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経済を歴史から紐解く③

こんばんは皆さん。
昔話には小判がよく出てきますがなぜ今それがないの?
言われてみれば思うと思います。
今夜は小判・日本円の誕生と歴史を話します。

黄金の国ジパング

かつて、日本は大量の金銀発掘国でした。
マルコポーロがそれを黄金の国ジパングと
称しました。

国内では金銀銅,そして米が通貨として
流通していました。

東日本では金,西日本では銀が良く採れていたようです。

では、なぜ今この日本に金銀が昔のように流通していないのか。

これは徳川綱吉の下で行う政治にありました。

両替を逆手に取った外国商人による錬金術

徳川綱吉の勘定奉行である萩原重秀は

金銀の含有量で決まる《金本位制》から
政府が価値を決める《信用通貨》へシフトしようということで改革を進めました。

☆当時萩原氏は金は有限だが、信用なら無限に作れると考えていたようです。

そして田沼意次は
小判1両を一分銀4枚と
両替をすることにしました。

☆当時は小判一両は蕎麦と換金すると
訳13万円ほどの価値尺度があったそう。


こうして鎖国状態の
日本は信用通貨はシフトしていく中
欧米諸国では本位通貨制を続けていました。

そしてペリーが来航、日本は開国しました。

そこで外国商人達は気付きました。
…エッ ニホンノキンヤススギル!
ヤバイヨヤバイヨ…!!!

1ドル銀貨が日本の一分銀3枚の重さであり
日本は何故か一分銀と小判を4:1の割合で両替してしまっていたのです。
小判は当時世界市場で1枚4ドル銀貨と両替
されていました。

☆わかりやすく仮の価値で置き換えて言うと
1ドル銀貨は3万円の重さがあり
世界市場では小判は1ドル銀貨4枚(12万円分)
で両替するのに対し
日本はそれを一分銀4枚(4万円)と小判一両(12万円)と交換出来てしまう謎なレートになってました。

外国の商人達はこれに漬け込み錬金術。

彼らの作戦はこうだ!
①4ドル銀貨を日本に持ち込み
一分銀12枚と両替

②一分銀12枚を小判金貨3枚と両替

③小判金貨3枚を外国に持ち帰り売り12ドル銀貨にする。

①から③を繰り返すことにより1回につき4ドル銀貨から12ドル銀貨まで増える

外国商人の笑いは止まりませんでした。

これにより金銀は海外に大量流出。

それからはこのことが問題となり
幕府は天保小判の3分の1の重さである
万延小判を発行し対策を講じました。

そして明治維新が起き、小判から完全に今の日本円にシフトして行きました。

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