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二重人格を発症した男、アンセル・ブーンの数奇な生涯

先日、荒俣宏『パラノイア創造史』を読んでいたところ、数奇な人生を歩んだ男を知った。彼の名は「アンセル・ブーン」という。

ブーンは端的に言うと、二重人格を発症した男である。ここでは『パラノイア創造史』以外にもブーンを扱った書籍『近世天眼通実験研究』(明治36年出版)を参照しながら、彼の人生を見ていきたい(なお、『近世天眼通実験研究』ではブーンの名前は「アンセル・ボーン」と書かれている)。

ブーンは1826年に生まれ、アメリカ、ロードアイランドで大工として働いていた。しかし1887年1月17日、自宅を出て銀行で551ドルを下ろしたあと、突如としてペンシルベニア州へ向かった。さらに、同州にあるノリスタウンという街で店舗を借りて、文房具や安価な雑貨を扱う商売を始める。

このときブーンは、アールという人物から店舗を借りたが、自らを「アルバート・ブラウン」(『近世天眼通実験研究』では「エー・ジェー・ブラオン」)と名乗った。彼はこのとき既に、「ブーン」とは別の人物「ブラウン」へと人格を変えていたことが伺える。

「ブラウン」は店舗の裏を仕切り、そこで食事、睡眠など日常生活を行った。

目が覚めた「ブラウン」

フィラデルフィア市街まで品物を仕入れるなど、商売も二ヶ月ほど順調にこなしていたが、3月14日朝、「ブラウン」は5時頃に寝室(つまりは店舗の裏を仕切った場所)で目を覚まし、呆然とした。

「ここはどこだ?」

「ブラウン」からブーンへと戻った彼は、自分がまったく見慣れない場所に、いつ、なぜ来ているかがわからなかった。不思議で恐ろしかった。

2時間ほど困惑し、考えていたブーンは手近にあるドアを開けた。大屋の方へ行ってみると足音がしたため、戸をノックするとアールが出てきて言った。

「ブラウンくん、おはよう」

ブーンは「ここはどこですか? 自分はブラウンじゃない」などとアールに矢継ぎ早に言葉を投げかけたため、アールは「ブラウンは気が狂った」と思い、医者を呼んだ。

ブーンは医者に「自分はブラウンではなく、アンセル・ブーンだ。私は1月17日、プロヴィデンスの※ランス(※印、一字不明)街路で『アダムス運送会社』の荷車を見たことを記憶しているが、それから今朝、目を覚ますまでの間のことは記憶がない。その間どこでどうしていたのかまったく知らない」と説明した。

それからブーンは、プロヴィデンスにブーンの甥が住んでいるため、彼に電報を出した。

「アンセル・ブーンを知っているか」

するとすぐに返事が来た。

「それは私の伯父だ。どこにいるか。無事であるか、知らせてほしい」

アールは居場所を伝えたところ、甥が来てくれたため、ブーンはロードアイランドへと帰った。

催眠術で蘇った「ブラウン」

ロードアイランドへと戻ったブーンは、元の大工として働いたが、再び「ブラウン」となることはなかった。

1890年、この騒動を知り、興味を持った心理学者がブーンに面会し、詳しい話を聞いた。しかし、プロヴィデンスからノリスタウンへどのようにして行ったかはわからなかったため、心理学者はブーンに催眠術を施した。

すると、ブーンは再び「ブラウン」へと変貌を遂げた。

さて、ここから『パラノイア創造史』と『近世天眼通実験研究』に記されている話が異なっている。

『パラノイア創造史』によれば、ブーンとブラウンは「互いの人格を知らなかった」ようである。

しかし『近世天眼通実験研究』によると、ブラウンは「ブーンに会ったことはないが、彼のことは知っている」と心理学者に語ったという。

また、ブーンの妻を連れてきたところ『パラノイア創造史』によると「ブラウン」は「会ったことがない」と言ったとのことである。

一方『近世天眼通実験研究』では「いつか会ったことがあるかもしれない」と言ったが、妻であるとは言わなかったいう。

神を愚弄したブーン

実は、ブーンは二重人格になる前にも奇妙な出来事に見舞われたことがある。

1857年10月28日、無神論者であった彼は、人々の前でこう宣言した。

「私は神を信じない。教会へ行くくらいなら、口がきけず耳も聞こえない状態になる方がましだ」

すると、ブーンは本当に口がきけず、耳も聞こえなくなってしまった。

困り果てたブーンは11月11日「これからは教会へ行きます」という文書を作り、教会へ持っていった。改心したためか、次の日曜日にブーンは口も耳も元に戻ったのだという。

この鮮烈な体験のためか、ブーンは大工と併行して巡回説教師の仕事をこなすほど熱心な信徒となった。

この神を愚弄したブーンについては『パラノイア創造史』に記されているが『近世天眼通実験研究』の方では「元々無神論者であったブーンは、あるときヒステリー性の失明に陥ったが、宗教上の出来事で光を取り戻し、以後伝道師になるほど神を信じるようになった」とある。

神を信じるようになってからも、人格が分裂するなど数奇な生涯を送ることになったブーン。果たして彼のなかに住む「ブラウン」とは何者だったのか。神を信じるようになったことと関係はあるのか。謎は尽きない。

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