優しくなりたい
「そういうの嫌いだ」と吐き捨てるように言ったあの時の君が、「ありがとう、また会おう」と言ってくれて僕は嬉しくなったりする、なんていうような誰にも分からない気持ちが一つの場所に留まり続ける、そうやっていつか死んでいく。そこには時間がある、時間があるんだよ。
実体のない、掴みようのないものが鼻先を掠め続ける、押すと引っ込みそうな、流動する。「きっとどこにも行けない」そんな気持ちになる。
どうにもならない世界があって、戦争があって、今もあることに気づこうとしない僕はとんだろくでなしだ。でも同時に泣きたくなるような優しさがそこにある、夏祭りに出かける前のあの気持ちと母親の横で目覚めた朝。
また君が来て「大丈夫だよ」って言ってくれればいいのにと思う。どうしようもなく人を傷つけてきたと思うし、でもそれを優しさで返してくれた人たちがいた。何か定言することはない。この気持ちを少しだけ留めていたい。もっと自分の声を聞いて、見つめていたい。
知識、経験、大袈裟な語り話、余裕をもって君に接する心すら持ち合わせていない僕は若さなんていうそれこそ実体のないものに縛られて、小さな旅に出る。「そんなことでは、」と毎回立ち止まるのだけどそれが今の僕なのだから仕方ない。生意気にも開き直っていこうじゃないか。
『夏来にけらし退屈と』
遥か遠く夢見ていたはずの17歳はとうに過ぎ、僕は心地の良い春を抜け出して西へと向かった、西へ西へ。一般的に青春と呼ばれるその期間は儚く幼く暖かい。僕らはその姿に桜などの春の景色を重ねたりもする。今年の冬にチェコはプラハに行った時、共産主義博物館なるものがあったので行ってみた。それまでも太平洋戦争には興味があったけど、共産主義の歴史については深く触れてこなかったのでこれを機に知りたいと思った。博物館に入る前にネットで事前知識をと思い、調べるとその歴史に軽く鳥肌が立ったことを今でも覚えている。大陸であるからこその隣国とのせめぎ合いと共産主義の性質、、。その後で回った博物館では、歴史よりもそこに生きた若者たちや作家たちの姿が目についた。あんなにも綺麗なプラハの街並みの見え方が180度変わった展示であったし、そしてその激動の中、彼はそれを「プラハの春」と呼んだ。
翻って自分自身について考える、フランスでフランス語を学んでいる僕はこの半年間写真に対してどうも身が入らない。圧倒された初めてのパリフォト、気づき始めた自分にとってのストリートスナップの限界、とても紳士だったけどはっきりと「やめてくれ」と僕に言ったムッシュー。そんな時に思い出したのがアレック ソスの写真集とインタビューだった。
高校時代、島根県の隠岐に住んでいた頃に作ったマガジンのことを思い出した。自分が何かを伝えたいのかということをしっかり設定しインタビューに行くのだが、その後はインタビュイーと僕がアドリブで表現し合う。あれを作っていた1年半は楽しかった。じゃあ今の自分はどうか?確かに日本のストリートスナップはとてもカッコいいし憧れるけども、そこにはソスの言うようなリアリティはないと思う。それならば個人詩を書くように考え抜いて、アドリブも許しながらゆっくり撮ればいい。これに反してきたことが以前書いたような問題に繋がったのだとも思う。
しかし、いくら写真の面白さが詩に似ていると言っても、それでも尚写真を撮るのは、写真が言葉にできないものを掬い取る力があるからであるのだと思う。もっと曖昧なものを表現する力、線を引かないで表現できる力だ。別にそこにコンテキストはなくていいのだから写しすぎることもしなくていい。言葉も必要ない。それは少しシラけてしまう。だから僕はソスみたいに8×10を使わなくてもいい、もっと狭い範囲の個人的なもので。
読めない手紙
教会
楽しいTシャツ
大きな葉っぱ
剥がれかけの広告
兄妹
大きな川
デイジー
鳥の群れ
綺麗な栗色の髪
雨の散歩道
ガソリンスタンド
花瓶
おもちゃのロケット
家畜
老夫婦
素敵な帽子
ファンファーレ
松の木林
燃える空
積み上げられたレンガ
小高い丘
海藻
そばかす
革のソファ
飛行機雲
赤い車
売られた写真
使い古されたスニーカー
シンガー
放置されたタイヤ
長いスカート
自由な気持ち
突起
海に続く坂道
木漏れ日
霧の朝
エスプレッソ
宇宙飛行士
空白のページ
このキーワード手法を取るのは初めて作った写真集ぶりで実は2回目。36×16だから慎重になる。でも、もっとゆっくりと被写体に向き合ってみるのも悪くない。空白ページ症候群?の僕にはちょうどいい時間の取り方だ。やってみる。ゆっくりじっくりコトコト。(2024,04,17)
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