通年スランプ
高校を卒業してから3ヶ月が経ち、フリーターとしての生活を日々送っている19歳と16日の僕。
島暮らしを終えた今、僕は毎日新宿の東口で朝から晩までアルバイトをしている。「これもこれからの生活のためだ」と意気込んで始めたこの生活も日々弾力を失い続けている。
写真を撮ってみるも、そこには何かの「悲壮感」みたいなものが垣間見える気がしてならないし、テーマをもって撮ってみても、そのテーマに自分が分解されている始末である。
多分、スランプである。(心的に)
人口2000人の島に3年間住んでいた自分は、毎日、新宿駅(一日の利用者日本一)の改札を通っている。自分を含む多くの人間が肩を寄せ合い、睨み合い、避け合っている。この状況がどうも慣れない。「慣れた」とは頭では思っているものの、心はしっかりと蝕まれている。そう、自分という存在を他人に晒しすぎているのである。誰かに何かを伝える気もあまり起きない。
誰も見ていないことは知っているが、そんなことはどうでもいい。自分がそう感じてしまうのだ。環境の変化が人にここまで影響を与えてしまうのか。焦る。「早くここではないどこかへ行きたい」と思う。
「どんな環境でも、心の持ちようで明るく生きられる」。そんなことは決してないだろ。確かに一時的に元気なときもある。それは否定しない。しかし総じてネガティブである。これを場所や年齢のせいしてはいけない!と強く思う。思うが...。では、何か!愛の問題か!?
東京という街は魅力的でありながら、今の自分にはまだ巨大すぎる。まだ今の僕には庭に咲く花を愛でるくらいがちょうど良い。サイズが合わないのだ。
そうだ、頭では分かっている。「人それぞれ、比べてはいけない、性善説で」。それを受け入れるだけの心の余裕が今の自分にはない。だからもっと小さいところから徐々にやっていく必要があるのだと感覚している。
だってそうだろう?金も自由も生活範囲も増えた。それなのに何かが足りないと猛烈に思うのだから、きっとそうなんだ!今必要としてしてるのはこの生活ではない。
いつだって心が解放される瞬間は、10歳の時の自分と同じように生きているときなのだから。山手線に乗るのではなく、田んぼ道を自転車で駆け抜ける瞬間なのだ。
多分、そんな大きい問題が自分の目の前に横たわっていて、それから目を背けたくてしょうがない。分からないものだらけだ。通年スランプだ。それは多分僕の自信のなさから来ていて、でもその弱さがなければ僕ではなくて。ようするに、遠回りだったが、「東京はまだ僕には早い」。
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