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昭和、それはちょっと野蛮で暖かかく、粋な大人がいた時代 〜私の昭和・練馬と北区赤羽 ハリウッド〜

フリートの横田さんが、さんたつwebに昭和レトロブームについて書いていて、私も昭和という時代について考えてみた。
20代の昭和リスペクト女子が「昭和のすべてが大好き!」と投稿して炎上したとのことだけど、私もその女子のことは知らない。

昔ながらの喫茶店や、昭和時代にデザインされた家電や洋服は確かにかわいいしフォトジェニックだ。とにかく映える。私も好きだけど「昭和という時代は良かった!」とは、手放しでは言えない。でも好きなところもある。

私は錦鯉の長谷川まさのりさんと同い年。
3丁目の夕日よりは後だけど、どストライクに昭和期に少女時代を過ごした。
そんな私が印象に残っている「これが昭和だったな〜」というエピソードを紹介したい。

北の国から来たさっちゃん


小学校時代の友達に「さっちゃん」という女の子がいた。さっちゃんは私の家の向いのアパートに住んでいて、学年は1.2年上だったけれど、よく家に遊びに来ていた。
色白で手足の長い、年齢よりも大人びた印象の女の子だった。さっちゃんはお母さんと一緒に北海道から、お父さんを追って上京してきた。 

さっちゃんのお父さんはテキ屋で、日本各地のお祭りで屋台を出していると言っていた。私が、実際にさっちゃんと過ごしたのは数ヶ月だったかも知れない。その間、お父さんの姿を見たことはない。会えたのかどうかもわからない。

さっちゃんのお母さんは、こっちで見つけた夜の仕事をしていた。さっちゃんが私の家で遊んでいるときに、トースターでパンを焼いて一緒に食べていたら「家にはトースターがなくて網で焼いてるから、真っ黒になる」と言った。

それから数日後、母は家のトースターを紙袋に入れてさっちゃんに持たせた。
「うちは新しいトースターを買ったから、もし良かったら使って」と。
さっちゃんは何も言わずにそれを受け取り、その後、お母さんがお礼に来た。
母とさっちゃんのお母さんは友達になり、さっちゃんが結婚して子どもを持つ頃まで年賀状のやりとりが続いていた。

そんなある日、さっちゃんの家が燃えた。
タバコの火の不始末だったそうで、木造モルタルの古いアパートはあっと言う間に燃え広がった。さっちゃんは、いつものように家で遊んでいたから無事だった。外の騒動を聞いて、玄関先に出たらアパートはもう炎に包まれていた。

門の鉄柵が燃えるように熱くなり、窓ガラスにまで熱が伝わった。私は、ひたすら恐ろしく家に燃え移ったらどうしよう?と怖かった。

さっちゃんは、もっと怖くて悲しいだろう。そう思って恐る恐る隣で火を見ているさっちゃんの顔を見たら、驚くほど冷静だった。
何が起こっているかわからなくて呆然としているいと言うよりは、全てわかった上で「あーあ、しょうがないな〜」と言う諦めの境地のようだった。泣きそうになっていた私の涙も止まった。

それから高校生ぐらいまで、旅行に行くたびに帰り道で、家が燃えていたらどうしよう?と恐怖を感じてしまうほどトラウマにもなってる。

その後、さっちゃんは急速に大人になった。
引っ越し先の、やはり古いアパートに行っても少しよそよそしかった。ほじればボロボロと崩れ落ちるような繊維壁をガリガリと爪で剥がしながら、なんだかとりとめのない話をした。

さっちゃん母子が北海道の実家に帰ったのは、それからすぐだった。さっちゃんは、あっちゅう間に大人になり、10代で結婚した。母宛のハガキには、とてもきれいな色白の花嫁がいた。母が、さっちゃんのお母さんに何か援助をしていたのかも知れないと思ったのは私が大人になってからだ。

母が特別に変わった人だった訳じゃない。まだ昭和40年〜50年代の東京には素性の知れない人でも受け入れる、戦後から続く助け合いの文化があった。
私も隣のおばちゃんの家に入り浸ったり、友達の家で会っただけのどこの誰だかわからない子の家でおやつを食べたりしていた。

友達の家の様子も断片的に覚えている。畳一間とキッチンだけのアパート、部屋半分を占めるような大きな仏壇の前でひたすらお題目を唱えているお母さん、その側にはスケスケの赤や紫のランジェリーが散らかっていたり、夜勤から帰ってきて昼間からパンツ一丁でゴロゴロしているお父さんがいたり。
親もみんな若くて共通する「貧しさ」があって、それをさらけ出しながら、助けたり助けられたりしていたように思う。

それを昔は良かった、と美化したい訳じゃない。子どもへの「しつけ」という名の暴力も多かったし、それを隠さなかった。

東京は練馬の話だ。世田谷や港区は知らない。
「ドラえもん」の世界ではなく「ど根性ガエル」の下町感。初めてアニメ「ドラえもん」を観た時には、しずかちゃんのしゃべり方の上品さに「こんな子どもいないよ!」と違和感しかなかった。

都内最後のグランドキャバレー赤羽ハリウッド


時は移って平成の世。赤羽ハリウッドという、今は無き昭和のグランドキャバレーを取材した時の話だ。

「北区時間」という東京北区の名所を網羅するガイドブックの取材で、赤羽には歓楽街を象徴する「ハリウッド」という昔ながらのキャバレーがあったので、ぜひここを入れたいと思っていた。都内に現存するダンスホールもある大型キャバレーは、ここ赤羽と北千住が最後だった。

昭和の傑物、キャバレー王 福富太郎の店

最初は、創業者の福富太郎氏に取材を依頼した。福富太郎とは、昭和のキャバレー王の異名を持ち、当時の長者番付にもたびたたび名を連ね、テレビ出演もしていた実業家だ。絵画のコレクターとしても知られ、どこか垢抜けない雰囲気の美人画を好んで買っていた。
取材を依頼したのは2017年の秋。その頃には福富氏も85歳と高齢で、取材などは受けられる健康状態ではないとマネージャーから告げられた。

それなら、実際にお店の片隅でショーを見せていただいて、写真を撮って記事にしたいとお願いしたらOKをいただいた。
店に到着したのはオープン前の午後5時。
突然、ラジオ体操第一の館内放送が響いた。
見回すとボーイさんやホステスさんらしき人たちが立ち上がって、ラジオ体操をしている。キャバレーではなく、工場に来たようで不思議な感じがした。

館内の内装は、ここ10年は手を加えてないということで、蛍光カラーのネオンのギラギラやミラーボール、受付の黒電話、マリリンモンロー像…など「映える」こと、この上なく、写真を撮るのは楽しかった。

でもそれが「昭和カワイイ!」ではなく、話はここから。
生演奏のバンドがあるステージ真ん前の席に通されると、コーヒーとサンドイッチ
が運ばれた。サービスしてくれたのは、私より10は歳上かなと思われる女性のスタッフさん。ちょうどハロウィンの時期だったので、可愛らしい飾りがついたカチューシャをしていた。

私は、クリスマスシーズンなどに中高年の店員さんがサンタやトナカイの扮装をしているのを見ると、なんとも言えない胸が締め付けられるような切ない気分になるんだけど、この時も、えも言われぬ哀愁を感じた。

そして運ばれてきたコーヒーとサンドイッチは、驚くほど美味しかった。
特にサンドイッチは高級ホテルのクオリティだった。

高級ホテルのクオリティって、そんなにホテルで食事してるのか?と突っ込まれそうだけど、私は20代の頃から様々な都内ホテルで結婚式の撮影をしていて、その頃は3000円〜5000円のご祝儀をもらうことも常だった。ご祝儀を貰って、時間がある時はホテルのラウンジでコーヒーとサンドイッチなどの軽食を食べるのを楽しみにしていた。そんな懐かしいホテルメイドの味がした。コーヒーも当然のように美味しかった。

そして始まった生バンドの演奏も素晴らしく、天井の高いホールは音も良かった。
なんて贅沢な空間なんだ!と感動していたら、ホステスさんの手をとりダンスホールで踊り始めるお客さんがちらほら。黙々と踊り、客席につくと女の子とは距離を置いて静かに酒を飲む高齢のお客さんたち。もう仕事もリタイアする年齢だと見えるのに、きちんとスーツを着ている人が多かった。
店長さんに、ホステスさんの人数と年齢構成を聞いたら「いろいろですよ、年齢も人数も・・」と濁された。ショーの一部が終わる頃になっても客席はまばらで、もうこの時は赤字続きだったのではと思う。

私は、この空間がなくなってしまうのはもったいない気がして、お客さんにどんどん写真を撮ってもらって、SNSにUPさせたらと提案したら、館内は撮影禁止なのだと返ってきた。「お客さんのプライバシーもありますし、撮影はお断りしているんです」それに奥さんに内緒来ている人もいるから恥ずかしいのだとか。

この「恥ずかしい」という感覚、以前、銀座一丁目の路地にある「三洲屋」と言う酒場を取材した時にも聞いた。

当時は、すぐ近くに都庁や読売新聞の本社あり、公務員は午後5時の定時上がり、新聞社は夜勤明けの昼間に上がって、酒を飲んでいたそう。

表通りではなく奥まったところにあったからこそ繁盛したと聞いた。なぜなら当時の大人は、夕方から酒を飲んでいるところを見られるのを恥ずかしがったから。
そうだった、昔のオトウサンは遊びは隠れてやるもの、写真なんて撮るなんて恥ずかしいと思っていた。まだ20代後半から30代でもそんな感覚だったと思う。

そうして翌年2018年の5月には福富氏も亡くなり、赤羽ハリウッドも、ひっそりと幕を閉じた。あの時の店長さんやお姉さん、とびきり美味しいサンドイッチを作ってくれた料理人さんたちはどこに行ったんだろう。

帰りに丁寧に送り出してくれたのも覚えてる。
最後まで手を抜かず、見えないところでも実直に、そんな昭和の仕事人たちの矜持を感じた出来事だった。














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