赤い電話ボックスの中から and good luck
〆切り間際に青い鳥と遊んでたら、あろうことか屏風の隙間に親方の顔。超ブルーの憂き目に空元気益荒男。しばらく。わざわざクリック御足労いただきやした。
今しがたお届けするのは「ルール」のおはなし。赤信号を渡る?それとも青信号を渡る?赤の色眼鏡をかけると赤信号が見えなくなって、こりゃ大変だと慌てて青い眼鏡をかけてもこれ同じこと。右目が赤く、反対側が青い眼鏡をこしらえたら信号機が飛び出して見えてくるってんだから大したもんだ。
京都中京区壬生辻町、長州藩士斬られたる町よりお届けし申し上げます。
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ルール、法律、作法、マナー、気づかい。近頃なにかと狭ッ苦しい世の中でございます。何を申すも誰かが起こって飛んでくる。やもしれぬ。誰もが何かの警察――おっと失礼警察でなくてお奉行でございやした。
誰もが何かの奉行の時代。かみしもがモニカの苦行みたいに。願うだけでは飽き足らず追いかけて追いかけて追いかけて改心させようとするんでございますねえ。お人形さんみたくお行儀よくしとかないとお向かいさんが仰々しくお説教しにくる。お奉行さんof 仰山な今日このごろは、お冗談の行間にすら恐恐として語呂合わすのにも一苦労。
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時は平成間際の2019年、正月気分のすっかり抜けた冬のことでございやした。スラックっちゅう便利な飛脚がございやして、そこで瓦版の親方が一言ぽつり。「note は自由自治区。よかったら息抜きに書いてみろ」とあっしらに耳打ちするわけです。
はて、これは困った。なんでも「好きにしろ」と言われるのが一番困るものでございやす。ゆうげの支度ひとつとっても、まあ骨の折れること骨の折れること。1Kのアナーキーならいざ知らず、僕の僕による僕だけの国家とはわけが違うんですねえ。とお近い数の人の中で何かを書くわけでございやすから、それはそれで覚悟がいるってもんです。
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ルールっちゅうのは大きく分けて2通り。【権力が決める規律】と【みんなで決める社会規範】。幕府やお奉行が頭ごなしに決めてしまうのがひとつ、なんとなしに町の中でこしらえる決まりがもうひとつでございやす。例えば丁稚奉公の挨拶は背広が無難っちゅうのが世の常でして。あっしも最近知ったんでございやすが、高座にあがる時に革ジャンを着てはいけないとのこと。いやあ難しい世の中でございやす。
【権力が決める規律】っつうのはバレなきゃ構いやしないわけですが、【みんなで決める社会規範】はそうはいかない。これが難しいところでございやす。【権力が決める規律】は丁か半かハッキリしてそりゃあもう犬畜生にでも分かるってな具合ですが、【みんなで決める社会規範】は勝手が違う。ピンとキリしかない。「ピンからキリまで」じゃない。「ピンとキリ」なんですわ。
なあなあの約束事が規範と呼べるほど定着してくると、人っちゅうのはソレをなかなか破れないっちゅうから驚きますわな。さらに、ひとたびその規範に則ってルールを守り続けると、自分もまたその法ならぬ法を犯すのが怖くなってしまうわけです。守っている人数の総数と、守られている時間の総量の2軸がございまして、この2つの掛け算で社会規範の強さを推しはかることができるんでございますな。平面座標第1象限に存在する起点より最も離れた点に位置する規律が最も強固ということでございやす。
厄介なのは守れば守るほど約束は青天井に登っちまうくせに、破っちまうとはたと「キリ」になってしまうんすわ。一滴でもクロの血が入ってるとそいつぁクロっちゅうふうに眉を顰めるメリケン南蛮人の古い考えみたいなもんですなあ。世間様に迷惑のかからんようにも、規律を守らねばならんですよ。井戸を潰したいのなら、たったのひと匙の毒を盛るだけで構わないわけで。もっと言えばひと匙どころかひと滴もいりゃあしません。「毒を盛ったかもしれねえ」と一言いやあ済む話でさぁ。なんだ、揺れたか?こんな時間に地震だってよ参ったね。
ポイントは――おっといけねえ、こいつは横文字だ――話の肝はこう。守り続けることでルールが作られていく、ということ。そして最初の1歩は早いもん勝ちっちゅうことでございやす。
時計回りで自己紹介なんてのをさせると、頭のヤツが「好きな食べ物は……」なんて言いだすと2人めからも大抵の確率で「好きな食べ物は……」と同じことを言い出すわけです。誰も聞いてないのに。webメディアなんてやってるとみんな個性の塊というか、自己顕示欲の運動会みたいなコミュニティーなのでこうした現象に経ち合うケースは少ないかもしれません。でも世間の普通というか、並の人ってそんなもんだと思います。
だから最初に飛び出す必要があるわけですね。でもそれはそれでやっぱり難しくて。合理的な正解を叩きだすことは出来るかもしれませんが、非合理こそが人間性だったりするかもしれないじゃないですか。こと文芸の世界において合理性だけを追求するなら、そもそも情報の伝達手段としてテキストは劣勢なわけだし。おっと、話を「早いもの勝ち」に戻します。でもそれって結局声の大きさだったりもしますよね。どうやら世の中ひとり1票じゃないらしい。投票所も自由だから、逆ウォーターゲートみたいなことだって可能でしょう。それがブランディングってことなんでしょうけど、やっぱり自分は苦手だなあ。
そういえば本稿冒頭に陳腐極まりない音韻のためだけにわざわざ数世紀を跨いでまで呼び出された聖母モニカ。――の息子のアウグスティヌスは自由意思で各々が自らを正しく律することを説いたわけですが、これもなかなか難しい。正しい正しくないを判断するのは誰?というところに着地します。あ~~しまった。ギリシャ哲学なんて10代にちょっと齧っただけで何にも知りませんわ。しがんではみたけど子供の舌には渋くて残してきちゃいましたよ。
てなわけでございやす。え?なに?なんで途中から急に(似非の)江戸ことばを止めたかって? 別に良いじゃないですか。僕の自由ですよ。自由意思。レペゼンギリシャ。そもそもうちの育ちは京都やさかいに。ごめん前言撤回。レペゼン京都。ギリシャ?知らんよ。
でもなぜか気づかなかった段差を降りてガクっときてしまうような違和感はありませんでしたか。少なくとも書いている僕は「あれ、いつもどうやって書いてたっけ」と脳内が散らかってしまいました。「日本語忘れた」なんて対して勉強もしてないのに親の金でオーストラリアに留学した8:2分けの女子大生しか言わないと思ってましたけど、実際結構短時間で忘れますね。ごめん君のこと誤解してたよ。
自分の中だけでは小さな規律を作って一時的に守ることに成功したらしい。いや待てよそもそも日本語というコードからは逃れられないのかな。記号論の樹海の標識が見えてきそうだ。ってか樹海の標識ってあるのかな。あるとしたら田舎の国道のマクドの看板みたいなやつかな。それともネットカフェポパイの立て看板みたいな感じかな。ってことは樹海の看板を持って座るバイトとかもあるのかな。なんか嫌だな。人を樹海へ誘った金で食う飯ってどんな味すんだろ。
なんだか眠くなってきた。いま何時? 天使は僕の何を齧りにくるのかな。
■著者近影
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