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おおざっぱなコラム まとめ~考古学編~

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考古学に関する自筆コンテンツと関連コンテンツをまとめました。 お楽しみください。
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#神武天皇

プレ皇室研究: 別の神武天皇の神社

後輩の出版社の人が、面白い神社を紹介していたので、ご紹介します。 ていうか、これ、もしかして、例のインチキ神社作戦かもしれないので、ちょっと疑いつつ読んでください。結論は、やっぱりやっぱりでした(苦笑)。 ちなみに、橿原神宮はそもそも、本当の神武天皇が即位した場所からずれているのと、お墓も実はちょっとずれているのですが、どこにでもある理由「移転させるのがしんどいので、近くにずらした」というやつです。 これは比較的有名な話です。明治政府も苦労しているというか、インチキ許可状態

プレ皇室研究: 神武天皇について時期と場所を他の研究者がどう考えているか?

私個人の研究は、だいたい畿内に入って橿原宮で即位するまではもう結論が出たので、あとは、考えミスがないかなあ?っていうのを自己チェックするだけなのだ。 (とりあえず1本は、論文書いて、送った。受領連絡は来たけど、いやびっくりの郵便で来て、ひえーーって思った。メールあるやろ、メールが。) さて、それで神武天皇について書いている本を、念のため2,3冊買ってみた。 全部は読んでないので、目次とかで抜粋でどういうアプローチしているかである。 しかし、こういう人らって、物証からぜんぜん

プレ皇室研究: 神武天皇東征 他の人の研究をみてみる

おおー、私が研究しているのと同じテーマの人がいたー。 確認できる出土品などからアプローチするので、私と手順は同じです。 紹介文を引用します。 「「記紀」を科学的に、詳細に分析することにより、新たな真実が見えてくる。 本書では、歴史学の通説では実在しないとされている第一代・神武天皇の実在性と実年代を明らかにする。 筆者の結論では、「神武は、「294年(甲寅)」に近畿東征のため御子の手研耳(たぎしみみ)命らとともに日向国を出発し、299年3月7日、東遷を果たし、その後、「全国平

プレ皇室研究: 神武天皇のお后

神武天皇は、九州 伊都国にいたときのお妃と、畿内に引っ越ししてからのお妃がいます。 後妻のお妃について、えーって思ったので、ご紹介します。 その1: 出雲の神様の娘だった。おまけに、有名な、矢が流れてきたが、それで妊娠したっていう、やべー魔法の結婚の娘さんです。 大物主神/事代主神 その2: 名前が「たたら製鉄」ぽい名前なのだ。 実は、恥ずかしい名前なので、名前を変えているのだ。今でいうDQNネームをつけられたので、変えたってことですね。 「媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらい

プレ皇室研究: 神武天皇陵

まあ、私が子供のときから、 「橿原神宮はあとから作った神社で新しいし、神武天皇陵もずれてるかもしれないー(ずれてるのは橿原神宮かもしれない)」といわれていたのだ。 わりとてきとーに明治政府が神宮の場所が決めたような気がする。 とほほ。 「神武天皇陵・綏靖天皇陵との関係 上:神武天皇陵 下:綏靖天皇陵 四条古墳群に近接する天皇陵として、7号墳の南100メートルの地に第2代綏靖天皇陵に治定される丘陵「塚山」(北緯34度30分2.71秒 東経135度47分21.65秒)が、その

プレ皇室研究: 神武天皇の活動

この人が旅行して、神武天皇関係の神社や遺跡などを回ります。 これが1つ面白かったです。 「⑯高祖神社(飯塚市高田)――もと高田神宮皇祖廟 ○高祖神社社伝 「天皇は高田に進み、八田彦の伴った田中熊別に迎えられ、根智山の打猿を討伐するため、高田の丘から田中熊別と椎根津彦に命令を下された。この地に神武天皇と玉依姫を祭ったのが高祖神社である」 ○高田神宮皇祖廟社伝 「玉依姫尊と神武天皇を祭る、大山祇命の裔の田中熊別が天皇を出迎えた」 「熊別は椎根津彦とともに賊を平定する決意を述べ

プレ皇室研究: 神武東征ルート 美々津の謎

神武天皇が東征するのに、美々津を出発したとあるのだが、よく調べてみると、古事記にも日本書記にもないのだ。 「東征伝説 神武東征出発の地との伝説が残っている。ただし、記紀には美々津もしくはそれと同定できる記述はない。古事記には日向国とのみあり、日本書紀には記述がない。 伝承 立磐神社 伝承によれば、神武天皇の出航日は旧暦8月1日である。(日本書紀によれば旧暦10月5日である) 神武天皇はこの日の昼に出航の予定だったが、風向きが変わったため早朝に繰り上げ、「起きよ、起きよ

プレ皇室研究: 古代人、有名人のDNAがわかるサイトがあった。

うわー、すごい。 もうここのサイトをとりあえず、見に行けばいいのかな? あ、でも分析サンプル 1人とかだから、間男とかいたらやばいやん? 「天児屋根命(Amenokoyane-no-mikoto)のY染色体は、ハプログループO1b2a1a(O-F1204)であると推定される。これは、天児屋根命の子孫1名から得られたサンプルの解析結果などによるものである(注1)(注2)。天児屋根命の墓(児屋根塚古墳)は、国の史跡に指定されている(注3)(注4)(注5)。」 「宇佐津臣命の

プレ皇室研究: 岡田宮の謎

先日、神武東征ルートのうち、広島と岡山については、水銀鉱脈・金鉱脈があることをご報告しました。 ついでに、大分宇佐もそうなんです。 ところが、1年だけいた、岡田宮がわからない。ここには水銀鉱脈はなかったです。 ところが、北九州市にはなんと吉原鉱山というのがあったのです!! 銅・鉄鉱石が採掘されたとあります。銅と鉄なんて、武器にちょうどいいし、農機具 鍬とか鋤とかにぴったりじゃあありませんか!! 吉原川というのも流れています。 ついでにこういう論文もあります。 少なくと

プレ皇室研究: 自分とは違う意見の学説も読んでみる。「神武天皇不在論」

世の中、自分と違う人の意見も、たまには聞いてみないといけないです。 なので、「神武天皇不在説」を軽く見てみます。 たとえば、直球で質問している人がいますので、読んでみます。 要するに 「神武天皇です」って名札とかついているものが、出てないし、「記紀」以外に記載もないじゃんってことのようです。 でも、普通は考古学では、何種類かの発見事象を重ねて、「これとこれとこれが、出土している」から、神武天皇いるよね・・・っていうのもあります。 だって、「神武天皇です」っていう名札が

プレ皇室研究: やだもう、また面白い神社をみつけたよおー。

先日、南九州の神社って、九州北部ほどは古くないっていう話をしたのですが、1つ、「お、これは古そう」っていうのをみつけました。 これです。 「早吸日女神社(はやすいひめじんじゃ、はやすひめじんじゃ、速吸日女神社とも表記)は、大分県大分市にある神社。式内社で、旧社格は県社。別称、関の権現様。 八十枉津日神(やそまがつひのかみ)、大直日神(おおなほびのかみ)、住吉三神(底筒男神(そこつつおのかみ)、中筒男神(なかつつのおのかみ)、表筒男神(うはつつのおのかみ))、大地海原諸神