。うん、確かにこれや! アルタンのサウンドや! ジーン・・・  

↑アイルランドの番組内でのアルタンによるライブ演奏。(2015年)

 舞台中央で、功刀がチューンを引っ張り、振り返るとマレードが次のチューンをつなげて行く。昔、功刀がアルタンのチューンを必死でコピーして一緒に苦労して合わせた風景がよみがえる。そう言えば、4年前に field にアルタンがやって来た時は、彼はまだ沖縄在住で、その現場にはいなかったのだ。一瞬の興奮の後にはえも言われぬ安らかな気分に襲われた。ガンガンにうねるリールの嵐のまっただ中で、一瞬、気が遠くなった。ヘタすりゃ、あのまま気を失ってたのかもしれない。 

 意義と、興味と、緊張と、興奮と、弛緩!  

 何という! ビックリ箱をひっくり返したような1日だった事か! 

 2004年 ケルティック・クリスマス最終日は、fieldアイ研にとって本当に長い長い1日だった。  C-Bandの話題に終始してしまったが、その他のfieldアイ研のバンド達もすごいパワーだった。みんなの力が集結して、この日、fieldアイ研は結成以来初めてしっかりとした実体を持つことができたんだと痛感した次第。  

 昨年ルナサの完コピで話題をかっさらった MINE。元クラックの2人が結成した Butter Dogs。今や超有名人となった功刀丈弘。皆、本当に心からお疲れさまと言いたい。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・いやあもう・・とにかく・ ・ベリベリタイアド・・・でございますわ・・・・>

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