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少女舞闘綺伝 ジュウトハチ 小説版 第九話

 霧隠才華きりがくれ さいかは両目を閉じ、両手で刀印を組んで一心不乱に摩利支天の真言を唱えている。

 その背後に一人、ゆっくりと忍び寄る者がいた。手には細身の刃物を握っている。

(クラウディアさんはじっとしてろって言ってたけど、どう見ても隙だらけだ、やってやる、あたしだって役に立つ所を見せてやる……!)

 

 才華はやおら目を開き、振り向くと虚空に向けて手を伸ばす。

「ひっ!」

 何も無いように見えていた空間から声がした。才華が伸ばした手は、背後に忍び寄っていた敵の手首をがっしりと捉えていた。強い力で手首を絞められ、敵は持っていた刃物を取り落とす。

 才華はそのまま敵を振り回すと、あっさりと組み敷いた。逃げられないように片膝で押さえつける。

「ふん、貴様ではないな、術を使っている奴は何処にいる?」

 組み敷いた敵は小柄な女だった。涙目になり、ぷるぷると首を横に振る。

「喋らないというのであれば別にいい、命までは取らない、我があるじが望まないからな」

 小柄な女の目に、安堵の色が浮かぶ。

「だが主の希望のぞみを可能な限り拡大解釈すれば、殺さない程度になら、何をやっても良い、そういうことになる」

 才華が兇悪な笑みを浮かべる。女を組み敷いたまま手を伸ばし、女が先ほど取り落とした刃物を拾い上げ、女の眉間に刃先を当てる。

「まず目を抉る、流石に両目とも潰すと、やり過ぎだと言われるかもしれないからな、片目は残してやろう」

 顔に触れるか触れないか、才華はぎりぎりのところで刃先を動かし、相手の耳へと持って行く。

「次に両耳を削ぐ、なに、耳たぶが無くとも音は聞こえる、安心しろ、まあ多少、前からの音は聞こえづらくなるかも知れないが」

 耳から鼻の先へと刃を動かし、鼻の先端へ刃先をちくりと当てる。

「最後は鼻だ、鼻を削ぐ、これも後からシリコン製の鼻を付けてやるから安心しろ、何ならちょっと高くしてやってもいい」

 組み敷いた女の涙腺が決壊し、ぼろぼろと泣き出す。恐怖のあまり声も出せずといった様子で、首を横に振りたくとも鼻先の刃のせいでそれもできない。

「……たったっ、助けて、クラウディアさん……」

 掠れた声でようやくそう言った。

「やれやれ、それぐらいにしてあげてくれませんか」

 数メートル先、何も無い筈の場所から、白い長袍と裤子ズボンの女が姿を現した。

 現れた女に向けて才華は言った。

「術を仕掛けるのは良いが、詰めが甘すぎるな、とどめを刺す気なら、せめてもう少しマシな奴を寄越せ」

「視覚も聴覚も完璧に誤魔化せていたはずなのですが、ヴァイスが……貴女が押さえつけているその女が近づくのを、よくお気づきになりましたね」

「タネを明かせば大したことは無い、投げていたのは武器ではなく、温度と振動検知、その他諸々の機能を持った対人センサーだ、ディスプレイが無くても、体に貼り付けたパッチにちょっとした電気刺激で敵の位置を伝えてくれる、刀印と真言はただのハッタリ、ミスディレクションだ」

「なるほど、科学の力というわけですか、お見事です……さて、この辺で勝負はお預けとして、そろそろ引き上げようと思うのですが、いかがでしょう、その女を放してやってはいただけませんか?」

「ずいぶんと虫の良い申し出だな、人質を得て有利なのはこちらの方だ、貴様の要求を聞き入れる理由がどこにある?」

「……そうですね、それではこうしましょう、聞き入れていたたけない場合、場の結界を解きます、罪なき市民をこの場に招き入れ、巻き込んで、大量の犠牲者を出しながらの泥仕合というのはいかが?」

 才華は小さくため息をついて、言った。

「なるほどな、良いだろう、こいつは開放する、すぐにこの場を去るのならこれ以上の手出しもしない、だが」

「だが?」

「私はこう見えて執念深い、覚えておくぞ、貴様のその顔」

「けっこう、いずれ改めて相まみえる機会もあるでしょう、では」

 白い長袍の女が一礼する、と、その姿は見る間に朦朧もうろうとなり、そして消えた。

 才華は押さえつけていた女から離れる。

「行け」

 女は走り出し、いつの間にか辺りに戻ってきていた雑踏の中に姿を消した。

 才華はスマートフォンを取り出し、電話をかける。

「穴山か、私だ、機器の回収を頼みたい、それと私の生体データはモニターしているな?後で確認したい事がある、それにもう一つ、敵の一人にタグを仕掛けた、位置情報を監視してくれ――」

 ばら撒いたセンサーの回収について細かい指示を出すと、才華は通話を切った。スマートフォンをしまい、駆け出す。


 駅からそれほど離れていない駐車場、大型の黒いバンが停められていた。

 アルバと名乗った少年は黒いバンへと歩いて行き、側面のスライドドアを開ける。

「どでしたー?首尾は?」

 車内で待機していた少女がアルバに英語で声をかける。

 太い黒縁の眼鏡、鼻筋のあたりには雀斑そばかすがあり、口には歯列矯正のワイヤー、短い黒い髪は無造作に鋏を入れたような、いわゆるナードとかギークと呼ばれていそうなタイプの少女だ。

 少女は耳には通信用と思しきインカムを着け、ノート型のパソコンを膝の上に乗せていた。

 アルバは車に乗り込みながら、やはり英語で答えた。

「駄目だね、流石は八犬士ってとこ、他の皆は?」

「あー、ジェーン・ドウによる三好清海みよし せいかの足止めは成功です、けど、熱くなりそうだったんで少し早めに引け上げさせましたー」

「ん、オーケー」

「クラウディアさんの霧隠才華への足止めもまあ成功です、ヴァイスが余計な手出しをしょうとして捕まったみたいですが、クラウディアさんの交渉で開放されましたー」

「しょうがないねえ、あの娘も、まあ死んでなければ良しとしようか」

「でもって今回の作戦の本命、エンギュイエン三姉妹による真田大輔の拉致は失敗、ルーシー……えっと、リル・セブンが敵の能力で活動不能にされ、撤退しました、セブンの生命に別状はなし、症状から判断するに、どうも低血糖にされたっぽいですねー」

「へえ、やるねえ……おっと、ごめんよ」

 アルバは鳴り出したスマートフォンをポケットから取り出した。

「もしもし?」

你好、我是林もしもし 林です――」


 日本から南西方向へ約五千km、アンダマン諸島とマレー半島に囲まれた紺碧の海、アンダマン海。大小無数の島が浮かぶその海の、インドネシア領海内にある、ある島に林冲雪はいた。

 周囲には濃厚な硝煙の匂いが立ち込め、あちこちに死体や負傷者が転がり、散発的に銃声も聞こえてくる中、林は右手に短機関銃、左手には衛星電話を持ち通話している。

「もしもし、こちら林です、島の制圧がほぼ完了しました、一部でまだ抵抗は続いていますが――」

 銃声とともに、数発の銃弾が林の頭上を掠める。

 林は銃声のした方向をろくに見もせずに、手にした短機関銃で掃射する。

 悲鳴が上がり、敵が一人倒れた。

「――まあ、時間の問題ですね、リブとムーンもよくやってくれました、降伏した者についてはそのまま彼女たちの配下に組み入れます――ええ、こちらにいらっしゃる頃までには――」

 林は再び手にした短機関銃を短く掃射した。

 悲鳴が上がり、また一人倒れる。

「掃除も済ませて、綺麗にしておきます、はい、ええ、それでは、また」


 アルバは通話を切り、黒縁眼鏡の少女へ告げる。

「林さんからだ、インドネシア沖の例の島――地元の犯罪組織が根城にしていた島の制圧に成功したって」

「おお、さっすがー、でもちょっと遠くないっすか?ナリタからスカルノ・ハッタまで飛ぶだけで八時間弱っすよ?」

「良いんだよ、もちろんこっちにもいくつか拠点は作るけど、悪人たるもの、秘密基地の一つも持ってないとね、ところで――」

 アルバは笑みを浮かべつつ言った。

「――真田大輔くん、まだ自分の持つ力に気づいてないみたいだよ、周りの人間も――いや、気づいてはいても、認めたくないだけなのかも」

「拉致計画は続行ですかー?」

「もちろん、次の作戦の具体的な立案は君にお願いするよ、ミス・ウー」

 ウーと呼ばれた黒縁眼鏡の少女は、キーボードを素早く打ちながら答える。

「了解でーす」

「大輔くんを手に入れる、世の中を乱す、両方やらなくっちゃあならないってのが辛いとこだよねえ」

「その割にはずいぶん楽しそうですねー」

「うん、楽しいよ、すごおく楽しい、十勇士と八犬士、合わせて十と八ジュウトハチ、か、その全員が一同に会するのなんて、いつ以来なんだろう?」

「公式に記録に残されているのは、メイジと呼ばれる時代の少し前、いわゆるバクマツの頃が最後ですねー、最も、二度の大戦中や冷戦時代にも非公式で何度かあったんじゃないかと」

「うん、上手くやれば、歴史に残る瞬間に立ち会えるわけだ、面白くなってきた、もっともっと手駒を増やさなきゃ」


 犬山節いぬやま せつをベンチへ座らせた大輔は、節の顔を見ながら問いかける。

「一つ、確認したいことがあります」

「何でしょう?」

「八犬士は、自分が持つ仁義八行の珠、その文字に沿った行動をすることで……何ていうか……バフがかかる、違いますか?」

「……よくお気づきですね」

 節の顔に笑みが浮かんだ。

 犬川荘いぬかわ そうが口をはさむ。

「差し出がましいようですが、そこからは私が、節、君は休め」

「……ああ、頼む」

 節に頷くと荘は話しだした。

「ご推察の通り、八犬士はそれぞれが持つ珠、その文字に沿うことで能力が上がります、お気づきになられたのは――」

「さっき節さんが、襲撃者たちが目前にいる状況でわざわざ僕に命令を求めたので、もしかしたらと思って」

「――ご明察です、ただ、良いことばかりではありません、自らの仁義八行にそむく行いをすると、逆に能力が下がったり、そうした行動を取ること自体ができない場合もあります、生まれながらに定められた一文字は、私達にとって祝福であると同時に、呪いのようなものでもあります」

「祝福であり、呪い……」

大輔の脳裏を、ある考えがよぎる、と、その時。

「皆さん、ご無事ですかー!」

 犬塚信いぬづか しのぶが駆け寄って来る。

 さらにその向こうからは三好清海と霧隠才華、二人が共に駆けて来るのが見えた。


 第九話 終

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