結局、成人式はハタチのままなのは何故か
こんばんなまらステ🧡Kyoskéこと厚沢部煮切(あっさぶにるぎり)だべさっ✨
一昨年から民法で成人年齢が18歳に引き下げられたことはよく知られているけれど、
結局全国の市区町村における成人式のほとんどは20歳のまま。
その一部は実態に合ってないことから「はたちの集い」とかって名称にして、どこか「愛の手帳」的なノリを感じるのだけども。
理由について飲酒をさせないため、と仰せの自治体もあるけど、これはとても苦しい。
学年でやっているため、まだ20歳を迎えていない参加者が2割強はいるはず。
飲酒をどーこー言うなら満年齢にするか、21歳の学年でやるべき。
その自治体は19歳でも成人式の日は飲酒していい条例でも敷いているのだろうか。
国の法律を書き換えるような条例が敷けるほど、この国の政府は自治体に権限を与えていない気がするけども。
18歳にした場合大半が受験生だから、という理由も言われて居てこちらはある程度納得できる。そーいえば2浪してる奴が無理をして来てたなぁ。
成人式は元々神道や仏教にあったイニシエーションに由来するものではなく、
今ではワラビスターンと呼ばれる埼玉県北足立郡蕨町において敗戦で明日に希望を見出せなくなった若者を元気付けるべく1946年に行った「青年祭」に由来し、今でもワラビスターンだけが「成年式」と呼んで別格感を醸し出している。
人口密度日本一(インドに較べたらスッカスカだけど)、クルド人コミュニティ、そして成人式発祥というのがワラビスターン3大トピックというべきか。
近年は星野源がワラビスターンの誇りかもしれない。
政府は蕨町の青年祭を見て日本復活の狼煙を嗅ぎ取ったんじゃないかな。1948年には成人の日を祝日に仕立ててしまった。すごいスピードだわ。
蕨の取り組みを見て即模倣した自治体もあったようだけど、国が祝日化してしまったことにより、すべての自治体が半強制的に成人式をやる羽目になった。
伝統なんて簡単につくれる、というかすべての伝統はつくられたもの、ということ。
そもそも成人式がなぜ自治体単位なのか、という謎もこれで氷解する。
もう成人年齢は18歳に下がって形骸化してるし、ましてパンデミックでやらなかった年もあるわけで、これを機にやめるという自治体が出てきたっていいのに、そんな話は聞かない。
今やめたら、当事者のみならずその親どころか祖父母ですら成人式を経験した世代である今となっては非難轟々だろーし、
自治体の首長や職員だって経験しているからやめるという発想がないのはわかる。
でももっと根源的な理由がある。
高校を出ると実家を離れて就職や進学する人は多い。
皮肉なことに成人式が定着した以後の日本では東京一極集中政策などもあり、このようなディアスポラ(離散)が加速した。
高校進学自体がディアスポラであり、中学校の友達との再会を楽しみにしている人も多いけど、ひとまず高校というところに照準を当てて、そこから2年。
新生活に慣れつつも、郷里を懐かしむには絶妙なタイミングであり、成人式の再会を機に毎年会う仲になったり、結婚するようなケースも少なくない。
農業社会であれば田植えや稲刈りの手伝いの度に帰郷するような流れもあるけど、工業・サーヴィス業社会では長期休暇は余暇に充てられることが少なくない。
みんなが帰郷するなら国内線は高くなっても国際線は高くならないけど、そーなってないのはなんでだい❓って話よ。
その帰郷だって成人式をきっかけに、会いたい人がいるから行われるケースが多々ある。
同窓会は成人式を代替しない。同じ学校、同じクラスという限られたコミュニティでは出会いの変数がずーっと小さい。
成人式を機に毎年同窓会が開かれるようになったりもするし。
今の日本では成人式がないと関係人口が維持できない。
成人式の開催費用なんて、将来に渡る出身者の関係度をもってすれば簡単にお釣りがくる。
そーゆーものなのだろう。
とはいえ、18歳成人化による成人式への影響は多分大きく出てくるだろうと思う。
成人式の存在を懐疑し、出席しない人が増え始めるはずで、そーなってくると成人式がこれまで果たしていた役割が衰亡しかねない。
Z世代の次のα世代が成人式に素直に参加するだろうか。
成人式なき地域のあり方をいち早く想定することが求められるんじゃないかな。
それはそれとして北九州に生まれ育ってみたかったなぁ。マジであの一団のひとりでありたかった。
それじゃあバイバイなまらステ🧡厚沢部煮切でしたっ✨
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