見出し画像

「不確実な未来の原則」(〈有限の生〉の第五原則)とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』


「不確実な未来の原則」(〈有限の生〉の第五原則) 【ふかくじつなみらいのげんそく】

 「それはわれわれが人間である限り、完全に正確な未来を知ることはできないということ、どれほど現実が不確かなものでも、われわれはその現実のなかで生きていかなければならない、ということを指している。時代が変われば人間もまた変わる。……永遠で絶対的なものが存在しない現実のなかで、それでもなお、われわれは日々何かを捨て、何かを選択し、そして何かを決断していかなければならない。より良き〈生〉とは何かについて、絶えず模索していくことが求められるのである。」 下巻 135

 人間が人間である限り、自らの〈生〉において決して意のままにできないものであところの〈有限の生〉をめぐる五つの原則のうちの一つで、われわれが正確な未来を知りえないこと、またどれほど現実が不確かなものであっても、そのなかで生きていかねばならないということ。

 西洋近代哲学においては、人間は理性を行使することによって未来を正しく予見することができるようになり、また全人類が従うべき絶対的で、普遍的な何ものか(「絶対的普遍主義」)に到達することができると信じられてきた。

 しかし、われわれがどれほど普遍性を確信したところで、見いだされた理念が絶対的なものであるという保障はどこにもない。過去にそうであったように、この先もまた、われわれが「正しい」と信じたはずの道が後に大きなわざわいとなることも、「誤り」だと信じたはずの道が後に多くの人々を救うこともあるだろう。

 したがって、「〈有限の生〉とともに生きる」こと、すなわち〈有限の生〉を「肯定」するということは、移りゆく世界の現実を受け入れ、人知の限界を覚悟するということを意味している。

 もっともそれは、決して「諦め」に浸ることや、自暴自棄になることを意味しない。自らのが「時代」や〈有限の生〉にさまざまな形で限界づけられていることを知りつつも、後の人々に何かを託しつつ、その〈信頼〉「人間という存在に対する〈信頼〉」)のもとに、自らは精一杯与えられた「担い手としての生」を生き抜くこと、何かを決断し、何かを選択していくということである。

上柿崇英『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版、2021年)

 このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)についての概略、および他の用語との関係について説明したウェブ版の用語集のnote版です。

 (現在リンク先は、すべてウェブ版を借用していますが、徐々にnote版に切り替えていく予定です。

テーマ別索引
五十音別索引