「書く習慣」という本を読んで。「書く習慣」1か月チャレンジに挑戦。Day 5
「書く習慣」(著者 いしかわゆき)という本を読みました。
良い内容でしたので先日紹介しました。
私がnoteを始めたのもまさにこの本に感化されたゆえです。感謝です。
この本の最後に、
「書く習慣」1か月チャレンジ
というのが載っていて、それを実践してみました。
全部で30個(30日分)あるのですが、その中から10個ほどピックアップしていきたいと思います。
「1か月チャレンジじゃねーじゃねーか」と言われればその通りでございますが、初心者のスモールスタートということでどうかお許しください。
この記事ではDay5に取り組みました。
Day 5 昔はどんな子どもだったのか
幼少期は今とは真逆でひょうきんでした。
写真に写るときは普通の子はピースしたり笑顔になったりするものですが、私の写真は白目になっているものが多かったです。
保育園の卒業アルバムも白目でした。
義理の姉が私のラインの待ち受け(ラインの連絡先一人一人に設定できるアイコン)にその写真を使っていて、私から電話が来るたびにそのアイコンを見て笑っているそうです。
一方で「私が大人を笑わせているのか、大人に笑われているのか」ということに対して敏感でした。
他の子たちよりその感覚は優れていたのではないかと当時から思っています(優れているといっても良いことと言えるかどうかはわかりませんが)。
今でも覚えている嫌な記憶があります。
保育園で仏像の絵を描く時間がありました。
仏像は水筒くらいのサイズで机の上に置いてあり、園児1人1人に鉛筆と色ペンと紙が与えられ皆自由に絵を描いていました。
皆の描く仏像はウィンクしていたり、緑やピンクを使ってカラフルだったりしました。
私はというと、仏像の輪郭を鉛筆のみを使ってそのまま模写していました。
だって仏像はウィンクしていないし、緑でもピンクでもないので、そんな風に描くという発想がなかったのです。
その絵が他の子たちの絵と違ってシンプルだったからなのか、はたまた真剣に書きすぎて用紙に対して20度ほど傾いた状態で描かれていたからなのかはわかりませんが、先生たちは私の絵を見て爆笑していました。
今の私でもその絵を見たらおそらく爆笑すると思いますが、当時の私は「笑われる」ことに敏感だったので嫌な気持になったのをいまだに覚えています。
あと、当時の私はだいぶ「抜けていた」と思います(本質は今でも変わっていないですが)。
保育園で、生まれて初めてドッヂボールをすることになり、ルール説明を先生がしていた時に私は鼻をほじって左右交互に鼻くそを味わっていました。
当然話を聞いていないのでルールもわからないまま、内野に呆然と立っていました。
しばらくするとボールを当てられた子が外(外野)に出ていくのがわかりました。勘のいい子ならここでルールがわかるかもしれませんが、私はわかりませんでした。
それよりも、ボールが当たった時に先生が「当たり!」と叫んでいることが気になりました。何が当たりなのか?
私は、その日の前に買って食べた10円ガム(フィリックスのやつ)がはずれだったのを思い出し、突如ひらめきました。
「このボールに体がぶつかれば、お菓子が当たる!」
(ガムではなくお菓子が当たると思うところが都合のいい拡大解釈ですね。)
そうと決まれば後はボールに当たるだけなので、私は内野の境界線ぎりぎりまで近づき、ボールを持っている女の子の前で自分を当てるようアピールしました。
その女の子は投げる力が弱いのか、先生に補助をしてもらっていました。
私は目立つように先生と女の子の前で左右に動いたり飛び跳ねたりしました。
皆ボールをよけようとして当たっていたので、「ボールをよけようとすればするほど当たった時にお菓子がもらえる」と私は思っていました。
女の子と先生は初めは楽しそうでした。投げるために狙いを定める攻撃側と、当たらないようによけようとする守備側という正しい構図ですからね。純度100%のドッヂボールです。
しばらくして私が当たろうとしていることがわかったからでしょうか、笑顔が一瞬消えました(これはさすがに私の思い込みかもしれませんが、一瞬空気が変わったのを覚えています)。
しばらくその女の子と先生は投げてきませんでした。私がこんなにアピールしているのに。正直「早く僕にボール当ててお菓子くれよ」と思ってました。自分だけ意地悪されているのかと思いました。
「この遊びはボールが当たった子からお菓子がもらえるけど、ついでに当たるまでの過程も楽しむんだろ?でももう十分楽しんだだろ!」(当時ここまで言語化できていないですが、気持ちはこんな感じでした)
今思えば、おそらくその女の子と先生は、私がおどけているふりをして実はボールをキャッチして投げ返してくるのではないかと疑っていたのだと思います。私は園児の中でも体が大きく運動能力は高い方でしたし(余計怖い)、お互いにルールを理解したうえであれば、そう考えるのが妥当と思います。
最終的に女の子は私に向かってボールを投げ、私は嬉しそうにボールに当たりました。やっときたかと。
先生は「当たり!」とほかの子がボールに当たった時同様に叫び、私は外野に誘導されました。
あれ、お菓子は?(完)
後、上記のエピソードが出てくるところもそうですが、記憶力は高い方だったと思います。
これは小学生の頃ですが、数字を暗記するのが得意で、友達と遊びで円周率を100桁覚えてました。
また四則計算も得意で買い物に行くと会計を頭の中でできました。
当時税抜き表示でしたが、税抜き表示の商品数点を足し算して税込みにして1円単位で合っていました。
今では買い物はほぼ電子マネーなので全く暗算できません。楽は人をだめにしますね。もうやめられないけど。
おわりに
「幼少期のことをこんなに覚えてるわけねーだろ!てかぼーっとしてるくせになんでそんな周りを洞察できるんだよ?なわけねーだろ?さてはやってんな?お前やってんな!」のツッコミに対し少しでも話の整合性をとるため、記憶力と計算力が高かったことを最後に盛り込みました。
なんかそれが寒くて、しょうもない自慢みたいになってしまいました。
不快に感じた方おりましたら大変申し訳ございません。
最後まで読んで頂き感謝します。
今回思ったのは、この「書く習慣」1か月チャレンジは自己紹介になりますね。
昔の記憶も呼び起こされて脳のトレーニングにもなりました。
あー保育園からやり直したい。
皆さんも興味があればDay1~Day30のうちどれか1つでも挑戦してみてはどうでしょうか?
著者のいしかわゆきさんもおっしゃっていましたが、こういった題材はネットで転がっているし、まさにnoteにも「応募する」ってタブがありますよね。
本は読まないにしても、何でも良いから1つやってみると過去を振り返れて面白いのではないかと思います。
では。寝ます。
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