折々の絵はがき(44)
◆絵はがき〈台所美人〉喜多川歌麿◆
夜明け前、夢見心地の耳へかすかに届くリズミカルな包丁の音。ごはん何かな…と思いつつ布団のなかでぬくぬく過ごすのは至福のひとときです。一方、そのころ台所はすでに嵐のようなせわしなさの真っ最中。釜の前に座る女性は頭に手拭いを巻き、袖をまくり上げた格好で黙々と火熾しに徹しています。立膝をつき、火箸と竹を手慣れた様子で扱う姿に、きっとこれまでたくさんやけどしてきたんだろうなと思いました。隣の女性は勢いよく立ち上る煙に眉をしかめながら、ちょうどお椀に御汁をよそうところです。辺りにはお出汁の香りが漂い、もうすぐご飯の炊ける匂いも立ち上り始めるでしょう。絵はがきからはおいしいものをこしらえる台所の音が漏れ聞こえてくるようで、眺めているとお腹がすいてきました。
喜多川歌麿は美人画を得意とした江戸時代後期の浮世絵師です。幕府の改革により贅沢が禁じられるとそれまで全身を描いていた構図を工夫し、上半身を描く大首絵(おおくびえ)で様々な職業の女性たちを表情豊かに描きました。これが人気を博すと幕府は「世を乱す」と浮世絵にたびたび制限を加えましたが、歌麿は屈することなく判じ絵などで対抗し、美人画を描き続けました。
暮らしの音に彩られた絵に、思い浮かんだのは母の姿です。毎日温かな食卓を整えてくれた彼女もきっと、日々こんな風に両手と五感をフル稼働していたのでしょう。当たり前のように手渡されていた日常は自分の中に確かに息づいていて、この先も消えることはありません。もらった時間の豊かさにふと気が付くたび、心の中で「ありがとう」と呟くのです
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