見出し画像

「より良き〈生〉」(「〈有限の生〉とともに生きる」)とはなにか――【用語集】『〈自己完結社会〉の成立』


「より良き〈生〉」(「〈有限の生〉とともに生きる」) 【よりよきせい】

 「そこには、人間存在の〈救い〉など決してない。われわれが真に必要としているのは、〈有限の生〉ととも生きるということ、「意のままにならない生」を引き受けてもなお、より良き〈生〉を希求していくことの意味、そしてその道に至るための術だからである。」 

下巻 111

 自身が「時代」〈有限の生〉にさまざまな形で限界づけられていることを自覚しつつ、それでも卑下や「諦め」に屈することなく現実と対峙し、自らの負うべき「担い手としての生」を全うしようとすること。

 〈有限の生〉の五つの原則が示すように、人間の〈生〉は、現実問題として哀苦や残酷さに溢れている。この世の無常の前には、「正しく」生きることも、「善く」生きることも難しいのかもしれない。しかしそれでも、与えられた現実のなかで「より良く」生きようとすることはできる。

 「より良く」生きるとは何か、また何を行えば「より良く生きた」ことになるのか――このことに対する絶対的な回答は存在しない。なぜならひとりとりが置かれている状況、向き合うべき現実の形はそれぞれに異なるからである。

 われわれが〈存在の連なり〉を生きる以上、われわれは必ず何らかの形で「担い手としての生」を生きている。ここで問われているのは、ひとりひとりがそこにいかなる意味を見いだすのかということである。

 〈存在の連なり〉を生きることは、確かにそれ自体で残酷かもしれない。しかしその向こう側には、同じく〈有限の生〉を生きた人々の、そしてこれから〈有限の生〉を生きるだろう無数の生が存在する。

 いまここで現実と向き合う人々は、そうした数多の人々の「生き方やあり方」に触れることによって勇気づけられる(「生き方としての美」)。そしてこの現実のなかでわれわれが精一杯生き、行った選択や判断であるとするなら、たとえそれが後の時代から見て誤りや失敗として映ろうとも、ここで「より良く」生きようとした〈生〉の痕跡そのものについては、いつの日か後の人々が祝福してくれるだろうと〈信頼〉することはできるのである(「人間という存在に対する〈信頼〉」)。

上柿崇英『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版、2021年)

 このページでは、筆者が2021年に刊行した『〈自己完結社会〉の成立――環境哲学と現代人間学のための思想的試み(上巻/下巻)』(農林統計出版)に登場する用語(キーワード)についての概略、および他の用語との関係について説明したウェブ版の用語集のnote版です。

 (現在リンク先は、すべてウェブ版を借用していますが、徐々にnote版に切り替えていく予定です。

テーマ別索引
五十音別索引