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プレ皇室研究: 神武東征ルート 美々津の謎

神武天皇が東征するのに、美々津を出発したとあるのだが、よく調べてみると、古事記にも日本書記にもないのだ。

「東征伝説
神武東征出発の地との伝説が残っている。ただし、記紀には美々津もしくはそれと同定できる記述はない。古事記には日向国とのみあり、日本書紀には記述がない。

伝承

立磐神社
伝承によれば、神武天皇の出航日は旧暦8月1日である。(日本書紀によれば旧暦10月5日である)

神武天皇はこの日の昼に出航の予定だったが、風向きが変わったため早朝に繰り上げ、「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。このことから、旧暦8月1日には起きよ祭りが開かれる。時間がなかったので着物のほつれに気づいても直す暇がなく、立ったまま縫わせた。そのためこの地を「立縫いの里」と呼ぶ。住人たちは出航に合わせて餅を作る予定をしていたが、急遽、小豆と餅米を一緒について渡した。これを「お船出団子」と言い、今に至るまで美々津の名物となっている。

立磐神社には、「神武天皇御腰懸磐」がある。神武天皇が出航の際にこの岩に腰掛け指揮したとされ、社名の「立磐」もこれに由来する。神武天皇と航海神の住吉三神を祭神とする。」


立磐神社を調べる。これがまた、宮崎県にあるのだが、ちとうさんくさいのだ。

「立磐神社は、その昔、神武天皇御東遷の際、美々津港より御船出するにあたり、航海の安全を御祈念され、海上の守護神であられる底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神を奉斎したことに因んで、第十二代景行天皇の御代に創祀されました。

天正六年、大友氏と島津氏の耳川の合戦の戦火により、社殿及び宝物、貴重なる文献等は消失しましたが、元和九年に再興されました。

境内には、神武天皇が座られたという「神武天皇御腰掛の岩」があり、玉垣を巡らして岩其のものを神武天皇の御神体として崇拝しております。」


第12代なんて、もうとっくの昔に忘れられております。
これまた、おそらく社伝のいんちきなんだと思います。
なんでもかんでも、「XXXの衣をかけた松」とか、「XXが腰かけた岩」とかそんなんばっかりです。

というわけで、これは無視でいいんじゃないかなあと思います。


そういえば、地元九州の人かな、神武天皇の伝承地を巡っている方がいました。
なかなか面白いのでありますが、いやー、行く先々の社伝があやしいのなんのってwwww


ただまあ、何か面白いことがあるかもしれないので、後で読もうと思います。

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