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プレ皇室研究: 別の神武天皇の神社

後輩の出版社の人が、面白い神社を紹介していたので、ご紹介します。
ていうか、これ、もしかして、例のインチキ神社作戦かもしれないので、ちょっと疑いつつ読んでください。結論は、やっぱりやっぱりでした(苦笑)。

ちなみに、橿原神宮はそもそも、本当の神武天皇が即位した場所からずれているのと、お墓も実はちょっとずれているのですが、どこにでもある理由「移転させるのがしんどいので、近くにずらした」というやつです。
これは比較的有名な話です。明治政府も苦労しているというか、インチキ許可状態でやばいですね。とほほ。
(お墓のほうは、どうも昔の部落民の人がもう住んでしまっていて、しかもひどいのが移転費用をもっと高く払う予定なのに、安くしてだました話とかあって、ひどいと言えばやっぱりなかなかひどいです。)

しかし、これは御所市の話です。

「御所市「柏原」に鎮座するこの神社の祭神は「神倭伊波礼毘古命」。初代神武天皇の即位した場所であると言われています。享保21年(1736年)の大和誌には「橿原宮。柏原村に在り」と記し、本居宣長も明和9年(1772年)の「菅笠日記」に、畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあることを里人から聞いたと記しています。
一説にはこの神社が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治のはじめに証拠書類を全て焼いてしまったと言われています。」

「柏原」って実はあちこちにあります。だって、柏の木がいっぱい生えている原っぱという意味です。大阪にもありまして、知らない人はよく間違えて、そっちの駅に降りたりします。
ちなみに「橿原」のほうは「橿」の木のほうで、植物の種類が違います。これも間違えやすい理由です。これも橿の木がたくさん生えている原っぱだったという意味です。
ついでに、さらに樫の木のはらっぱもあって、そっちは「樫原」と呼ばれます。つまり、合計3種類も木の種類が違っていて、それがいっぱい生えているだけの地名なので、日本国中、あちこちにあります。地名表に乗っていない場所や、過去にそう言われていたけど、今は違う名前になったところなどもいれると、まじにいっぱい(そりゃもう数百とかのレベル)です。

さて、いつものように、インチキですと、「ぽつーん」と1つあるだけです。なんせ、金かけて100ヘクタール平米を全部、違う名前に騙すのは大変だからです。
歴史修正主義者はアホで、金もないので、たいがい1つか2つしか、考えません。

では、いつものように周辺の地域に、まじに古墳か居住地遺跡があるかをみていきます。

地図で調べます。な、なんと、水平社がありました。
あまりよく知りませんが、水平社というのは部落解放同盟とかの団体でして、奈良は古い土地なので、部落があったのです。しかし、「平等に」という願いで活動をしていたわけですが、まあ、現代はあからさまな部落差別というのはないので(むしろ部落民の人のほうが職に就けるとかの逆差別があったりするが)、いろんな事情があって解散したみたいです。詳しく知りたいかたはWikiを見てください。

うーん、神社はいくつかありますが、古墳ないです。
(一応神社もチェックしましたが、古くはないです。)

では、いつもの古墳マップをみます。
そういえば、こういうでっかい古墳群がありました。
でも、これ、5世紀以降なので古墳時代です。神武天皇の即位の弥生時代ではないです。
基本的に
 時代がわかって新しい(つまり4-5世紀とか古墳時代)なら、×
 時代不明でも、横穴式とかだと新しいので ×
 埴輪がでていたら、これも新しいので ×
 前方後円墳 × ホタテ貝型古墳 ×
です。
神武天皇の時代だと、円墳、方墳、方形周溝墓あたりでないとだめだめです。わりと小さいんです。玉依姫の墓も12mとかです。20m以上はあまりないかなあ・・・。


これも面白いけど、欠史八代のでした。だめですね。


というわけで、御所市にある古墳をだいたい見ましたが、ただの古墳時代ですね。

あはは、インチキ吾平津媛の神社まで作ってあるぞ。
謂れが面白いので、引用します。あはは、怖いなあwww
(※ 吾平津媛は九州に残ったのが本当のようです。)
「嗛間神社(ほほまじんじゃ)
<神武天皇社の境外摂社>
神武天皇妃の吾平津媛は神武天皇とともに一緒に東遷し、この地に住んだとも云われます。
吾平津媛は「さわりの神」と称され、伝承によると、神武天皇が大和を平定した後、三輪の大物主神の娘・媛蹈鞴五十鈴媛命を皇后に迎えたために、吾平津媛はやむなくこの地に侘び住まいしたと伝えられています。 その怨念が夫婦の縁を呪うと云われ、当地では昔から嫁入りの行列はこの神社の前を通ってはならないとされてました。」


ついでに、「焼いた」とかいう噂もセットにつけると、いやもう、中国共産党ぽいwwww →単純に、保存年限が過ぎていたので廃棄したというのは、よくある話。「阿波古事記」とかも、すぐ「明治政府が抹消したー」とか被害妄想っぷりが(苦笑)。いやいや、価値がないものとか、単純に間違っているものは、廃棄するだろwwww

まあ、結論としては、いつものインチキ伝承でできた神社でした。
そこまで、さすがに明治政府の御用学者もアホではないだろう。5キロくらいなら、間違えるかもしれないけど、橿原市と御所市はうーん、わりと遠いです。車でも1時間以上あるんじゃないかなあ。

だいたい、「一里あまり西南」っていうけど、一里って時代にもよりますが、4キロとかなんで、そんなに遠いはずないじゃろ?

日ごろ、ぼろくそにいっている安本先生ですが、今回はまっとうなことをいわれています。上のWikiの事情とだいたい同じだと思いますので、丸山というほうが正しいかもです。
(地元でも、数キロずれているといわれているのは、これの理由だと思います。)


ああ、あと、本当に古い神社でしたら、「延喜式」や「明神大社」に記載があります。

ちょっとかわいそうですが、水平社が近く、水平社は部落の方の活動でして、いわゆる弱者です。
弱者は案外と嘘をつきます。
水平社の近くにあるということから、おそらく、いつもの我田引水で近くに「実は神武天皇はここにいたんだー!」って言い続ければ、左翼のように嘘を真実にできるという、幻想なのかなあと思います。

頭のおかしい人は、現実社会では金持ちになりにくいのです(まあ、頭よくても金持ちにはなるのが厳しいが)。そして、お金がないとかわいそうにどんどこ、地位が下がっていきます。つまり、階級社会というのは、哀しいかな脳問題でもあるのです。ああ、かわいそう。
(頭がおかしくて、地位が高いのは、はとぽっぽや冷泉天皇みたいに、名族であることが確立していて、周囲に世話する人がいるからです。)

事実、現代であっても、NEET,ホームレス、犯罪者はだいたい5割くらいは、精神障碍者と知的障碍者なのです。
脳が健康か健康でないかで、まっとうな社会生活が送れるか、そうでないかが決まってしまいます。
社会福祉が整備された21世紀でも、貧困層はいるし、知的・精神障碍者はいるので、明治時代やそれ以前はずっとそうなのです。

ああ、かわいそうな世界でした。



そういえば、須賀神社っていうのもあちこちにあるのですが(九州にもあります)、ああ、これスサノオの神社なんですな。まあ、人気ですよね。

ちなみに斉明女帝の古墳があるけど、もっと後(天智天皇の母)なので、無視です。


ちなみに、これは地元橿原市の古墳。
これはもうちょっと新しいけど、欽明天皇陵参考地とある。まあ、聖徳太子の時代のちょっと前くらい。


いや、むしろ葛城氏を宣伝するほうがいいのではないか?
こっちのほうが価値があるとおもいますな。



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