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『インヴェンション・オブ・サウンド』書評


 この小説は音であふれている。犬の遠吠え、ワインをグラスに注ぐ音、錠剤を奥歯でかみ砕く音、真珠のネックレスをはずす音、録音テープのざらざらした再生音、サイレンやエンジンの音、電飾の電球がはじけ割れる音、建物が崩れ落ちる音、そして悲鳴。
 それもそのはず、主人公の一人、ミッツィ・アイブズはハリウッドで音響効果技師をやっていて、「悲鳴」作りにかけては定評がある。音源を売らずにライセンスを売って暮らす彼女の録音スタジオは、絶対に音が漏れないような厚いコンクリートで覆われ、どんな音も拾えるマイクや録音機材、音源テープがひしめいている。その中に「シリアルキラー、子供の手で生皮を剥がれる」というタイトルのテープが1本。
 もう一人の主人公、ゲイツ・フォスターは17年前に行方不明になった娘を探し続けていて、時々、子供を失った親たちが集まるサポートグループに顔を出すのだが、喪失感は消えるどころか増幅している。娘は誘拐されたと思い込み、ダークウェブ上の児童ポルノサイトを徘徊しては、誘拐犯探しに躍起になっている。
 あるとき、フォスターは『血みどろベビーシッター』というB級映画の中で、「助けて! パパ助けて! やめて! 助けて!」という悲鳴を聞いた。娘の声だ、と確信した彼は、その場面を演じた主演女優の居場所を突き止める。あの悲鳴が女優の声ではないことを確かめるためだ。ところが、これをきっかけにミッツィとフォスターの人生が交差しはじめる。この交差ぶりをひとことで言えば「謎」。謎を包む皮をいくら剥いでも、メリメリ、ガシャン、バリバリといった音とともに混乱が顔を出すだけだ。
 作者チャック・パラニュークの代表作『ファイト・クラブ』は1999年に映画化され、日本語訳(同じく池田真紀子訳)も刊行されている。ファンならもちろんのこと、『ファイト・クラブ』を知らない世代でも、『インヴェンション・オブ・サウンド』をきっかけにパラニュークの作品を遡る楽しみを発見することだろう。
 


これは2023年6月17日に開かれた「第4回翻訳者のための書評講座」で書いた書評です。課題書で書評を書いたので、同じ本についての書評を同時にいくつも見ましたが、はっとしたのは「敬体」で書かれたものでした。この小説の実はぶっとんだ馬鹿馬鹿しさを表現するのに敬体はぴったりだと初めて気づきました。

で、私自身の書評には豊崎さんからどういう指摘があったかと言いますと、「比喩がおかしい」でした。毎回、この講座では比喩は話題になり、いつも「注意事項」としてメモっているのにもかかわらず、やらかしました。元の文はこうだったのです。

謎を包む皮をいくら剥いでも、その下にまた謎めいた皮が待っている。最後まで読み終わると、聴覚がすっかり敏感になっているはずだ。

「皮を剥いで、なんで聴覚が敏感になるの!!」 はい、そのとおりですね。気づきませんでした。そう、自分では全然気づかない。他人の目が必要なんです。文章作成には壁打ちのような練習が必要です。パコーンと打った球がボコーンと頭に跳ね返ってくるこの感覚、大事です。

後日、別の創作のための文章講座に顔を出し、「比喩がおかしいときって自分じゃ気づかないですよね」とコメントしたら、「比喩なんか要るか?」と言われました。要らないかもですが、使いたくなるんですよね。だから、今回の修正版にも比喩を手直しして使いました。どうでしょう?

あと、想定媒体選びが私はちゃんとできてません。毎回、小泉今日子の書評を参考にしているので、「読売新聞」なのかもしれません。次回からは、きちんと読者層を想定してから書きます(天に向かって決意)。


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