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こころ by夏目京石

タイトルふざけ気味ですが、7月1日、「今日の私のこころ」の話を記しておきたいと思う。気づけば、7月1日。先月映画デーは妖怪の孫を観て、もうひと月もたったのか。6月は、他にも青いカフタンの仕立て屋と、ウーマントーキングを観にいけた。昨日はTarを観た。ウーマントーキングが心にずっしりきていて、Tarがかすむ(ごめん)ウーマントーキングは、2023年No.1の映画になるだろうと予想している。もう一度観に行きたいし、こちらにも別で感想文をかいておきたいと思う。マグダレンの祈りよりもつらい映画あるんだってなった。悲しい現実や、その現実をどうにもできない、できなかった無力さ。女性たちの言葉がずっしり重かった(ああ、言葉って重いんだーって思う)そしてその言葉たちに、心がぐううっとつかまれる、感情が揺さぶられる、と同時にその言葉たちは、私を救ってくれる。映画の感想はまたかくからここまでにしておこうか。

ゆりりん(仮名/生後1ヶ月)がRSにかかり、昨日から入院。赤子といえば、母乳の魔法免疫により、あらゆる病気から守られていると思っていた(そんなわけはないのですね)かかる前に既に二度会っているのだけれど、2回目会った翌日にゆりりんの兄がRSになり、その後ゆりりんもうつったとわかったらしい。言っても仕方ないのだけれど、私が持ち込んだのかと心配になってしまう。ゆりりん母から私たちはうつっていないかと連絡あり、その後連絡をとりあっていて、母乳吸い付きが悪くなってきた、重症化したら入院かもーでも、入院は可能性低いらしいよーという連絡を受ける。さらに、ゆりりん母も風邪っぽいと付け加えられていた(確実にそのウィルスだよね)とまぁ、そんなこんなで週末を迎える。入院しないようにと、私の謎の神頼み(八幡さんに通うだけなのだが)をしていたのにも関わらず結局入院となり、詳しい経緯は聞いていないけれど、夜間救急にもかかり、翌朝また病院、からの入院・・・点滴なんかな?手包帯ぐるぐるに巻かれた写真みて、ああこれ現実なのね、私がもらってあげたいそのRS。と言っても、もはやいうだけ無駄、結局なんもできんのやなーとゆりりん母とラインする。(しながら泣く。)祈るしかできない、祈っても入院になっちまっただよ。ラインでは「祈るしかないよな!」「信じるしかないよな!」みたいなやりとりが延々続く。それがまたつらくなる、だって結局何もできない。私の肩の上に見えない石がどーん、頭の上には雨雲がぐわーん という状態の7月はじめの週末。つらー つらー と言ったり思ったり、でも忘れてるときもあるし、考えないようにしようと他のことをする。映画もいったし。日々のあれこれもやって、ヨガにも行ったし行くし。でも、この肩の上と頭の上は全然晴れない。さすがのヨガ様も重々しく、集中ができないというわけではないのに、なんだか空気重め?←私をまとう空気おおよそ1センチほどが、濃いグレーになってて、そのグレーに覆われながら動かす体はどんよりしていて、悶々ヨーガという流派だなぁとかどうでもいい邪念がでてくる。集中できているふうで、その集中が一瞬きれたときちょっとした記憶喪失?みたいな感覚に陥る。ふと、あれ?今日って今なに?今日ってあさやん学校いってる?(日曜日だからいってない)となる。昨日にいたっては、映画をみおわったあと、外にでて誰ときていたか忘れてしまっていた。珍しく人と映画にいったからなのか?普通に一人で帰ろうと、人が歩く方向に流されてしまったんだろうけど。あ、そうかそうか、みんなできたんだよねーって、その後もゆりりん母からのラインがあったので、また映画のこと忘れ、ぼんやりと考えこんでしまう。そして、私は何か気になることがあると、こめかみのところの脈の鼓動が大きくなる(おそらく早くとかはなっていない)それがまた微妙に気になってしまう。ゆりりんのことを考えていると、そりゃもちろん治ってほしいという願い、念が一番なんだけど、今どうしてるだろう?栄養は足りているのか?とか。酸素必要になっちゃったら・・・?死んじゃったらどうしようというのもふと頭をよぎってしまう。満月が近いとよく赤ちゃんが生まれるから、明日満月だし、簡単に死なないよね?とかもう意味不明なことまで考えて、そういうのがグルングルンして、ふとした瞬間に、私がこれを考えこんで一体どうなるの?という私もでてくる。私のこの心配は何?偽善なの?何で、こんなにものすごおおおーーーく、入院中のゆりりんを想像してるんだろう?最悪な事態が起きてしまったらどうしよう、受け入れられない自分自身を心配してるんじゃなかろうか、だとしたら、めちゃくちゃ最低な奴だな、私。とか思ってしまって、さらに肩こる。でも、正直、心配する自分を心配するっていうのはなくはないと思う。受け入れられない恐怖や悲しみを想像して、そうはならない、ならない、ならないで!と祈る。この祈りというのは、他者を思って祈ったとしても、自分のためにも祈ってる。できることがこれしかないから祈ってる。やらないよりいい。そうだ祈るしかない!神社で祈り、トイレの神様に祈り、お風呂の神様、それから最近死んだ金沢のおばあちゃんにもお願いしておいた。聞こえてますかーー?このお祈り聞いてー。と、ここにもかく。noteの神様お願いします。私はこれからもこの世で、この手でゆりりんを抱っこして、お風呂に入ったり、授乳後にゲップさせたりいっぱいしたいんです。今私の肩にのってる石が、ゆりりんのもどしたミルクになってほしいんです!ベッチョベチョの肩、大歓迎です!

赤ちゃんというのは、改めて、尊く儚い。この世と、きっとあの世も見えていてその境目がやんわりしてるんだろうな。ゆりりんよ、この世をもっと体験しよーぜ!「なんでもできる♬ゆりりんりん」というゆりりん兄のつくった歌がずーっとながれている。そうだ、なんでもなおる、ゆりりんりん♬

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