「 「断定」と折り合って生きたい 」

「断定」について考える。

私は「断定」の持つその強さが怖いと思う。
曖昧で、ちぐはぐで、矛盾だらけの中で「断定」できることなんであるのだろうか。
でもそんな世界に生きていて疲れて、不安な気持ちでいっぱいになると誰かの「断定」に手を伸ばしてしまいたくなる時がある、
すがりたくなることがある。
もう考えることをやめて誰かの「断定」に身をゆだねてしまいたくなる。
そうやって楽になってしまいたいと思う。

宗教は「断定」で成り立っているのではないだろうか、と考えることがある。
「断定」の持つ強さに身をゆだねることで成り立つのではないだろうか。
「断定」という答えがあると、考える問題一つを手放すことができる。

決めなくてもいい。
グレーでいてもいい。
私はどちらかというとそれでいいのではないかと考えていた。

そんな中こんな文章に出会った。
『思考した後に、必ず必要なものがある。
それは「答え」である。
よく考えることが重要で答えが全てじゃなとしばしば言われる。
僕はあれは全部間違っていると思っている。
絶対に答えを出さないといけない。
断定しないといけない。
口からはじめて出てきた「責任」のある「断定」。
これが答えだ。
僕は断定する。よく断定する。
それは違うと人は言う。
いやいや、それが問題じゃないんだ。
なにを断定するのか、それが人間の責任なんだ。
その断定が、思考なんだ。
それが個人で生きることの責任なんだ。
今の社会は、この断定を恐れる。
それは無責任だということ。
今は無責任社会なのだ。
僕は断定する。答えを出す。
それができるだけ間違っていないように研究・調査を重ね、でも最後にはきちんと答えを出す。
その時にしか出せない答え、それを続けること。』

行動をするということは、すなわちそこに一つ「断定」があるということ。
行動力のある人はたくさん「断定」を重ねているということだ。
表現化される行動は断定することを避けては通れないということ。
内心がどんなにグレーの間を揺れ動きさまよっていても、それでは「行動」は生まれない。
行動でしか伝わらないし、行動によって評価される世の中。
その行動に至った背景は、道筋は、人それぞれであり、その一つの行動に宿る思考や思索の量や質は本当に人それぞれだ。
でもやっぱり行動で測られる社会だと思うし、
行動を積み重ねることは心にも体にも心地良い風を送ってくれるものだと思う。

行動をするには思考の断定が必要だ。
ただ、私は自分の中にある葛藤とかジレンマとか矛盾ととかそういう「断定」できないものを何よりも大事にしたいと思う。
拾い幅を大事にしたい。その幅の中で揺らいでいる自分を大事にしたい。
選び取れなかった部分にも思いを馳せられる人でいたい。
そんな余裕と豊かさを持っていたい。
欲張りかもしれないけれど、なるべくそうありたいと、思う。

「どちらにもなれないことを突き詰めればよろし。
「私はどちらにもなれない」と言い続ければいい。」

行動を裏付ける「思考」を、そこに行き着いた「思索」を、豊かにしていきたいと思う。

自分以外の誰かの「断定」にすがるのではなく
自分の中にある途方もないグレーの中から選び取った”私の「断定」”を基に行動を重ねていきたいと思う。
他者の断定に頼る生き方ではなく、
思索・研究を重ねた中で下す自分の断定によって歩みを進めていきたい。


『断定的な言い切りはいつだって気持ちがいいものです。
言っている側も、言われている側も。
特に、自分が思っていることを誰かが断定してくれた時は気持ちがいい。
よくぞ言ってくれた、そういう答えが欲しかった、という気持ちになります。

でも僕は、断定しない誠実さがあると思っています。

「人それぞれです」と答えるのが一番誠実だと思っています。
ネットで見かけるような「必要」「必要ない」という決めつけほど、無責任なことはないと思っています。
一般論としてはリスクヘッジは必要だと思ってはいますが、状況が分からない以上断定は出来ません。

質問される方が、断定した答えを欲しがっていることは、十分に理解しています。決して、後ろめたいから濁している訳ではありません。
誠実でいたいと思うから答えられない。
非常にもどかしいところでもあります。

でも真実とは、断定的に割り切れる分かりやすいことばかりではなく、ファジーなことの中に、自分なりに答えを見つけるものだったりします。
断定して思考停止せずに、誠実に向き合った方が真実に近づけるのではと思うのです。

一方で、自分が断定した言い切りを受け取る側になることもあります。
それを、痛快!と思うことも。
受け取る側として「その通り!」と思える根拠が自分でも咀嚼して考えたものなのか、それとも欲しい言葉を探していただけなのか(確証バイアス)考える必要があると思っています。

断定しない誠実さもあることを、受け取り側でも忘れずにいたい。
どちらの立場になったとしても、出来ることは自分の頭で考え続けることだと思います。
思考停止が一番の敵です。』

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