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少女舞闘綺伝 ジュウトハチ 小説版 第十三話

 真田大輔は武藤松凛むとう まつりと名乗った女と並んで歩きだしながら、考えていた。

(武藤……松凛まつり……顔も名前も、どこかで覚えが……あ!)

 記憶がよみがえると同時に、言葉が口をついて出た。

「まつりん!あの、まつりん!?」

「懐かしいな、その呼び方……知ってたの?」

「知ってるもなにも、新日本女子プロレスのトップアイドルレスラーだったじゃないですか!」

 大輔の記憶に残る武藤松凛は、ひらひらしたアイドルレスラーの服とショートヘアーの印象が強かった。

 今はそれより髪も長く、体格も一回り大きく、筋肉質になっている。

 そのため気づくのが遅れたが、紛れもなくあの武藤松凛だった。

「アイドル、は余計かな」

「あ、すみません」

 松凛は、デビューから最初の三年ほどはアイドル路線で売り出していたが、その後、半年ほどのメキシコ修行を経て、ストロング・スタイルの実力派に路線を変更していた。その後めきめきと頭角を現し、選手層の厚い事で知られた新女しんじよのトップ争いに食い込むまでになっていた。

 新女しんじょの突然の倒産劇がなければ、今頃は本当にトップになっていたかもしれない。倒産後は総合格闘技へ転向の噂も流れたが、なぜか表舞台からは姿を消してしまった。それがまさかこんな所にいたとは。

「新女が無くなってから、総合格闘技へ転向するっていう噂も聞こえてきましたが……」

「それからまあ、色々あってね、メキシコ時代のツテを頼って、今はここで食わせてもらってる」

「あの、トルベリーナさんとかいう人の」

「うん、まあ、食客というかボディガードというか、そんなとこ」


「それにしても、けっこう歩きますね」

「ん、客室は屋敷の中でも離れてる方にあるからね」

(いや、そうじゃなくて……)

 それにしても、いったいここはどこなんだろう、と大輔は考えた。

 都内ではちょっと考えられないほどの、西洋スタイルの広い屋敷だ、豪邸と言っていい。

 しかも、廊下の要所要所には、ぱっと見にカタギとは思えない屈強そうな男が立っていた。太い二の腕や首筋から、派手な刺青タトゥーを覗かせた者も多い。

 松凛は慣れた様子で、そんな男たちと朝の挨拶を交わしながら歩いてゆく。

「……あの、トルベリーナさんって、いったい何をしてる人なんですか?」

「うん、そのへんは本人にじかに聞きなよ」

 

 やがて廊下に良い香りが漂ってきた、ダイニングルームが近いのだろう。

 コーヒーと焼き立てのパン、他にも様々な食べ物が混ざった匂いだ。

「ついた、ここだ」

 ダイニングルームのドアを開けつつ、松凛は言った。

「おまたせ、トルベリーナ」

 広々としたダイニングルームには、片側だけで十人くらいは座れそうな大きなテーブルが置かれていた。

 立ち上がって出迎えたトルベリーナは、手を振ってテーブルの一角を指し示す。

「ようこそお客人、朝食の用意ができてるよ」

 大きなテーブルだけに、その全部に料理が並べられているわけではなかった。

 料理が乗っているのは、テーブル全体の三分の一程度のスペースだった。

 が、それでも三人で囲むには少し多すぎるのではないか、と思えるぐらい、様々な料理が並べられていた。

 それを見た松凛が言った。 

「いつにもまして豪勢だね」

「客人をお迎えしての朝食だからね、粗末なものを出しちゃ、沽券に関わるから、料理人に腕をふるわせたよ、チラキレスにエンチラーダス、エンサラダ・デ・ノパレス、卵はディボルシアードスにしたよ」

 おそらくは料理の名前だろう。聞き慣れない名前を並べ立てつつ、トルベリーナは笑顔を見せる。

「せっかくだから、メヒコ式の朝食を味わってもらおうと思ってね、もし口に合わないようだったら、コメも用意させるけど」

「いえ、大丈夫、十分です」

「¡Buenoブエノ!、じゃ、座って」


 三人が朝食の席へ着くと、トルベリーナは胸の前で手を組み、目を閉じて祈りの言葉を唱えだした。

 松凛も、それにならって手を組み、目を閉じる。

 大輔も少し慌てながら手を組み、目を閉じた。

 トルベリーナが唱えた祈りの言葉はスペイン語だったが、意訳するとこんな感じだ。

「父よ、あなたの慈しみに感謝してこの食事をいただきます――ここに用意された物を祝福し、私達の心と身体を支える糧としてください」

ここで十字を切り、トルベリーナは言った。

「父と、子と、聖霊の御名によって、アーメン」

 一瞬の沈黙の後、トルベリーナが口を開く。

「さあ、遠慮しないで」

 言いながら、脇で控えていた給仕に向けて指を鳴らす。

 ポットを持った給仕が静かにテーブルへ歩み寄り、三人のカップに淹れたてのコーヒーを注いで回った。

 香り高いコーヒーが立てる湯気に鼻孔をくすぐられ、改めて大輔は、自分が昨日の夕方から何も口にしていない事を思い出した。

 スプーンとフォークを手に取ると、目前に置かれた皿を見据える。

 パッと見はコーンチップスのようなものが煮込まれたような料理だった。皿の中央が茶色いペーストで仕切られ、右側は赤色、左側は緑色の何かで煮込まれている。

「それはチラキレス、トルティーヤを……トルティーヤはわかる?」

「確か、トウモロコシの粉を水でねて薄焼きにした……」

「そう、そのトルティーヤを油で揚げて、サルサで煮込んだ料理だよ、右側と左側ではサルサの種類を変えてある、右がサルサ・ロホ(赤)、左がサルサ・ヴェルデ(緑)真ん中を仕切ってるのはフリホーレス・レフリトスで、インゲン豆を煮て潰して炒めたヤツ」

 トルベリーナが解説した。

 大輔は意を決し、赤い方にスプーンを伸ばす。

 一片のトルティーヤと赤いサルサを乗せたスプーンを口に運んだ。

「うま……いや、美味しいです」

 一見、辛そうな赤いサルサだったが、辛さはそれほどでもない、むしろトルティーヤを噛みしめるたびに、トマトを中心とした野菜の旨味が、じゅわりと口の中に溢れ出る。

 大輔は一口目を飲み込むと、がっついている印象を与えないように心がけながらも、続けて二口、三口とスプーンを口に運んだ。

 トルティーヤは煮込まれて柔らかくなっていたが、カリカリしたままの部分も少し残っていて、丁度良い食感のアクセントとなっていた。

「緑の方も試してごらん」

 トルベリーナにうながされ、大輔は緑のサルサの方にスプーンを運ぶ。

 口にしてみると、トマトのコクが中心の赤いサルサの味わいとはまた異なる、爽やかな酸味と旨味、そして辛味が口の中に広がる。

「こちらも、美味しいです」

 トルベリーナの顔に満足げな笑みが浮かぶ。

「そのサルサ・ヴェルデは、トマティーヨとかトマテ・ヴェルデって呼ばれる野菜で作るんだ、名前はトマトだけど、トマトよりは……なんて言ったっけ……そう、ホオズキに近い野菜だよ」

 赤い方を食べて程よい辛味とコクを堪能し、また緑の方を食べて爽やかな酸味で口をリセットする、繰り返せば永遠に食べ続けて要られそうだ。

「それにしても……油で揚げたものに汁が染み込んだ食べ物って、なぜこうも美味いのだろう……」

「だよねえ、カツ丼のカツの衣とか、天ぷら蕎麦の衣とかさ」

 松凛の答えで、大輔は自分がうっかり、思った事を口に出してしまっていたことに気付いた。

「チラキレスの上にはウエボ・フリート……目玉焼きって言うんだっけ……を、乗せることもあるんだけど、卵料理は別に用意したからね、そっちも試してみなよ」

 トルベリーナに言われ、大輔は卵料理の皿に目を移す。

 目玉焼きのように焼かれた二つの卵のそれぞれに、やはり赤いサルサと緑のサルサが掛けられている。

「そいつはウェボス・ディボルシアードス、二つに分かれてて、それぞれ色が違うんで『離婚した卵』って名前で呼ばれてる、トルティーヤの上に卵を割って、乗せて焼いて、サルサ・ロホとサルサ・ヴェルデを掛けて仕上げてある」

 大輔はまず、赤いサルサが掛けられた方の卵を一口大に切り、口へと運んだ。

 美味うまい。

 卵はいかなる焼き方をしたものか、黄身は半熟で白身はプリッと適度な水分を残しつつ火が通され、なおかつ縁の部分はカリッと香ばしく焼かれている。

 サルサの見た目はチラキレスと一緒だが、微妙に味が違うような気もする。

 大輔は聞いてみた。

「このサルサは、チラキレスと同じものですか」

「実は、少しだけレシピを変えてあるらしいよ、ウチの料理人曰く、卵には少し強めの味付けの方が良いんだとかなんとか」

「へええ」

「良かったら、サラダも試してみて」

 サラダはサラダボウルから取り分けるのではなく、銘々の前に小皿で置かれていた。

 大輔はその中身を見てみる。細かく刻まれたタマネギに角切りのトマト、それと何か細切りにされた緑の野菜が入っている。その上には刻まれた緑の葉が散らされていた。

 大輔はフォークを使ってトマトと緑の野菜を少しだけ口に入れてみた。

 上に散らされた葉はいわゆるコリアンダーとかパクチーと呼ばれるハーブだった。

 細切りにされた緑の野菜は、豆が入っていないスナップエンドウといった感じの味がする。不思議なことに、少し粘り気があった。大輔は噛みながらオクラを思い浮かべた。

「どう?」

 トルベリーナが笑みを浮かべながら聞いてくる。

「不思議な……味です、慣れたら美味しいかも、この緑の野菜は……」

 松凛が代わって答えた。

「サボテンだよ」

「サボテン!?」

「そ、向こうではノパル、日本ではウチワサボテンって呼ばれるヤツ、メキシコじゃ、実も食べるんだよ」

「へえー」

「エンチラーダスも食べな、中はカルネ入りだ、精が付くよ、パンも焼き立てだから――」

 松凛が笑いながら混ぜっ返す。

「まるでお母さんマードレみたいだよ、トルベリーナ」


 同じ頃、十勇士と八犬士が共同で使っているマンションのリビングルーム。

 霧隠きりがくれ才華さいかと向かいあって、一人の少女が座っていた。

 浅黒く焼いた肌に、少し崩した学校の制服の着こなし。いわゆるギャルと呼ばれるスタイルだ。

 そんな見かけとは裏腹な、落ち着きのある声で少女は切り出した。

「――まずは本部からの最重要連絡事項からお伝えします――十勇士、全員の投入が決定しました」

第十三話 終 



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