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第1回 公益社団法人京都染織文化協会 ~昭和初期の京都で行われた「染織祭」について情報を募っています~

 公益社団法人京都染織文化協会は、昭和初期京都四大祭りのひとつと言われていた染織祭という祭りにおいて、女性時代風俗行列で用いられた衣装「染織祭衣装」を現在まで保管・保存する取り組みを続けている他、多くの方に日本の伝統的な染めや織りを継承する染織文化について広く知っていただく活動を行っています。衣装が制作されるきっかけとなった「染織祭」がどんな背景の中で生まれ、業界や市政などにどういった影響を与えたのか等を知るため、平成23年度から調査を続けています。現在染織祭が行われていた昭和6年から昭和26年、特に行列が行われていた昭和6年から昭和12年の染織祭について調べています。

「女性時代風俗行列・鎌倉時代 女房の物詣」絵葉書(京都染織文化協会蔵)

 染織祭とは、京都の染織業者を中心に組織された「染織講社」が主宰となり昭和6年から昭和26年までの間、行われていたお祭りです。当時は現在の京都三大祭りに染織祭を足して「京都四大祭り」と称されていたほど、多くの観衆が集まる活気あるお祭りでした。中でも、上古から江戸後期にかけての時代衣装に身をつつんだ花街の女性たちによる「女性時代風俗行列」は一番の目玉であり、絢爛豪華な衣装は多くの人々の注目を集めました。

青地雲形錦唐衣他 奈良14号(京都染織文化協会蔵)
染織祭行列絵葉書「奈良朝時代 歌垣に立つ女」(京都染織文化協会蔵)
染分縮緬地藤花水車文様振袖 江戸前期9号-1(京都染織文化協会蔵)
染織祭行列絵葉書「江戸時代前期 小町踊」(京都染織文化協会蔵)

 染織祭衣装は各時代の風俗や技術を復元して制作されており、現代では再現の難しい技術が使われていることから、制作された当時の染織技術力をあらわす貴重な資料でもあります。

 染織祭では1日目に祭祀・式典を行い、2日目は簡易的な祭祀・式典の後、行列が京都市内を練り歩きました。 

 染織祭は、和装産業においては、染織祭に関連付けて行われた販売促進イベントや当時開催されていた染織品の見本市などに客を集める広告塔のような役割を果たしていた他、当時約30万人が祭りを見物したとされ、京都の観光業においても大きな影響を与えました。
 しかし、昭和12年に開戦した日中戦争により、昭和13年から女性時代風俗行列は中止となります。その後は1日目の祭祀・式典のみが行われていましたが、太平洋戦争後も行列は復興せず、ついに昭和26年の祭祀・式典を最後に染織祭が行われることはありませんでした。その後、染織講社は解散し、京都染織文化協会の前身である「京都織物卸商協会」に染織祭衣装をはじめとする資料一式が移管されました。そして公益社団法人京都染織文化協会となった現在も貴重な衣装等を丁重に保管・保存しています。

 染織祭について、何か手掛かりをご存じの方は下記リンクの当協会ホームページのお問い合わせフォームより情報をご提供いただけましたら幸いです。
 また、当協会ホームページ、染織祭Wikipediaにて今までの調査で明らかになった染織祭の内容を簡単に記しています。ご興味がありましたら是非ご覧ください。