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「語調」

其69「その語り口を採っているのは何故ですか?」

こんにちは。月見そばが食べたい私です。
でも、生卵はちょっと苦手。
なんでもかんでも生卵に和えて「こくうまー」なんて褒める風潮。
そろそろ終わりにした方がいいのでは?と思います。

大学の頃からの友達の自由記者(フリーライター)さんが、ここ一月ほど、連日でnoteに新規随筆を投稿なさっていて、大変面白い。
自分の書いているものが、ほんと恥ずかしくて話にならんわ、と思いながらも愛読しています。色んな事に、気づかせてもらっています。

そう。読ませていただくなかで、ふと、気づいたこと。

そうか。私的な日記をつづる場合でも、標準語の文体なんだな、と。

もちろん、私の書くものとは雲泥の差で、たいへん読みやすいし、標準語の文体に非を鳴らすつもりもないのですが。

友達をはじめ、普段は大阪弁(関西弁)を使用してる方々は、

「あ、ここは大阪弁でええわ」とか「これは内容も内容やし、
東京弁にしとくか」

そういう使い分けを、どの時点で判断して行っているのかな?と思うのです。そこまで気にしてなくて、感覚的になんとなくやっちゃうものなのでしょうか?

あと、意図的に「大阪弁」と「東京弁」なんて書いてますが。

「関西弁の事を『大阪弁』、標準語の事を『東京弁』と呼ぶのは、大阪の人間だけだ」

と評してる随筆を読んだことがあります。
私も、日常ではそんな風に呼称してます。

他の道府県の方々が、文章を書く際に、どのように「地元の言葉」と「標準語」を使い分けてるのか、気になっています。

私は、電信(メール)も、noteなどで展開する随筆は、主に標準語を使ってています。なんだか、関西弁が照れくさくて。

全く使わないわけではないのですが、ちょっと「よし、大阪弁で」って切り替えないと使えないのです。

こんなふうなこと、気にしてしまってる書き手さんはおられるのでしょうか……?

相も変わらずとりとめもなくなってしまいました。

ではまた次回。


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