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『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 ブレイディみかこ

当事者になったり、近しい人が当事者にならないと、全くわからないことがある。その一つが「差別」だったりする。一応自分は、意図的に差別をしない人でありたいと思っているけど、無意識の行動も人を傷つけたりする。この本を読みながら、私の人生では出会って来なかった出来事や視点、切り口を知る。

アイルランド系のパートナー、そして息子と、イギリスのブライトンで暮らすブレイディさん。カトリック系の上品な小学校を卒業した息子は、「元底辺校」とブレイディさんが呼ぶ中学校に入学する。カトリックの教えのもと、様々な人種が集い差別も感じられなかったカトリック小学校(今、イギリスでは人種間の多様性があるのは優秀でリッチな学校だそう)。一方、中学校は労働者階級の白人がメインで、以前は荒れまくっていた学校。街中で「チャンク」と呼ばれたりする東洋人の見た目を持つ息子はその学校ではやっていけるのか。そこで子供が、親が感じること、考えることとは。

入学する学校を選べる英国の仕組み。英国の中学校に「ドラマ(演劇)」という教科がある理由、背景とは。ブレイディさんの息子が良い成績を納めている「ライフ・スキル教育」とはどんなものか。ブレイディ親子の学校生活とともに、私も新しい世界を擬似体験する。私は子供がおらず今の教育をよく知らないが、自分の経験からいうと学校や国による「こういう人間に育てたい」という指針を明確に感じたことがない。日本でも少数の個性的な学校が指針と実践を行っているとは思うが、英国の場合は、国が指針を決めて、教科という具体的なアクションに反映されている。その中で各学校が個性を表明し、保護者と子供が選ぶ。その点について私は、英国の方が好きだ。

そういった学校の中で、息子やブレイディさんは人種や貧困について考えざるをえない体験をしていく。「そんな春巻きを喉に詰まらせた東洋人の声で歌われるのは嫌だ」と息子が学校で言われたら?プールサイドの「あちら」と「こちら」で私立と公立学校に見事に分かれ、泳ぎのフォームも、水着も一目瞭然に違い、格差を目の当たりにする中学校の水泳大会。(そこで超泳ぎが早い公立校の男の子が1位をとってスタンドのお母さん方を熱狂させたりする)日本で、日本語を話さない息子が日本人のおじさんに揶揄されたりもする。

結構えぐいことが、息子さんにも、友達の間でも起こる。でもこの息子さんはしなやかで、自分の頭で考えることができる、そして優しい青年なので、友達や家族、先輩などと一緒に自分なりの答えを出していく。のびやかに、たくましくグングン成長していく人を見ているのは気持ちがいい。なんなら私は彼を応援している。

本の中に「エンパシー」と「シンパシー」という言葉が出てくる。「シンパシー」は「誰かをかわいそうだと思う感情、誰かも問題を理解して気にかけていることを示すこと」、「エンパシー」は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」だという。「シンパシー」はかわいそうな人や自分と似た人に持つ感情で、「エンパシー」は自分とは違う立場の人や、かわいそうと思えない人が何を考えるのかと想像する力というようなことが書いてある。ブレイディさんが、そしてシティズンシップ・エデュケーションの先生が言っているように「エンパシー」は英国だけでなく、日本に暮らす人、世界の人々にとって、切実に大切な問題である。

この本は、そのエンパシーの視点を育むケーススタディをたくさん共有してくれる。自分が無意識で行ってしまう差別や、傷つけてしまう出来事を未然に防げるようになるかもしれない。そして無知からくる差別や出来事に出会ってしまったら、客観的に分析し対処できるようになるかもしれない。示唆していることは多岐にわたるし、奥深いことだけど、全く重くなくて、非常に読みやすい。おすすめ。

166.『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』 ブレイディみかこ



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