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大学非常勤講師として、「人並み」に生きる―個人事業主という選択―

はじめに


大学非常勤講師に対して、どのようなイメージを抱かれているだろうか。なかには、非正規ながらも高給取りという印象を抱く人もいるかもしれない。しかしながら、実際のところ、大学非常勤の平均年収は、200万円前後と言われている。まさにワーキング・プアである。

大学非常勤講師は、読んで字の如く、大学の授業科目を担当する非正規の教員のことである。この仕事は、大学院博士前期課程を修了した後(修士号取得)、さらに博士後期課程に進学、学会発表や査読論文の本数をこなし、研究実績を積み、博士課程満期退学または博士課程修了つまり、博士号を取得した人たちが主に担っている。なお、博士課程を修了するまでには、大学に入学してから最短でも9年を要する。

ところで、博士課程に進んだ者が、自分が学んできた専門知識を生かして職業人として生きていくには、大学専任教員になるのが最も確実な方法である。しかし、そのポストは非常に狭き門である。世代や実務経験等にも左右されるため一概には言えないが、大学院博士課程に進学した者で40歳までに大学教員になれる割合は、概算で30%という指摘がある(参考:「大学教員になれる確率」)。

30%もあるという捉え方もできなくはないが、大学専任教員のポストに就くには時間を要するため、体感としてはこの数値よりもかなり低く感じる。文系(人文科学、社会科学)の場合、100回公募を出し、1校から採用されればラッキーと言われるほどだからである。

かくいう私も、つい数ヶ月前まで大学非常勤講師(以下、非常勤)であった。縁あって、2020年4月、大学専任教員として着任することが叶ったが、その道のりは決して平坦ではなかった。2016年4月から2020年3月までの4年間、非常勤をしていた。

その間、専任のポストに就くために、地道な努力を重ねてきた。その一方で、非常勤の身分でも、何とか人並みに生きていく(生計を立てるという意味)ことはできないものか、模索していた。そこで私が選んだのが、個人事業主になるという方法である。

個人事業主になるという選択をしたおかげで、大学専任教員になれなくても、研究者として「人並みに」生きていくことがある程度可能だと、身を以て知った。この選択は、経済面だけでなく、大きな心配を抱えずに研究に取り組めたという精神面における効果もあった。そこで、大学非常勤講師が個人事業主になることで、「人並み」に生きることが可能なことについて、述べたいと思う。


大学非常勤講師になった経緯


非常勤をしていた私が、なぜ個人事業主になったのかを語る前に、私が大学非常勤になった経緯について述べておきたい。

私の場合、大学を卒業してからのキャリアが、かなり特殊で複雑である。それについては稿を改めて述べることにして、大学院博士課程に進学するあたりから紹介しよう。

大学院博士課程に進学したのは、中高一貫校の専任教員11年目の時である。現職の中高教員が、フルタイムで働きながら博士課程に進学するのは極めて稀である。しかし、仕事を通じて、どうしても研究したいことに出会ってしまったため、二足のわらじという形で博士課程に入学した。

その時点では、研究者になりたいという気持ちはほとんどなかった。なぜなら、大好きな教員という仕事を、定年まで勤め上げるつもりだったからである。教師の仕事は大好きであることに変わりはなかったが、その一方で自分が明らかにしたいことを、史料を発掘し分析しながら少しずつ明らかにできるという喜びは、何にも代えがたかった。

研究をすればするほど、もっとやりたくなる。もっとやりたくなると、ただでさえない時間が、極限までなくなっていく。朝6時半すぎに自宅を出て、早い時でも20時頃に帰宅。それから子供の世話や家事、そして授業の準備等をしていると、あっという間に寝る時間。これ以上削れないというくらい、仕事や家事の「無駄」な部分を削ってみたが、研究をするための絶対的な時間が生み出せなくなっていた。唯一研究できたのは、通勤電車の中。満員電車の中で、1000ページを越えるハードカバーの専門書を片手に、論文の構想や下書きを書く日々であった。


そんな折、指導教授の先生に、「非常勤講師をしてくれないか?」と打診をされた。その仕事が始まるのは、なぜか1年半後であった(普通非常勤を頼まれる場合、半年ほど前)。そのとき、先生から教員の仕事をしながらやってもいいと言われたのである。職業柄、兼業できなくはないが、教員としても中堅となっていたため、本務以外の仕事を引き受ける余裕があるくらいなら、もっと校務を担ってほしいというのが職場の意向であることは、痛いほど分かっていた。

自分のなかで、「研究がしたい=研究者として生きたい」と「中高の教員として生きたい」を天秤にかけたときに、不思議と前者が少しだけ上回った感覚を覚えた。先生からの打診は、迷っている私の背中を押してくれているようにも感じられた。

博士論文提出の要件を満たしたことを期に、思い切って中高の専任教員を辞し、研究者になる最初のステップとして、大学非常勤講師への転職を決断した。13年間勤めていた中高教員のキャリアと安定した収入を捨て、生涯非常勤のままもあり得ることを覚悟した上での転職であった。


大学非常勤講師になる

2016年3月末で中高の専任教員を辞し、4月に大学非常勤講師へ転職した。最初は、2つの大学で3コマ/週からのスタートだった。大学での非常勤の経験は、大学専任教員・研究者になるためには、必ず通る道と言っても過言ではない。週に3コマとはいえ、研究者として生きていくと決めた私にとっては、大学の教壇に立てた喜びは一入であった。

喜びの一方で、当然これだけでは、とても生計は立てられないという不安はあった。直近まで中高の教員をしていたこともあり、地元の公立中学校、元勤務校(高校)の非常勤講師に加え、ある研究所で資料整理、ゼミの先輩のアシスタントなど、急に大学の非常勤の仕事がきたときにも対応できるよう、比較的融通の利く仕事を複数こなしてしのいでいた。

ところで、非常勤の仕事は、ほとんどの場合紹介で決まる。また、非常勤は、当該科目を担当した経験がある人が重宝される(担当できる確実な人を採用したいため)。そのため、全く非常勤の経験がない人にはなかなか話が回ってこないのである。最初に非常勤の仕事を得るのは難しいが、一度ある科目を担当すると、似たような科目やその人の業績(著書や論文等)に応じて、すでに専任教員をしている先輩や知人等から声がかかることが多い。私も幸運なことに、最初3コマ/週からスタートしたが、その学期のうちに、急遽就職が決まった非常勤の方のピンチヒッターとして白羽の矢が立った。その科目の業績の要件を満たしていたという理由で、非常勤先から追加でもう1コマ授業を担当させていただけたのである。

このように、急に仕事が決まることも多いため、声がかかったらすぐに対応できるようにしておきたいと思っていた。だからなおさら、非常勤以外の仕事は、融通が利くものにしておきたかったのである。


個人事業主という選択肢を知る


当時の私が、非常勤やそれに加えてやっていた仕事は、基本的に雇用されて行うもの。当時やっていた非常勤以外の仕事は、多少融通は利くが、基本的には決まった時間に決まった場所で行う。したがって、いつ声がかかっても、すぐに対応できるとは限らないのである。

もっと自由に、かつ自分のキャリアが生かせる働き方はないものか。そう思っていた時に目に留まったのが、教材執筆の仕事であった。

この仕事は、1つの教材(例えば、ワークやドリル1冊)につき、いくら(報酬)というものである。納期は決まっているが、納期までに納めればいいため、その間の時間の使い方は自由である。

―今までのキャリアや研究を生かし、空いた時間に作業ができ、ある程度まとまった収入が得られる―

このことに、大きな魅力を感じ、早速応募した。おかげさまでトントン拍子に仕事は決まり、高校生用のワークを執筆するという仕事を得た。


この時の私は、教材執筆の仕事=報酬ということは分かっていたが、だからと言って、特別な手続きなどは必要ないと思っていた。ましてや身分が変わるなど思いもよらなかった。

たまたま父親に会ったときに、近況報告として、「教材執筆の仕事もすることにしたよ」と伝えた。すると、父は私にこう言ったのであった。


「個人事業主にならないとダメだ!!!」


最初何を言っているのか、良くわからなかった。自分の仕事は、大学の非常勤講師がメインだという自負があった。教材執筆の仕事もしていたが、あくまで副業という感覚でいたのである。

父は、

「そんなの関係ない。絶対に個人事業主にならないとダメだ!」

の一点張りである。あまり理屈で説明しないタイプなので、なぜ給与所得で生計を立てている自分が、個人事業主になれるのか全く理解できず、受け入れがたかった。その場では、「はい、はい」と返事はしたが、にわかに信じがたかった私は、父の助言を聞き入れず、数カ月を過ごした。


給与所得があっても、個人事業主になれる


父がなぜ私に、個人事業主を強く勧めたのかと言うと、本人が個人事業主だからである。ただ、本人は完全なるフリーランスかつ、給与所得の収入はない。そこで、同じく個人事業主である母に相談したところ、母がお世話になっている税理士さんを紹介してもらった。

早速、その税理士さんとの面会が叶った。税理士さんに、非常勤など雇用される仕事がメインだが、個人事業主になれるのかと率直に質問した。あっさりと、「個人事業主にはなれますよ」という答えが返ってきた。

税理士さんから、給与所得があったとしても、事業所得がある場合は、個人事業主になれることを教わった。この時点での私の収入は、給与所得がメインであったが、今後も継続して執筆の仕事をする見通しであったことから、個人事業主になることを選択した。

2016年12月末日、地元の税務署に行き、開業届と青色申告承認申請書を提出。事業内容の箇所に、「講師業・執筆業」と記入し、晴れて個人事業主となったのであった。


実際に、大学非常勤講師が個人事業主になってみて


個人事業主になったことで、大学非常勤講師としての働き方や生活が変わったわけではない。むしろ、個人事業主になったことで、非常勤で担当している科目に関する知識や、研究上で得た知見を活かして、少しずつではあるが、「学問」「研究」に関する知識や知見を仕事に変えていくことが面白いと感じるようになっていった。ただし、時間的な面でも、あくまで非常勤の仕事がメインで、個人事業主としての収入は、それを超えるものではなかった。

たしかに、収入面では「副業」の範囲を超えるものではなかったが、個人事業主になったことによる経済面での恩恵は、自分の想像をはるかに超えるものであった。例えば、税金や社会保険料が大幅に減ったこと、給与所得者では経費として認められないものが経費として計上できること(特に研究に関わること)、研究費(の一部)も事業所得になること等である。これらのメリットを掛け合わせると、「人並み」の収入に限りなく近づくことが可能である。


それでは、どのように仕事をしていくことで、大学非常勤講師が個人事業主になり、「人並み」の収入を得ることが可能なのか。その事情については、私の拙い実体験を軸に、稿を改めて述べたいと考えている。



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