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無理に必要とされる消耗品を作る罪悪感

私は家具職人、8歳の時に憧れた職業。

お客様の『あったらいいな、あったら助かるな』必要とされるものを1から作るオーダー家具職人だった(過去形)

今は介護生活になり、自分で個人のお客様からの仕事を請けるのを休止していて、木工所で時間と技術提供して母との生活を凌いでいる

主に建設会社からのマンション室内の造作家具を量産、又はオーダーで作るキッチン収納や店舗や公共施設、福祉や病院の家具を製作する手伝いをしている日々だ

家具を作る仕事は大好き、夢中になって余計なこと考えずに没頭できて達成感も目に見えるから今抱えている精神的な憂いからも救われる、だから仕事があることには感謝している

ただ、個人から受けるオーダー家具とは違い、商業的な量産家具はモノづくりに対して淡白すぎる、いや、愛情はない、ただただ予算と納期とそれなりの見栄えで雑でもいいというオーラが蔓延っているしそもそも丁寧に作るスキルもマインドもないトップや担当者
(※全てがそうではない、あくまでも私が見た中での個人的な評価)

建設会社、元請、下請それぞれが自分達が損しないように責任をなすりつけ合いで製造する末端が引き受けるしかない扱いにウンザリする(誰かが間違えていて作り直しや急な図面変更や抜け落ちや誰かが指示遅くても納期に間に合わせるのは作る人々)

この指示違いや遅延による様々な損失の補填も考えているフリして払ってくれないことが多い。

この類の愚痴は家具職人の道に入って20年以上に渡る愚痴で、それを断れない位置を選んでいるのも自分だし、ってことで私は独立を機に自分の生活と技術と心を守る為にそういう搾取する人たちと仕事をしないと決めて個人間のオーダー家具製作で『必要とされる家具』を真剣に製作してきた

それからしばらくして軌道に乗り始めた頃、言い訳になるけど介護生活になり仕事ができなくなってメンタル崩壊してからは真剣に製作する精神力もほぼ無くなり、決して安くはない予算で理想を形にしたいお客様の気持ちを受け止めるキャパが無くなり休止に至っている

今、手伝いの身として時間と技術提供していると冒頭に書いたのは仕事内容に自分の理想を並べずその場に必要なことを割り切りつつ没頭している家具職人・・・・ん〜ではなく、家具工という立場だ、ただ変わらずマインドは『必要とされる・助かる家具』を丁寧に作ること。

幸いなことにこのこだわりはASDの特性としてなかなか破ることは困難だから私と仕事してきた人やしている人は安心して欲しい

だから故、見てる方向が違う中で丁寧な仕事を導入して周りと合わずストレスが半端ない、解決策は『辞める』という簡単なことだけど、そうもいかない自分の弱さが憎い

で、仕事していて不思議なんだけど、例えばマンションの家具とか作る数が半端なく途切れなくて、何軒建つの?人口は減るのに空いた土地に建てまくって新築に越して、また新築に越してと中途半端な築年数のマンションが空室だらけで廃墟になるのでは?とか余計な心配をして憂う

外国人が増えてるのかな?地方移住者が増えてる?ずっとそうだけどなぜこんなにアパート、マンションって建つのかな?物件は違えどなんだか繰り返し消耗品を作る罪悪感が生まれる

これって衣食住の製造末端(第二次産業)共通する憂いかもしれない。経済が回るのは助かるし仕事があるのはありがたいけど、バブルと違う今、本当に必要なのか?考えてしまう。
こうして私はリノベに移り行くかもしれない

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