記録5

子宮筋腫体験記録4(入院2:手術後~退院)

3日目(水)手術翌日

手術翌日朝の6時前に夜勤の看護師さんがやってくる。「水を飲んでみましょう」とのこと。昨日水を買っておいてよかった。曲がるストローを指して飲むことに成功。寝る。

午前中、日勤の看護師さんがやってくる。そういえば、何か臭いので手術跡から何か出ていると思う。体を持ち上げることはできない。「何かわたし、臭い汁を出しているようです」と看護師さんに言ったところ、「おしも、出てますね」とのこと。大人になってはじめてうんこを漏らした。ショック。うんこを漏らしたことがショックなのではなく、出たことに気づかないことがショック…老後こうなるんだな…看護師さんは私のプライドを傷つけないように言葉を選び、対応してくれ、さくさくと服を着替えさせてくれた。本当にありがとう。

歩く訓練をするというが、立ち上がっただけで、視界がギュンと変わった。黄色いフィルターがかかり、やたらシルエットがくっきりした。インスタグラムの新しいフィルターのよう。体力HPが12くらいなので、ズボンを履きかえるだけでHPが3になり瀕死。看護師さんが「午後にしましょう。あせらず、ね。」と言ってくれた。ありがとうベテラン看護師さん。寝る。

午後、ベテラン看護師さんがやってきて歩く練習。トイレまで一緒に行ってみる。今回は立って歩けた。尿管を外してもらう。入院体験者から尿管がいやだ、と噂を聞いていたが、私はそんなに気にならなかった。抜くときもすっと抜けた。ちなみに麻酔をかけてでも歩かないと、腸が刺激されずに食事がうまく食べられないらしい。ちなみに首には脊髄につながった麻酔のボトルをかけている。ボトルの中には風船が入っており、出る量が自動的に調整されるらしい。私は寝返りをうつ、起き上がるなどの動作をするときに左下腹部を起点にするらしく、ここがちょっと痛い。

(羽海野チカ先生と同じボトルを下げた!!手術や人によって、自分がボタンを押して麻酔量を調整できるボトルをつける人もいるらしい)

ちなみに、同室の方々は手術の翌日午前中にみんな歩いていた。私はかなり弱っていたらしい。

夕方、執刀医の先生がベッドまで来てくれる。「筋腫をいくつ取ったんですか」と聞くと「5個」だという。同室の患者さんたちのところには先生がきていなかったので、若い彼女ならではの心遣いだと思う。ありがたい。

夕食はない。

4日目(木)手術後2日め

初めての朝食。コンソメスープと豆乳プリン。プリンは牛乳がいいが、文句は言えない。


麻酔ボトルのおかげで痛みもなくトイレなどに歩いていける。昨日のベテラン看護師さんが「スタスタ歩いていてよかった~!『視界が黄色い』と聞いたときは私もどうなることかと思った」と声をかけてくれる。そんなにやばかったのか。

上半身を起こせるようになったので、傷を見てみる。毛の上からおへそまで垂直に10cmくらい傷ができていた。透明のシールが傷口に貼ってあるため、衣類が傷口がひっかかったりすることもない。便利。

母親が来て、手術で摘出した筋腫の写真を見せてもらう。(撮影を事前に頼んで置いた)。赤いかと思っていたら白い塊で、豚足や百合根みたいな印象だった。こんなものが5つも下腹部に入っていたとは。すごいなあ。

お腹は張っているし、ガスも出ているが便通はない。薬をもらう。便が柔らかくなり、お腹に力を入れることなく排便できるそう。(でもずっと出なかった)今日も朝晩と先生がベッドに来てくれた。ありがたい。

5日目(金)手術後3日め

食事は刻み食へ。この病院はご飯がおいしい。それでも人は贅沢なもので、お粥に、きざんだおかずに飽きてくる。刻んであってもなくても同じ味なのに、刻んでいないものが食べたい。おかゆが好きではないので、ふりかけを持っていってよかった。後でわかったことだが、量が多い時はその旨を伝えておくと、少なめご飯にしてくれるらしい。

麻酔ボトルの残量がなくなったので脊髄の管を抜く。特別な部屋で抜くのかと思ったら、ベッドの上で普通に抜いてくれた。これでシャワーを浴びられるようになる。

痛み止めとしてロキソニンをもらう。それでも痛いようであれば、と別の種類の錠剤痛み止めをもらう。麻酔ボトルに頼っていた痛み止めが、2種類の錠剤に変わる。

なぜかセキが出るようになった。お腹に響いてとても痛い。セキを我慢するとへんな声が出て涙が出る。同室の人に迷惑をかけてしまうのではないか、コロナウイルスだと思われたらどうしよう、と思う。セキが出そうになると水をがぶがぶ飲むが、頻尿になり、トイレに移動しなければならないので、それもつらい。態勢を変えるとセキが出るのか、など色々分析をする。おそらく体温が上がってきたときのような気がする。

6日目(土)手術後4日め

朝ごはんにパンが出た。朝は廊下にトースターが出て、自分でパンを焼けるしくみ。体も動くので勇んでパンを焼きに行く。久々のパンがおいしい。バターが欲しいという欲も出てきた。

相変わらず時々セキが出て痛いが、セキをするときに体をねじらず真正面に構えどっしりとセキを受け止めダメージを減らすという技を体得した。

かなり元気になってきた。タリーズに行こうかと思うも、コロナウイルスがあるかもしれないのでやめる。新生児の赤ちゃんにうつしたら取り返しがつかない。廊下で執刀医の先生とすれ違い、立ち話。毎日来てもらったから、気安くこんなに話せているんだと思う。この先生でよかった。「血液検査などで問題なければ、明日退院しますか?」と言ってくれたので「(退院)するする!」と話す。

7日目(日)手術後5日め

朝イチで看護師さんがやってきて採血。パンを食べ、診察。内診と血液検査で問題ないようなので「退院してよし」とのこと。母に連絡して迎えにきてもらうよう連絡。次回の診察日を聞き、荷物をまとめ、ナースステーションで名前や血液型の書かれたリストバンドを切ってもらいフロアを後にする。

入院の精算に向かったところ、休日で担当者がいないため後日精算だという。病院ってツケが効くんだ。支払いがまだで落ち着かないが、病院内のタリーズで母を待つ。母が来たので、タクシーに乗り、実家へ。退院!

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