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プレ皇室研究: 神武天皇のお后

神武天皇は、九州 伊都国にいたときのお妃と、畿内に引っ越ししてからのお妃がいます。
後妻のお妃について、えーって思ったので、ご紹介します。

その1: 出雲の神様の娘だった。おまけに、有名な、矢が流れてきたが、それで妊娠したっていう、やべー魔法の結婚の娘さんです。
大物主神/事代主神

その2: 名前が「たたら製鉄」ぽい名前なのだ。

実は、恥ずかしい名前なので、名前を変えているのだ。今でいうDQNネームをつけられたので、変えたってことですね。
「媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)(日本書紀)[1]
比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)(古事記)[2]
別称 富登多多良伊須須岐比売(ほとたたらいすすき(ぎ)ひめ)(古事記)」

「ヒメタタライスズヒメ(ヒメタタライスケヨリヒメ)の名前のうち「タタラ」の部分を、たたら製鉄と結びつけて解釈し、古代日本における製鉄を示すものとする説がある[33][40][30][注 17][注 18][注 19]。

小路田泰直(奈良女子大学)によれば、タタラはたたら炉のことであり、「ホト」は陰部を指すとともに火床のことでもある[40][注 20]。すなわち、神武天皇がヒメタタライスズヒメ(=ヒメタタライスケヨリヒメ=ホトタタライススキヒメ)を妻に迎えたというのは、王家が製鉄産業を牛耳ったことを示すものと解釈される[40]。吉野裕(日本文学協会)は、「ホトタタライスケヨリヒメ」という名は溶鉱の神・溶鉱炉に仕える巫女を指すとしている[45]。」


よくヤマタノオロチが、「鉄の溶けているところ」をイメージしているといわれます。
スサノオは、私の時代間隔では紀元前です。紀元前150-100年あたりです。
日本のたたら製鉄は有名なのですが、それは5世紀とか6世紀になってからであって、紀元前や紀元0年あたりではまだ知ってませんでした。

どうも、すぐ製鉄ができないので、租鉄鋼みたいな中間素材を輸入してから、剣や農具にしていたようです。
そして、しばらくすると製鉄そのものができるようになりました。それが発展したのが、たたら製鉄なのです。

製鉄が始まった古墳時代後期(6世紀後半)の炉は、平面形が円筒形または隅丸方形をした自立炉で径50cm程度の小さなものでした。」


古墳時代では、大和王権としてももっと後です。15代とか16代とか神武天皇の時代ではないです。
神武天皇が6世紀だったりしたら、神功皇后のほうが先になってしまうのです。

なのに、妃が「たたら」とはちょっとおかしいです。

よくわかりません。
もうちょっと調べたいと思います。

ただまあ、「古事記」は無意識の嘘がありまして、「こういうのが現代(古事記編纂の700年初頭)で使われているから、昔もあった」と思い込んでいるケースがあります。
一番有名なのが「馬」でして、古墳時代頭くらいにならんと馬具は出土しません。ただ、もうちょっと遡るようで、3世紀くらいにはいけそうです。
にもかかわらず、紀元前想定の「古事記」に「馬の皮をはいでほうりこんだ」という記述があって、現代の考古学者は「うーん、鹿の皮じゃないの?」といっています。
個人的には、「スサノオの時代に日本に馬がいなかったのを知らなかったんだろ」と思っています。まあ、「高天原」という空想の土地なので、今の「異世界漫画」みたいなものです(苦笑)。


もしかしたら、「多多良」と書いてあるので、単純に「長所の多い」姫君っていうだけかもしれないのです。

追記
一般に鉄を使えるようになったのは、ヒッタイトです。古代エジプトと同じような時代です。
日本に鉄の技術が来たのは、中国のものですので、中国の製鉄文化を調べると、たとえば紀元前5世紀くらいにはあります。
ただ、日本の鍛鉄と違い、鋳鉄というものです(日本式のほうが強い)。
こういう論文があったので、ご紹介します。

http://arai-hist.jp/magazine/baundary/b22.pdf


つまり、中国の鉄技術はあっても、鋳鉄なのでなにか「たたら」とかいう名前ではないでしょうってことです。

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