夜もすがら1人、あの頃を思い出す。店長と飲むカフェオレが、僕は好きだった。

和歌山での思い出をnoteに書こうとして、あの頃の出来事に思いを馳せていた。

正直沢山ありすぎて、どれから書いていいのか分からない。
だから、僕はいつも毎朝の通勤電車内で、頭に思い浮かんだ出来事を書くと決めている。

昨日の朝思い出したのは、バイトでの何気ないことだった。
今夜は僕がお世話になった店長との思い出話を語ろうと思う。

店長と僕とカフェオレ

僕は当時、『和食居酒屋 そら豆』という和歌山市駅近くにある居酒屋でバイトをしていた。

全席完全個室で、和歌山県産の地鶏や地酒、創作和食料理が人気の店だった。

だけど、この店は今はもう存在しない。
2016年の8月に経営難から閉店してしまった。

閉店と同時に僕は店を辞め、長期インターンを経て、今度はそら豆の系列店である『季乃家』という焼き肉屋で卒業までバイトすることとなる。

系列店ということもあり、そら豆の店長は季乃家に異動したため、結局僕はバイト経験の大半を、店長の元でお世話になった。

店長は一言でいうと、ソシャゲ廃人だった。

会社から支給されるiPadを完全にソシャゲ専用にしており、
とにかくずっとプレイしていた。

当時店長がハマっていたのはアズールレーン的な戦艦対戦モノで、
決まった時間にオンライン対戦が始まるため、とにかくその時間を確保するために仕事をする、といった感じだ。

ソシャゲに対する熱量は確かにやばい人だったが、
忙しいときも人に優しく接して、感情的に怒ったりしない人だった。
バイトとは関係のない相談にも、親身になって答えてくれる人だったから、みんなから人気がある店長だった。

そら豆時代、そんな店長と僕はよく、デシャップ奥にある換気扇の下で一緒に煙草を吸った。

画像1

n回煙草を吸った場所だ。

そら豆でバイトを始めてから1年ほど経つと、僕はシフトを週5で入れていたこともあり、店長から好きにコーヒーを飲んでいい権利を貰った。

僕は出勤するとまず一番に、そのコーヒーに牛乳を加えてカフェオレにして、煙草を吸った。
店長もカフェオレをつくってメビウス・メンソールの1㎜に火を付ける。

僕と店長のお決まりのルーティンだ。

その5分間、僕たちは色んなことを話した。
しょうもない話も多かったから、今となっては当時何を話していたのか詳しくは覚えていない。
いつも火を付けた煙草を吸いきらず、半分くらいで灰皿に押し付ける店長のクセだけが、とても印象的に記憶に残っている。

あとは何だろう。

——ああ、そうだ。

「店長おつでーす」
と、僕が言うと

「おつでーす、田中また明日な~」

店長はカフェオレを飲んで煙草を吸いながら、
いつも気の抜けた声で言ってくれた。


「また明日な」
と、僕に言ってくれる場所がかつて和歌山にあった。
最初和歌山を好きになれなかった僕が、初めて和歌山を好きになれた場所だった。

そら豆が閉店した今となっては、20歳のときに週5で飲んでいたカフェオレは、もうどこに行ったって飲めない。
それは寂しいことだと、僕は思う。

当時は当たり前に過ごしていた何気ない時間が、実はとても大切なものだったのだと、大人になってから僕らは気付く。

どんなに大人になっても、それを寂しいと思う気持ちはきっと無くならないから、人は何度だって思い返してしまうのだろう。

店長と飲むカフェオレが、僕は好きだった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?