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「鴨川を読む×書く」澤西祐典×円城塔×福永信

京都文学レジデンシー発行の文芸誌『TRIVIUM』(トリヴィウム)』より、「鴨川を読む×書く」を無料公開いたします。

澤西:私たちはこれまで、日本文学のデータベース「青空文庫」で特定の地名を検索し、そのキーワードを本文に含む作品を読むことで、土地が文学にどのように描かれてきたのかを鑑賞する、というイベントを行なってきました。作品鑑賞までが第一部で、その地名を用いた短い小説をイベント前日に、それぞれ書き下ろし、朗読してコメントしあうのが第二部という、二部構成です(※)。別府、富山、静岡、尾道、岡山とつづき、今回は「鴨川」をとりあげようと思います。コロナ以前は現地に行くことを大切なルールにしていて、我々の中ではこのイベントを「勝手に町おこし」企画と呼んだりしていました。いわば自前で文学レジデンシーをしていたのかもしれません。

円城:今回は、表記ゆれも含めて、「鴨川」「賀茂川」「加茂川」の三つのワードで検索したところ、71作家の作品がヒットしました。文学テキストの本文を参照しながらイベントをオンラインで行なうこと自体、「青空文庫」を使わなければできないわけです。ありがたい。最終的に僕たちがこのイベントで書きおろした作品は掲載先を見つけて底本化し、著作権は自分たちで保有したまま、「青空文庫」に収録します。たとえば別府や尾道での作品は読んでもらえます。この循環が面白いんじゃないでしょうか。

福永:著作権の問題をクリアにし、いかにデータベースを整えるかに力を注ぐ「青空文庫」は、作業マニュアル自体が現代的な読みものですね。われわれもそのマニュアルに則って毎回資料を準備しますが、キーワードで検索し、引っかかったものをさらうので、普段だと読まない作家の作品を目にできる。一方でこれだけ回数を重ねると、またこの作家出てきたな、みたいな予期せぬ偶然の再会もあります。この土地にもお前さんいたか、というような。

円城:夏目漱石が『坊っちゃん』で道後温泉を描いたことで、松山に大きな観光資源が立ち上がったわけですが、漱石は必ずしも道後温泉をいい場所だなどとは褒めていない。しかし小説に書かれることで土地に価値が生じるんですね。

福永:たしかに、多くの作家が京都や鴨川を良きイメージで綴るのに対し、漱石は『虞美人草』で京都は寒い、暗い、遠いとしか書いていない。あるいは〈寒いより眠い所だ〉。なんにせよ愛着が感じられません。ただし京都にいる者からすればそれが実感に近い。漱石は面白いですよ、やっぱり。

澤西:理想とリアルの京都のギャップという意味では、高浜虚子『俳諧師』には、〈國に居て夢想してゐた京都と、現在踏んで居る京都とは今迄全く別のものであつた〉とあります。

円城:鴨川は意外と、浅くて狭い。菊池寛『身投げ救助業』によると〈鴨川では死ねない〉。菊池寛は京都には身投げできるところがないが、疎水工事により京都の人間にも身投げの場所ができた、と書いています(笑)。

福永:新村出「鴨川を愛して」を見ましょう。読んでいて椅子から転げ落ちそうになった驚愕のエッセイです。京大教授として初めて着任した時の記憶から始まるんだけど、それが53年前の話。晩年に綴られたものだからなんですが、こんな回想は自分にはまだできないな。

澤西:ひたすら鴨川賛歌のテキストですね。自分のイニシャルが「I.S」なので、「愛水」という号を使っているのですが、これは鴨川のことだと告白しています。

福永:川に対して、過剰な感情移入が起きています。僕らは今回のイベントに先立って、打合せと称して鴨川デルタでおしゃべりしたのですが、そのとき円城さんが、鴨川というのは長い河川だけど、文学に書かれる鴨川はこのあたりのことだけを指していると指摘しました。デルタから四条あたりまでの、歩いて行ける近い範囲内だけ。その狭い範囲が常に注目され続けているわけで、確かに奇妙なことですね。

澤西:新村出は昔の文献で鴨川を美しく描いたものはないかと探し、源氏物語にまでいきつきます。なかなかないと嘆き節が入る。くしくも、私たちのこのイベントが新村出への応答となってます。でもたしかに三人で行った時も感じましたが、鴨川は気持ちいいですよね。

福永:新村は老いてなお鴨川を愛し、「流水会」という風流団体を20数人で作っていたらしいですけど、澤西さん、「流水会」に入れるね。

澤西:気持ちはよくわかって、ヘミングウェイの『移動祝祭日』じゃないですけど、学生時代を左京区で過ごすとこの価値観が刷り込まれます。個人的には「左京区の呪い」と呼んでます(笑)。

円城:気になったテキストはいろいろありますが、また吉川英治の歴史小説がありましたね。皆勤賞。

福永:宮本武蔵はどこにでもいる(笑)。吉川はそのイメージがないかもしれませんが少年ものを書いていた作家で、少年倶楽部という雑誌での連載中に、多忙すぎて休載することを申し訳なく思うあまり、10数枚に渡って読者に詫びた文章を編集長に送ったらしいです。

円城:そのあいだに書け(笑)。

澤西:子供目線ということにつながるのか、今回71人の作家の作品のなかで唯一、鴨川に入って遊ぶ描写があるのが、吉川英治の『平の将門』です。〈加茂川の中に身を沈め、独りジャブジャブと夜を水に遊ぶ習慣をもっていた〉。鴨川にいくと童心に帰れるので、川遊びの楽しみが描かれていてうれしかったです。吉川は鴨川での野宿も死体も描いています。

円城:中里介山『大菩薩峠』は、ずっと人が増えながら追いかけっこしている話なので、どの土地も出てきますね。別府はなかった。あと宮本百合子も登場率が高い。

澤西:皆勤賞に近いのは佐藤垢石(こうせき)で、明治生まれの釣りジャーナリストのような人物。いまあまり読まれない作家ですが、さすが各地で美味しいものを食べてます。〈京都では鴨川上流で漁れたどんこの飴煮、金沢ではごりの佃煮、最上の小国川では鰍の煮こごりを食べたが利根川の鰍の味に勝るはなかった〉

円城:岡山の回以来、僕が気になっているのが薄田泣菫(すすきだきゅうきん)です。趣味人で、いわゆる京都の美しいイメージを使って書くのがうまいという印象です。『茶話』の、〈大阪の鱧も、京都へ持つて来て、一晩加茂川の水へ漬けておくと屹度味がよくなる〉とか、いかにも京都の人が言いそう。

福永:泣菫は、鴨川は水がうまいという話をしてますが、この話題は他にもあって、中谷宇吉郎が『「科学的」方法の適用されぬ場合』で〈特別に鴨川の水を必要とする程感覚の発達した特殊の人の場合を除いては、いつも水道の水を使うということにしておけば大体良いだろう〉と言ってます。彼は寺田寅彦門下で、しかも同じく科学者にして随筆家ですが、漱石風味も漂い、ヘリクツがおしゃれだなと思いますね。

円城:滋賀と京都と大阪の水の違いはわからないけど、東と西ではあきらかに硬度が違う。西の湯豆腐文化もさもありなん。

福永:飲み水としての鴨川という観点は僕にはなくて、ぎょっとしましたけど。

澤西:水と言えば、加能作次郎の『世の中へ』に、鴨川の水を浴びて〈えらう白ならはった〉とあります。

円城:鴨川の友禅染は有名ですし、美と結びつくんじゃないですか。同じ加能の『乳の匂ひ』にも〈京の女は鴨川の水で化粧するので色が白い〉とある。

福永:男性目線で見る、京都-女-白さ-美のイメージは、野口雨情の詩にも濃厚に表れます。〈お色黒くば鴨川の 水にしばらく召し給へ〉。この目線を最大限に活用してあって、苦しい詩でした。でも男性的な身勝手な視線に、なんて時代遅れなんだと反発だけするかといえばそうではなく、同化する瞬間もある。名作として残った文学にはそんな側面もあります。

澤西:女性側からの京都イメージへの反発としては、上村松園『京の夏景色』がよかったですね。〈私には三条の橋のような昔の風景がなつかしいには違いがありませんが、昔は昔今は今だと思うとります。私が五つ六つの頃結うたうしろとんぼなどという髪を結っている女の子は今は何処に行ったとて見ることは出来ないでしょう〉。この談話は短いものなのでぜひ読んでほしい。

福永:松園は京都の中心地に住み、日本画の巨匠として美人画ばかり描いた女性です。ある意味で男性の目線にさらされつづけ、それを跳ね返してきた強さを感じます。上村松園自身、鴨川の中できらきら光っているけれど動かない重たい石のような存在ですね。

円城:京都、そして鴨川が描かれるとき、美的イメージにひっぱられているなという怖さを感じませんか。なんだろうこれは、と。美しさを向こうから規定してくるような。じつは僕も怖い。

福永:読者が内面化し、多くの人が共有している京都の美的イメージが強すぎて、読んだときにテキストを弱く感じるということが起きるかもしれない、書き手はそれを恐れるのかもしれないですね。

円城:漱石はその意味で、京都のイメージと距離をとっていた。しかしそのせいで読みづらかったり、京都じゃなくてもいいじゃんと思われたりしてしまう。これは漱石の特徴かな。

澤西:柳田国男『雪国の春』に、〈いわば日本国の歌の景は、ことごとくこの山城の一小盆地の、風物にほかならぬのであった。ご苦労ではないか〉とあって、歌の中の季節感は京都を中心に同心円的に広がっていて、実際の自分たちのいる田舎の風景とはずれると指摘してます。つまり春霞という言葉は京都にあって初めて実感できる。それは私も京都に住んでから感じました。逆に言えば京都を描くには、京都を中心に蓄えられてきた言葉の厚みと向き合わざるをえない。

円城:僕は北海道出身で、修辞として知っている日本の四季と肌感覚がつねにずれるんですよ。日本の四季はこのように書くと、あくまでもルールとして学んだけれど、関西にいるインサイダーはナチュラルに感じとれるんですね。

福永:なるほど、円城さんは外から来て、いわば日本の四季を追体験したのか。だとすると翻訳の問題が気になります。京都の四季の描写が持つイメージをすでに内面化している読者ではなく、まったく季節感を共有しない、わからない、たとえば外国の人が読むとどうなるのか。なんとなく自前の季節感を無理に代入しながら読んでいた小説も、京都に聖地巡礼的にやってきて土地で読むと、これがあれか!と気づくこともあるかもしれません。

円城:京都の場合、それがいきなり日本語の基準になるのが面白いですよね。日本語の古層にダイレクトにつながってしまうので。と、さっきから言い訳っぽくなっているのは、鴨川を舞台に小説がものすごく書きづらかったからです(笑)。

澤西:それで言えば、芥川龍之介や谷崎潤一郎は、京都のイメージを継承しながら自分でかみ砕いて書いていると思いました。芥川は僕にとって研究対象でもありますが、東京の人であり、自身は一度も洋行したことはないけど、海外文学を熱心に読んでいて、文化を外から見つめる意識を常に持っていた作家ですね。

円城:京都のイメージが絡みついてこずに、見通しがいい。これが当時の人にとって、新しい衝撃のひとつだったのではないかと思います。

澤西:ではここから第二部として、それぞれの作品披露といきましょう。

円城塔『蜻蛉日誌』

 鴨川の石をすべてひっくり返してやろうという願をかけたのは、その誕生日のことであったという。
 七本の蝋燭の立つ牡丹餅を前に宣言した。
 親は止めた。
 兄も止めた。
 まだこの世に気配さえない弟だけが、その願掛けを喜んだ。その願いとは、弟が欲しいというものであったからである。いまだ道理をわきまえぬ未存在のものであるから、ただただ無邪気に自らが兄に望まれたことを祝った。
 川の石を全てひっくり返すことができなかったら願が一体どうなるのかは、当人にもまだ存在しない弟にも想像の及ぶところではなかった。両親のほうではごく平常に、こづくりということは考えており、願掛けの要は認めなかった。むしろその願こそが邪魔になるおそれを抱いた。止めようとするみなを構わず、一息に蝋燭の火は吹き消され、さてそれは願を立てる作法にふさわしくもみえた。

 願のことは翌日には忘れてしまったが、中学生になってから、本当に鴨川の石を一枚一枚、ひっくり返して歩いた。なぜかそうした。弟はついぞ産まれなかった。生まれることもまたないはずである。いもうとはひとり、できていた。
 子守を任されたときは、その手を引いて河原へおり、一枚一枚石をめくった。いもうともまた手伝った。石の裏にはさまざま、小さな生き物たちが棲んでいた。つまんで針に取りつけてふたり並んで竿を下ろした。夕食ができるときもあり、できぬこともたまにはあった。
 観察日誌をつけている。その日みつけた虫たちとその日の出来事、食事の内容、いもうとの様子などが記されていくことになる。

※続きは『TRIVIUM』(トリヴィウム)』でお楽しみください。

福永信『鴨川』

 丸一日続いた沈黙が破れた。「見えます。ああ見えた。見えてきましたよ」と言った。「冷たい。水だな、これは」と言った。言ったのは超能力者である。日本語だったことに皆驚いた。「流れています」と流暢な日本語で続けた。驚きは声にはならなかったが、次に、ははあ川かと誰かが口走って慌てて別の誰かにふさがれた。近くで、あるいは遠巻きに全部で十一、二名ほどの人々が取り囲んでいた。昨日、「何が見えるんですか。坊やは無事ですか。今どこにいるんでしょうか」と女が思わず声をあらげてしまい、肩をゆすってしまい、この超能力者のやる気を完全に喪失させてしまったのだった。昨日はそのためそこでおひらきとなり、温泉へ連れてゆき、ご機嫌を取らなければならなかった。通訳も雇っており一日のびればその分だけコストがかさむので事務局はやきもきしていたようである。さて今日になり、超能力者は昨日と同じ椅子に座り、皆を遠ざけて、目を閉じた。お香が焚かれて皆をリラックス空間へと導いた。長い沈黙が始まり、すでに触れたがその沈黙が丸一日続いたのである。そしてさっき、見えましたとようやく口を開いたわけだった。それが日本語だったことに皆が驚いたこともまたすでに触れた通りである。人は、何度でも同じことを言うのをもう恐れてはならないのである。市民の尽力によって来日したこの超能力探偵は瞼を伏せたまま手を床すれすれにおろし、かき混ぜるようなゼスチャーをしたのち、軽く振ったのはおそらく水のしずくを払ったのだろうと思われた。次にズボンをまくり、裸足になって、歩き出したのは、川にジャブジャブ入ったことを意味するように思われた。「まさか、息子は川の中に」と、見守っていたうちの一人の男がそう言いかけて倒れ込んだのを別の一人が支えたのである。「橋が見える」とか「人が見える」とかその後も何かと断片的に日本語で告げたけれどもその口から出るのは全国どこにでも当てはまってしまいそうな一般的なものばかりであり、皆を失望させた。もっと決定的な、場所をここだと特定できるような豊かな描写を皆は待った。「いったいどこの川なんですか」と、皆、喉のここのあたりまで出かかっていたのであるが、我慢して言葉を飲み込んだ。

※続きは『TRIVIUM』(トリヴィウム)』でお楽しみください。

澤西祐典『鴨川アンダーグラウンド』

 街や鴨川のほとりで、道ゆく人々の胸元やカバンをよく御覧なさい。そこに鴨のピンバッジがついていれば、彼らは秘密結社の一員かもしれない。
人目を忍ぶように暗がりに身を寄せ、眼光鋭く辺りに一瞥をめぐらす者など特に怪しい。その人物を注意深く追跡し、それからあなたに多分に運があれば、彼(あるいは彼女)が、河原のベンチ裏やカッフェーに仕組まれた隠し扉にさっと姿をくらませ、鴨川の底にひろがる雄大な地下世界へと旅立つ場面を目撃できることだろう。
 鴨川アンダーグラウンド。我らが秘密結社の創始者として、イヅル・シンムラーの名が伝わっている。鴨川を愛する念が激したあまり、彼は史書、古文書の類に「鴨川」の文言を追い求め、挙句、Emperor Shirakawaの有名な一節に込められた真のメッセージに、はたと気がついた。「わが意にかなわぬは、山法師、双六の賽、鴨川の水のみ」。すなわち、「鴨川の面はままならねど、地下なら如何ようにもできようぞ」。以来、イヅルはShirakawaの遺した地下空洞を捜しもとめ、その発掘に成功した。つまり、結社の真の創設者は、白河法皇であるともいえる。
(中略)
 鴨川アンダーグラウンドの存在が世に曝される危機に瀕した大事件が二度ばかりある。一度は京阪電鉄による延線工事だ。それまで三条駅を終点とする京阪本線は、鴨川の堤防の上を走っていた。それが出町柳まで延伸するに際し、七条からすべての駅を地下に配することに決まった。京阪電鉄のトンネル工事がアンダーグランドを掘り当てればすべてが水の泡、白河法皇の時代から続く隠微な遊びが白日の下にさらされてしまう。結社一同は、川沿いの桜吹雪のなかを電車が走ってこそ古都の風情が守られるなど尤もらしく、わけのわからぬ理屈を並べ立て、あの手この手で反対運動に出たが、功を奏さず、京阪電鉄の地下鉄化工事がはじまった。しかし、八坂様のご加護があったに違いない。工事業者は、プラットホームにそのまま使えそうなアンダーグラウンドが真横に広がっているのにまったく気づきもせず、工事を終えてしまった。いまでも京阪電鉄の乗客は、すぐ隣に幻のホームといもえる広大な空間があるとは夢にも想わず、はては自分たちが鴨川と並走している事実さえ忘れて、日夜鴨東(おうとう)線に運ばれてゆく。
 第二の危機は、驚くべき集団によってもたらされた。トマソンさがしのA・G(赤瀬川原平)、アスファルトのはがれた穴にできたちいさな坪庭を愛でるF・T(藤森照信)、マンホールの鉄板に吸い寄せられるH・J(林丈二)らによって結成された路上観察学会である。その大規模調査が京都で行われた。どこにも続いていない外階段、コンクリートで塗り固められ、誰も出入りできないはずの勝手口、人家に食い込んだ鳥居、そこかしこに点在するいけず石、自転車のケモノ道たる〝御所の細道〟など、わずか数日の滞在で、彼らはめくるめく成果を挙げていった。結社のメンバーは、マンホールの蓋に偽装した入り口を見上げ、あるいは無用門に見えるよう細工した隠し扉の裏に張りこみ、路上観察学会の面々が地下へと突入してくる瞬間を今か今かと待ち構えた。ところが、路上観察者たる彼らは、マンホールの蓋を眺め、無用門を写真に収めると、なんとそれだけで満足し、踵を返して去っていったのである。私たちは狐に抓まれた思いで彼らのうしろ姿を見送った。かくして二度の危機は回避された。

※続きは『TRIVIUM』(トリヴィウム)』でお楽しみください。

円城:さて、どれかが鴨川観光の役に立つか。いや、立たなくてもいいけど。

福永:円城さんの作品は出だしからいいね。石を裏返すところと、生まれてもない人間がちょっかいを出すというアイディアが面白い。文字だからこそできることだし、脳にコッソリしのびこめる。

円城:今西錦司という生態学者が鴨川で石をひっくり返しながらカゲロウの観察をひたすらしていたんです。そのネタで書きました。期せずして鴨川に入りましたね。

福永:澤西さんは地下に潜りましたか。

澤西:鴨川の地上には意味が溢れすぎているので、それを更地にする、意味をひっぺがす方向にいきました。あとは、鴨川に手のひらに載るぐらいのポータブル感が出せればいいなと。

円城:澤西さんは毎回芸風を変えてきますね。このままラップ調になるのかと思った。

福永:シンプルなような混みいってるような、よくわからないところがすごい。想像力を野放しにするところがいいなあ。僕は、タイトルだけが完璧という……まあ、しかし鴨川と思って書き始めると気恥ずかしいですね。僕と円城さん、あるいは長嶋有さんなんかも同世代ですが、消費された固有名詞をそのまま書くことに躊躇を覚える世代なのかもしれません。でも柴崎友香さんのデビュー作『きょうのできごと』はあっさり鴨川デルタから始まります。鴨川、ひいては京都のことを自然に描いた名作です。

円城:たしかに固有名詞は苦手ですね。織田信長と書きたくないのと同じかな。

澤西:私はなにかを調べれば調べるほどそれが書けなくなります。このイベントでも当地に行っちゃうと風景に規定されてしまい、書けなくなる。そこをかいくぐるために、今回は別次元を立ち上げたのかもしれません。本当は資料で踊りたい、遊びたいとは常々考えているのですが。

円城:と、ここまでいろいろと話してきましたが、これらの完成版は京都文学レジデンシーの雑誌『TRIVIUM』(トリヴィウム)』に掲載され、その後、冒頭でも言いましたように、ゆくゆくは「青空文庫」で公開したいと思います。今日はありがとうございました。

※3人の小説の完成版は『TRIVIUM』(トリヴィウム)』でお読みいただけます。小説は青空文庫にも掲載予定です。
ご購入はこちら☟

2021年10月30日実施のオンラインイベント「鴨川を読む・書く」をテキスト化するにあたり加筆修正を加えました。

主催:⿓⾕⼤学国際社会⽂化研究所×京都⽂学レジデンシー
ホスト:CAVA BOOKS
協賛・:香老舗 松栄堂

編集:江南亜美子(@ami_ena

プロフィール

円城塔(えんじょう・とう)
1972年、北海道生まれ。作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。2007年「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞を受賞しデビュー。『烏有此譚』(講談社)で野間文芸新人賞、『道化師の蝶』(講談社)で芥川賞、『屍者の帝国』(伊藤計劃との共著、河出書房新社)で日本SF大賞特別賞、『文字渦』(新潮社)で川端康成文学賞と日本SF大賞をそれぞれ受賞。21年にはネットフリックスで配信されたアニメ『ゴジラS.P』の構成・脚本・SF考証に携わった。

福永信(ふくなが・しん)
1972年、東京生まれ。作家。京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)芸術学部芸術学科中退。1998年「読み終えて」でリトルモア第1回ストリートノベル大賞を受賞しデビュー。第5回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。『星座から見た地球』(新潮社)、『一一一一一』(河出書房新社)、『三姉妹とその友達』(講談社)など、編著に『こんにちは美術』(岩崎書店)、『小説の家』(新潮社)、『絵本原画ニャー! 猫が歩く絵本の世界』(青幻舎)などがある。

澤西祐典(さわにし・ゆうてん)
1986年、大阪生まれ、ハンブルグ育ち、兵庫県出身。作家・龍谷大学講師(日本文学研究)。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。2011年、「フラミンゴの村」ですばる文学賞を受賞しデビュー(集英社)。その他の著書に『雨とカラス』『文字の消息』(いずれも書肆侃侃房)、共著に『ペンギン・ブックスが選んだ日本の名短編29』(ジェイ・ルービン編、村上春樹序文、新潮社)、共編訳書に『芥川龍之介選 英米怪異・幻想譚』(柴田元幸との共編訳、岩波書店)などがある。

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