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おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

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考古学に関する自筆コンテンツと関連コンテンツをまとめました。 お楽しみください。
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#皇室

プレ皇室研究: 奴国問題

これまでは、奴国は、ニニギが伊都国に天孫降臨という名の、引っ越しをする前の国で、かつ、伊都国の兄弟国で、たとえば奴国の1人は、海幸彦かなと思っていました。 なにしろ、海洋貿易をしているし、中国や韓国と交流しているし、ついでに三種の神器も出土しているからです。 しかし、1つ、変なことに気づきました。 これ、周辺地図です。 古い神社がないんだ!!  おかしい!! 神功皇后くらいまでしか遡れない!! ということは、奴国は皇室とは違う、ぜんぜん別の一族が王族だったのか!??

プレ皇室研究: 壱岐を調べる

別の人が対馬と壱岐について言及していたので、私も調べることにする。 対馬はちょっと調べたので、未着手の壱岐を調べます。 例によって、Wikiと古墳マップについて調べます。 まず、壱岐には古墳群があるので、これです。 「古墳群の築造は6世紀後半の対馬塚古墳に始まり、続く双六古墳の後は円墳に変わって6世紀末頃まで続いたと見られる。ただし追葬は7世紀まで行われている。壱岐島には長崎県の半数に及ぶ古墳256基が残存し、そのうち前方後円墳は10基あるが[1]、壱岐古墳群で2基を占

プレ皇室研究: 鹿児島県の古墳 +ついでに大山祇命

しつこく、プレ皇室研究です。 南九州は皇室の故郷ではないことを確認するために、南さつま市の古墳について、適当に有名らしいものから調べていきます。 ちなみに「プレ皇室」の時代は、紀元前200年から紀元200年までの約400年です。10年20年前にいったり、後ろにいったりは誤差なのでOKです。なので、紀元前3世紀後半ならOKです。紀元200年も250年くらいまでならOKです。なぜなら、神武天皇の後継の代理王とかがいても問題ないからです。九州北部なら、伊都国王になります。でも、南九

プレ皇室研究: うーん? 佐賀県、怪しいぞ。

いやー、ちょっと面白いニュースをみつけましたので、リンクします。 まあ、そんなに古い時代とはいいませんが(私の古いは2世紀より以前です)、皇室の王女の墓がなぜか、佐賀県にあるんだと。 よほど、旅行好きな王女だったのかー!?? それとも、中国の貴族とかと結婚しないといけないので、九州までいったが、病気か政変で中止になったので、そこにとどまっていたら、体調を崩して死んだとか??? あ、王女といっても、もうほぼ単なる貴族レベルの、ずっと皇室からは下の応神天皇の曾孫でした。 「

プレ皇室研究: 紀元前3世紀に何があったか、調べてみた。

私のプレ皇室研究でいいますと、紀元前200年前後がイザナギイザナミの時代です。紀元前210年くらいかもしれないですが・・・。 では、紀元前250年ー300年、つまり紀元前3世紀に何があったか調べてみましょう。ただし、縄文人はもっと前からいるので、あくまで弥生時代っぽいものに限定します。 富士山の近くに、ちょっと遺跡があるのをみつけて、弥生時代のものらしい土器と剣が出ています。しかし、稲作はまだとあります。静岡県なので、まあ、九州ほど稲作が広まっていないのかなと思います。

ちゃんとしてる神社は、これを見ればよろしい。明神大社

神社って、分社というか、支社みたいなのが腐るほどあって、どれが「まっとうな本家の神社」かわかりにくいです。 それに、1000年とかたっていると、祭神変わる、合祀したり、名前変わる、移動する、本家が消える(廃止扱い) などなどです。 というわけで、なんと、整理してくれてあるのがあったのでリンクします。 元宮か、おまけ支社かは、これを見ればいいです。 神道のおおもと、大和朝廷、皇室が認めたものです。本家だから大丈夫でしょう。いやー、助かるわー。 というわけで、分家のくせにえ

プレ皇室研究: 暫定チェック

おおざっぱな私の研究にお付き合いいただき、誠にありがとうございます。 ここ3,4か月ほど集中したので、神武天皇以前の皇室の謎はこれで、だいたい解けました。 (いやー、原田大六先生の本を何万円もかけて購入して読んだので、大変です。もう大赤字です。泣きそうです。) 1つめ: 神武天皇東征および天照大神の時期  天照大神は、紀元前150-100年くらい。伊弉諾・伊邪那美が紀元前150-180年くらい。天孫降臨は紀元1-30年あたり。1世紀くらい。  神武天皇の東征は、紀元150

皇室のDNAはわかっていた。ついでに藤原氏のDNAもわかっていた。

皇室は、万系一世で、男性DNA(Y染色体)は連続性があります。 そして、奈良時代後半くらいから、藤原氏は多く妃を皇室に入れていました。また、藤原氏の子孫は多く、天皇由来の源氏平氏と同じように、どんどこ地方に移住して、侍になっていき、最後は普通の庶民になりました。 Y染色体ハプログループと、女性のミトコンドリア ハプログループがあります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%B3%E

プレ皇室研究: 方形周溝墓について調べてみた

プレ皇室研究で、方形周溝墓が九州から近畿に移動したという話があって、ちょっと調べてみました。 方形周溝墓は、平原遺跡でも使われていまして、四角くなっていて、周囲を溝堀りしてます。真ん中が低い目の小山みたいになっています。 1つで、1人のときもあれば、複数人のときもあります。 溝のところに、副葬品が埋まっていたり、もしかしたら殉教したとか、真ん中が親で、溝には小さい時に死んだ子供が埋まっていたりするかもしれません。 こちらの絵がわかりやすいかもです。 丁寧な説明です。論文

プレ皇室研究: 神社古いで選手権www

いやあ、古い神社を古い順に並べてくれている素晴らしいページがあったので、ご紹介します。 調べないでいいから、楽ーーwwww そちらから引用します。 要するに、山陽・山陰、九州、畿内、長野県 ばかりです。 そして、半分くらい大国主で出雲関係です。長野は出雲の大国主の息子さんが逃げて行った場所なので、古いのでしょう。 瀬戸内海周辺は、イザナミイザナギがふらふらしていたところだし、九州は皇室の祖先です。畿内は、出雲の支店がありますので、これも出雲関係です。 「神社」って神道の

プレ皇室研究: 井原鑓溝遺跡

もう1つ、やっかいな遺跡を忘れてましたー!! (ちょっと修正しました。) 井原鑓溝遺跡 これ、Wikiにあまりないので、個人の人のブログをリンクします。 「福岡県前原市の井原鑓溝(いわらやりみぞ)で、 弥生時代後期(紀元1世紀ごろ)の中国鏡が見つかったことが、同市教委の調査でわかった。江戸時代に出土品の記録が 残されていながら未発見の伊都国王墓「井原鑓溝遺跡」確認へ向けて重要な手がかりになるとみられる。 出土したのは「方格規矩(きく)四神鏡」1枚分で、約10片に割れてい

プレ皇室研究: さすがに井手先生もわかってない点があるぞ。

この本は、原田大六先生の弟子?であった、井手先生が90歳をすぎて書かれたものであり、大変面白いことが書かれている。 北部九州の、三種の神器が出てくる遺跡は、皇室の先祖なのだという話だ。 実際、それで話をつなげると実に一番理屈があっているのだ。 そして、インチキでないのは、平原遺跡にはちゃんと副葬品で、皇室特有の三種の神器がでてくるのだ。 そして、この糸島市周辺で、他にも三種の神器が出てきている。 前にも書いたが、勾玉だけは日本固有の文化で、中国にはない。中国には、剣+鏡の

プレ皇室研究: えー、君が代ってそうなの?

まじなの??? 君が代は阿曇氏の神楽歌だった 「上記の事から、「君が代」の誕生地は、糸島・博多湾岸であり「君が代」に歌われる「君」とは皇室ではなく山誉め祭神楽歌にある「安曇の君」(阿曇磯良)もしくは別名「筑紫の君」(九州王朝の君主)と推定。」 山誉め歌なんだ。 あ! 糸島が出てきたぞ!! 伊都国だ!! これは、プレ皇室とつながりそうな気がしてきたー。 「なお、『太平記』には、「君が代」が奉納される山誉め祭の神楽とも関係する、阿曇磯良(阿度部(あどべ)の磯良)の出現につい

それで皇室は、渡来人だけど、中国系なのか?(ただし漢人ではないかも?) 朝鮮半島から来たのか?(修正あり→縄文人でした!!)

さて、ここ数日、皇室の先祖は、糸島、伊都国の王・女王だという話をしました。 皇室の先祖は、伊都国に住んでいて、王・女王だったわけです。 ちなみに、九州のプレ皇室の遺跡はこんなかんじです。 赤は三種の神器がみつかった墓がある場所。 オレンジは、プレ皇室の居住地・宮です。 青は、三種の神器には関係ないけど、プレ皇室のお墓です(宮内庁が決めた陵なので、「実は違う」ってことはありかも?)。 さて、今日の話題は、じゃあプレ皇室、天皇一族は、海外ではどこから来たのか???ってこと