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プレ皇室研究: 紀元前3世紀に何があったか、調べてみた。

私のプレ皇室研究でいいますと、紀元前200年前後がイザナギイザナミの時代です。紀元前210年くらいかもしれないですが・・・。

では、紀元前250年ー300年、つまり紀元前3世紀に何があったか調べてみましょう。ただし、縄文人はもっと前からいるので、あくまで弥生時代っぽいものに限定します。

富士山の近くに、ちょっと遺跡があるのをみつけて、弥生時代のものらしい土器と剣が出ています。しかし、稲作はまだとあります。静岡県なので、まあ、九州ほど稲作が広まっていないのかなと思います。

岩淵の山王遺跡
「この遺跡からは、縄文時代の終わりごろの土器と、この地方で最初の弥生土器が発見されました。表面に貝殻で斜めに引っかいたような模様のつけられた土器で、現在の愛知県あたりで始まり、東の地方に広まったものです。なお、これと同じ土器は富士宮市の渋沢遺跡でも発見されていますが、ともにまだ稲作が行なわれていた様子は見つかっていません。」

こっちは、もう古墳時代ですから、弥生時代ではないですね。


静岡県三島市
方形周溝墓ができているようです。これは弥生的ですね。


これは、子供向けですが、わかりやすいwww

でてくるのが、庶民ぽい土器とかばかりです。
九州のように、王様がもっているようなのは、ほとんど出てきません。

要するに、紀元前3世紀より前には、庶民の渡来人はちょっと来ていたようですが、皇室のように、王様になれる渡来人は、いなかったようです。

ある意味、先行組弥生人は、地位が高くまでいけなかったのかもです。

そういえば、日本人のDNAで、弥生人女性は残っていたのですが、弥生人男性の渡来系があまりいません。比率が少ないです。こういった紀元前には、渡来人男性が来ても、縄文人男性に負けたのかもですね。
あっさり、殺されたのかも???

そういう意味では、奥さんをキープできたイザナギってもうちょっと後ですが、えらいですなwww

もう1つ、前の紀元前4世紀も調べてみると、この時代からちょこちょこと渡来人が来たようです。
登呂遺跡があります。ただ、もうちょっと後のようです。

出土品も、木製品や土器くらいですね。
渡来人が本格的に来てないので、金属加工技術がまだなかったのかもです。


というわけで、紀元前3-4世紀まで遡ると、まったく皇室の先祖の様子はありません。
やはり、紀元前200年前後が一番古いようです。

というわけで、神武天皇の即位 紀元前660年というのは、やっぱりうそっぱちであり、春秋年(1年で2年カウント式)で紀元前330年にしても、王権が成立するほどではないようです。ただの集落っていうかんじなだけですね。村程度です。「王様」というほどの財産蓄積もなさそうで、まだまだ縄文時代の延長ってかんじですね。

そして、この感じだと出土品も、木製品や土器製品がほとんどで、日本神話に出てるような、ハイテクグッズ、便利品 鏡、銅剣、銅矛 などもなさそうです。

日本列島における銅剣は、弥生時代前期にあたる紀元前3世紀末から前2世紀初め頃、他の青銅製武器(戈・矛)とともに中国大陸より伝来したと考えられている[2]。伝来時の銅剣は細身で鋭い形態であるが、年代が降るに連れて大型化していく。日本考古学界では、細身の弥生時代前期のものは武器として実戦で使用され、大型化した弥生後期のものは祭祀具と考えられている[3]。

伝来後、日本列島でも青銅の鋳造技術が導入され、弥生時代を通じて製造されたが、弥生時代中期に入る紀元前1世紀代には新たに鉄製武器(鉄剣・鉄矛・鉄戈・鉄鏃)が伝来した。中国大陸や朝鮮半島と違って、鉄製武器到来の時期的な差が少ないため、銅剣が戦場で使用されていた時期は比較的短いとされる。また日本列島での生産開始は鉄のほうが早かった[4]。そのため鉄剣が主流になってからは、銅剣は次第に祭祀具と化していったと考えられている[3]。」


そして、その後は、これですなあ。
前に調べた三種の神器の九州北部からの出土です。


やっぱり、紀元前3世紀末とあるので、紀元前210年とかってことですね。

はい、だいたい結論はついたようです。
皇室の先祖が日本に来たのは、紀元前200年よりちょっと前程度が、一番古いみたい。

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