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あの気持ち良さに名前をつけよう


小中からの友達の家に。

近くて遠いような感じのやつ。最初はクールだと思ってたけど、本当はすごい熱かったやつ。なんか俺が仲良い人はみんな、近いのに遠い気がする。

ラーメンを食べ、ドラマや映画を観て、カラオケにいって、語り合う。いつまでも変わらない遊び方。

彼は演劇をやっている。大阪で彼の家に泊まった夜、お互いのことについて話した。彼の熱い演劇の話。俺も写真の話で返す。完全には理解できてはいないだろうけど、確かに繋がる感覚がある。


そして、一つ話題に上がった。「あの気持ちよさについて」だ。

彼は演技をしているとき、稽古の成果が出てきたとき、役との境目が無意識的になくなり初めてとき、拍手を受けているときのあれ。

僕はシャッターを押しているとき、日々の考えや触れたものが無意識下で繋がり作品として産み落とされる瞬間、世界と繋がれるあの瞬間のあれ。

あの気持ちよさについて。

身体の内側から全てを支配するような、湧き上がってくる気持ちよさ。一度経験してしまえばまた欲しくなるあの気持ちよさ。

説明しようとしてもできないあの最高の瞬間。

あえて説明するなら、「金色の血が脳と心臓に向かって流れ込んできて、全てを肯定できるような、熱くて心地よい」あの瞬間。

ドラッグみないな。喫煙者のニコチンと一緒で、それが足りないとイライラする。生きるために必要なあの気持ちよさ

食べることと寝ることと、それと写真撮ることをしないといけないっていう。そこまできたのは嬉しいし、一つの才能なのかな?とも思う。

夢とか続けるとか諦めないとかじゃなくて、それがないといけないだけ、それは生きると同義だから。

生きるためにあいつには演技が、僕には写真が必要。大袈裟じゃなく本当に。見つけてしまった人にしか分からないあの気持ちよさ。「お互いソレが見つかったんだね、見つけることができたんだね」と彼が言った。

たまに見れる真剣な表情。

僕らのことを夢追い人と呼ぶ人もいるが、そう単純な話ではない。別に分からない人に分かってもらおうとは思わない。

「俺だけじゃないよな笑、よかった。俺ら似てるのかもね」と彼が言った。

普段、「似てる」と言われるのは嬉しくないが、それは嬉しかった。

あれに名前をつけたい。
いい夜だった。

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