21.ドーナル・ラニーのブズーキ
2020年5月、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていましたが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。
そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。
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今回は、アイルランド音楽界の大御所ブズーキプレイヤー、ドーナル・ラニー氏がfieldに再び来店した時のお話──。(Irish PUB field 店長 佐藤)
↓前回の記事は、こちら↓
ドーナル・ラニーのブズーキ (2004年11月)
「この弦はもっと太い方がいい」 と、ドーナル・ラニーが言った。
何の話かって? ぬわんと! 私のブズーキをドーナル・ラニーが見てくれているのだ。このおっさんは本当にドーナルなのか?と疑ってもおかしくないような突然の状況だ。
「今度、私のブズーキを見せるよ」 と、ドーナル・ラニーが言った。
こんな、ギター少年同士の会話みたいなやりとり。ほんまかいな?である。
ギター少年同士のこんな会話は往々にして挨拶代わりであり、本当に自分のギターを見せ合う次の機会が実際にやってくることは滅多に無い。
しかし、後日、ドーナルは自分のブズーキを抱えて本当にやって来た。
「よ!」
と目の前に差し出されたドーナルのブズーキは、もちろん左用だけど、確かに4コースの弦が太い。1コースも心持ち私のより太いかな。ボディは思ったより小さく、ネックも私のより1フレット分短くて指板の幅が狭い。つまり全体の印象は、予想以上にコンパクトな本体にごっつい弦が張ってあるという感じ。前にマイケル・ホルムズ(ダービッシュ)のブズーキを見せてもらった時は弦もゴツかったが、テールピースが鋳物のような金属製で楽器本体も戦車のようにゴツかった。ドーナルの楽器はそれとはまた全然印象が違う。
弾いてみて、びっくり! そのコンパクトなボディからは想像もつかないようなアタック音。弦を弾いてからボディが鳴るまでの時間がまさに瞬時。こういうのをクイックな楽器というんだろうか? 強烈なアタックとそれに続く余韻のバランスが何となだらかな事か。結果的に、これよりボディも大きく弦長も長い私のブズーキは最終的音量でも完全に圧倒されていた。
ちょうど、field の3Fスタジオにて功刀君の教室をやってたので、生徒もろともパブに招く。
「今日のレッスンは、ドーナル・ラニーとのセッション! それでええやん?!」
と、私は半ばむりやりその日の功刀教室を打ち切らせてしまった。
おまけに、同じく、3Fの A studio で練習中だった field アイ研のアイリッシュ・バンドの連中にも練習を中止させて
「お前ら! 黙ってこのまま楽器持って早よう2階におりるんじゃ!」 と無理矢理エレベーターに押し込む。
いいセッションだった。突然の展開だけに、皆、緊張するよりも、現実感の無さにボーっとしている感じ。ポピュラーなチューンが回されると、ドーナルのブズーキも徐々にガッツンガッツンうねり始めた。突然、功刀君と冨野君が2人で目配せしたかと思うと、彼らはボシー・バンドの〈Martin Wynne's/ Longford Spinster〉のセットを始めた。ドーナルはニヤっと笑ったかと思うと、もの凄いビートでブズーキをかき鳴らす。ここで、
「ああ、ボシーのCDと一緒や~」 って感動したい所なのだが、
「うわ! CDより凄い!」 が現実。
↑ボシー・バンドのライブ映像。Martin Wynne's/ Longford Tinkerのセット。
こういうの何て言ったらいいのか。生ドーナルの、CD以上のブズーキ・プレイと一緒にボシーのチューンを演るなんて! あんまりあってはならん事態なのと違うか?
しかし、もっとあってはならん事をやらかしてしまった男がいた。アイ研名物男、Uさんである。ふっと演奏に間が空いた時を見計らっていたように彼の黒スザート笛がピロピロピロ~とメロディを奏でた。ドーナルは一瞬マジで驚きの表情を見せた。そして、更に真剣な目つきになり、膝のブズーキを抱え直してバッキバキのビートを弾き出した。場内一同この2人の空気に圧倒されて、 誰も何の音も出すことが出来ない。ただ、固まって、もう少しで息が止まるん じゃないかという緊張感で聴き入るしかない!
Uさんは、ドーナルのオリジナル曲である〈Tolka Polka〉を演ったのだった。エンディングとともに大歓声があがる。鳥肌もんを越えていた。泣きそうやった……。 Uさんの恐ろしいところは、はたして彼はこの曲がドーナル作であることを知っていたかどうか?という疑問を皆に抱かせる所であったが・・・・・。
セッション中、私はドーナルの真向かいで自分のブズーキを抱えて、ドーナルの音を注意深く聴く事に専念していた。
とにかく恐るべきビート感である。20歳の頃にジャズバーで生まれて初めて黒人ジャズ・ドラマーを目の当たりにした時の驚愕と似ている。なんじゃ? この躍動は!?ってやつ。
日頃、アイ研の若い奴らに
「リールは、裏拍を強調するんやで~」 なんて呑気に言ってる自分が恥ずかしくなる。
この自由自在のビート感があって、現在のアイリッシュ・ミュージックがあるんやということが痛いほどわかった。まさに、この目の前にいるおっさんが、あのボシー・バンドを作った人なのだ! 実はこの日のドーナルのブズーキは日本のとあるメーカーに特注したものだということだった。ぬあんと!
<洲崎一彦:Irish pub field のおやじ・ちなみに 、本人が覚えているかどうか怪しいけれど、ドーナル氏のfieldアイ研会員番号は106番なのであった!>
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