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プレ皇室研究: 壱岐を調べる

別の人が対馬と壱岐について言及していたので、私も調べることにする。
対馬はちょっと調べたので、未着手の壱岐を調べます。

例によって、Wikiと古墳マップについて調べます。

まず、壱岐には古墳群があるので、これです。

古墳群の築造は6世紀後半の対馬塚古墳に始まり、続く双六古墳の後は円墳に変わって6世紀末頃まで続いたと見られる。ただし追葬は7世紀まで行われている。壱岐島には長崎県の半数に及ぶ古墳256基が残存し、そのうち前方後円墳は10基あるが[1]、壱岐古墳群で2基を占める。また壱岐古墳群の上記6基は壱岐の他地域とは異なる大規模な古墳であり、当時の首長墓の系譜をなすと見られている。副葬品としては中国産・新羅産の遺物が多く見られ、6世紀・7世紀の東アジア交流の様子も色濃く残している[2]。

被葬者に関しては、特に後世の文献に見える壱岐直(いきのあたい、壱岐氏)と関連づける説があるほか、ヤマト王権が対新羅交渉に重用した人物とする説[3]、磐井の乱(527年)の鎮圧で功をなした人物とする説[4]がある。」

うん。残念ながら、どれもプレ皇室には関係ないです。
まあ、壱岐は1つの国だったので、そこの首長とかかなと思います。

こちらでも見てみましたが、6世紀とかであまり古くないです。

いい神社はあるらしいですが、古墳が新しいと「プレ皇室」研究ではないので、いったん調査中止します。


これの、奴国以前、伊都国以前の「高天原」の日本国内の一番古いのを探しています。



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